シリウス ~人の世に降りた一等星~

白間黒(ツナ

因果の信託

ある冒険者の日常

「――つまらん」


 星の降る大地で、その嘆息を耳にしたものはいなかった。


 最後に人類がこの地に降り立ったのはいつのことだろうか。足跡一つ残らない岩の世界、草木一本存在することの許されない死の世界の中心で、その少女は赤く染まる空を見上げて佇んでいた。止むことのない暴風はすべてを切り裂く刃に。舞い散る礫は、すべてを貫く無数の弾丸に。とめどなく降り注ぐ流星は、すべてを滅ぼし無に帰す浄化の雨に。すべてを死で上書きするかのような暴力的な光景の中で、その少女だけが異質な存在だった。


 ここは魔界。人ならざる者が跋扈ばっこし、人々を脅かす魔物であっても数秒と保たず輪廻に帰る。ここでは心臓の鼓動は、命の存在は異端の証明だった。


 ふと、頭上の星空を少女が見上げると、一際大きな流星が少女の小柄な身体へと降りかかる。それは礫と表現するにはあまりに巨大で、岩と表現するにはあまりにも膨大な速度を伴っていた。風を切り裂くような甲高い音を響かせ、やがてはそんな不快音を追い越すほどに加速し、ついには大地すら消滅させるほどの威力を伴って少女に直撃する。

 衝撃により轟音と爆風が生じ、霧散した流星の欠片は周囲の地形を塗り替える。しかし、流星は少女に痛痒を与えるどころか、その顔を隠す外套を剥がしただけだった。


「これで終わりか。なら、次は私のターンじゃな」


 少女は薄くひび割れた障壁を解除し、碧く揺れる前髪の下で不敵な笑みを浮かべる。次いで飛翔魔術によって浮き上がったかと思えば、次の瞬間には足元に巨大な衝撃の残滓クレイターを残して赤い雲の先に広がる紛い物の星空へと消えた。



王手チェック……といったところじゃな。それとも、すでに詰んだチェックメイトかのう?」


 魔界の大地から何光年も離れた小惑星帯アステロイドベルトの中心で少女の目に映ったのは、憔悴しきった表情を浮かべて驚愕する魔族の姿だった。浅黒い肌に、鍛え上げられた肉体。体中から湧出する負の瘴気。神話の時代から人族の上位存在としてその威を示し続けてきたはずの魔族は今、一人の人間の前に威厳の欠片もない姿でたたずんでいた。


「なぜだ……、なぜ人間の分際で俺の魔術を受けて立っている! 今のは上級魔族にのみ伝わる最上位魔術。どんな強固な城壁を持つ国でも、どんな聖壁を持つ大聖堂でも更地に変える我々の切り札。人の身で防ぎきれるはずがない!」

「生憎、貴様ら魔王軍が地上への侵攻をやめてから三百年間、人族は大きく進歩したのじゃよ。その程度の魔術なら私以外にも防ぎきれる。人としての限界を超えた者なら余裕じゃろう」

「何をわけのわからないことを! その力をどうやって手に入れたか聞いているのだ! シリウス!」


 音の無い宇宙に衝撃が走ったのは、その問い掛けと同時だった。魔族は何もない空間を蹴ってシリウスと呼ばれた少女に突進し、そのままの勢いで右の拳を繰り出した。それは魔術も戦略もないただの突進だったが、腐っても魔族の攻撃である。人間のそれとは比較にならない筋力と肉体強度を以って繰り出されたその拳の威力は、一撃でも第五位階の上位魔術に匹敵しうる。


 しかし、魔術も念力も捨て去ったただの拳は、少女の纏った障壁に一筋のヒビを入れることもできずに阻まれた。


「この力の根拠。私の口から言うことは簡単じゃが、答えとは知ってしまえばたどり着けなくなるものじゃよ。何千年も生きていてそれに気づかぬような莫迦には関係のない話じゃろうがな」


 魔族は傷一つない障壁を蹴って後方に跳躍して距離を取り、凶悪な相貌で少女をにらみつける。しかし、その表情からは憎しみよりも怯えが色濃く浮かんでいた。目を合わせるだけで人を殺しうると言われるその赤黒い瞳は、今ではその少女を映して恐怖に揺らいでいる。


「なぜ貴様は我々の計画を正面から打ち砕ける。本来はこざかしく策を弄するのは人間側で、我々はそれをあざ笑っていればよかったはずだ」

「さて、そろそろお遊びは終わりじゃ。遊び相手にもならないことが分かった今では貴様の存在価値など魔術の実験台以外になかろう」

「ま、待て! 俺の問いに……」

「生憎、私は勇者のように甘くはない。魔力回復のための時間稼ぎに付き合ってほしかったのなら、もう少し面白い話をすることじゃな」

「畜生め!」


 憤怒と憎悪の混じる表情を浮かべる魔族をよそに、少女は標的に片手を向ける。戦場でそのサインは対話の意思がないこと、そして、すでに勝敗が付いていることを示していた。少女は片手に紫に発光する粒子――魔力を充填させる。


「その魔力量……洗練された術式……明らかに人間の限界を超えている……」

「時の流れというのは残酷じゃな。たった一人の魔術バカのせいで、人族の魔術が魔族を追い越したとは」


 そう言って指を鳴らすと、魔族の周囲を無数の魔術陣が取り囲む。いくつもの陣を並列で構築するその技量を以って、人族が上位存在である魔族を追い越したことの証左とするように。そして、大技を使った直後の魔族に複数の術式を解除することはできないだろう。


「さらばじゃ。短い間じゃったが、楽しませてもらった礼として私の固有術式ユニークスペルで葬ってやろう」


 そう言ってシリウスは魔族に手をかざし、口角を吊り上げた。


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