新井素子と大和真也、80年代真ん中に人気があった女性SF作家達、前者は続き、後者は何故消えたのか考えて見る。

江戸川ばた散歩

1 新井素子と大和真也

 新井素子と大和真也。


 80年代真ん中に小学校高学年~高校生だった本好きマンガ好きSF好きコパルト文庫好きだったらたぶんどっちも知っていると思います。


 なんですが。


 じゃあどっちは現在まで作家として生き残っているか、というと新井素子なんですよねえ。

 大和真也は結局ジュゼ・スターゲイザー・密柑山といった全てのシリーズが未完という形で切れてます。

 デビューの時期が近いのと、まあやっっぱり少ない女性SF作家ってので、特集だのされたり、……「まるまる新井素子」っていうムックでは対談もありましたね。

 メガネっ子の外見とかぬいぐるみ好きとかの共通点もあったりしました。

 もう一人大原まり子もコバルトにちょい書きましたけど、やっぱり歳が離れていたり、シャープな印象が強くて別物という感じがするので今回は除外。


 さてこの二人、どっちも「奇想天外」で高校生の時にデビュー。

 16歳と17歳。

 今考えてもまじすげえ。


 つかデビュー作、近年になって大和真也の方の「カッチン」も見つけたんだけど、実験場宇宙(ミクロコスモス)の中の地球と上の地球、という後のジュゼ・シリーズの基本設定の話なんですね。

 まあ文章は硬い硬い。がちがち。ハード。

 つか、当時のSFはこんなもんでした。

 正直今でもSFと聞くと敬遠されるのはこのがちがち感なんだとは思うけどね。

 まあそんな、頭でっかちとは思うけど、そのミクロコスモスという世界観と、こんだけの文章を今どきの17歳は絶対書けないよなあ、という感じで。


 新井素子のデビュー作「あたしの中の……」はコバルト文庫にも入ってましたな。

 個人的には三作目の「大きな壁の中と外」が好きでしたが。

 人が死ぬたびに主人公のインナースペースにどんどん入って行くという話で。

 これはこれで凄い。そんでその後の新井素子のやっぱり基本ですな。

 で、当時何がこのひとどーんと売れっ子にしたか、というとこの「あたし」一人称ななんですな。


 あたし、**してる。


 みたいな口語体。

 無論正確に口語体ではないけど、当時の書き方からすればかなりびっくりされる文体だったわけですね。


 大和真也の場合はがちがちの文章でしたから、「SF設定としてはこちらが上」という評も当時あったようですが。

 ただ、そのデビュー作と、奇想天外に数作載った短編は結局単行本にはなっていないんですよねえ。

 後で古本見つけて読んだ時には「よくこれでコバルト文庫に書ける様になったなー」という様なやっぱりがちがちの文体でしたわ。

 おそらく、コバルト文庫及びみき書房で書く時には相当「柔らかく! もっと柔らかく!」と編集さんから指導入ったと思われますよ……

 推測に過ぎませんがね!

 まあそんで、ワタシが読んでた時期のこの二人の作品傾向とかちょいと次から。

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