第23話 帰還


 懐かしのイオルコスは出発のときと姿を変えていなかった。季節は巡ってはいたがそれ以外は変わりなかった。

 アルゴ号は街中から挙がる歓声の中、最後の操船を終えて港へと係留された。


 イアソンを先頭として金の羊毛を担いだ一行がアルゴ号を下りて行くのを見て、私は安堵のため息をついた。私の役目はようやく終わったのだ。

 もう二度とアルゴ号が冒険に出ることは無いだろう。アルゴ号はギリシア一の巨船だ。これより以前も、そしてこれ以降も。

 この船にふさわしい大冒険がそうそうあるわけが無いし、アルゴ号を動かすには大量の船員と資金がいる。だからこれからはアルゴ号はこの港に係留されたまま残された年月を過ごすことになるだろう。

 大勢の観光客や巡礼で、この国は賑わうことになる。黄金の羊毛皮を見るために、そしてこの偉大なるアルゴ号を見るために。

 もしかしたら、アルゴ号は彼らの思い出深い宿泊所として、再出発するかもしれない。アルゴ・大冒険・ホテルの出来上がりだ。宣伝文句はこうだ。『冒険に夢をはせながら、波に揺られて一晩の時間を』

 イアソンはこの冒険の功績で、見事に英雄の仲間入りだ。これからはあらゆる酒場で彼の名前とアルゴ号の冒険が語られることになる。それを聞いて、ヘラクレスは歯ぎしりするかもしれないが、いくら神の力を持つヘラクレスでも、時の歯車を巻き戻すことはできはしまい。


 アルゴ号の周りに闇が降りる。その代わりに街には色とりどりの灯りが燈る。今夜はイオルコスの街は眠らずの祭りになるだろう。誰もがこの大冒険の最後の瞬間に立ち会えて幸福だ。

 今や無人となったアルゴ号の船首に、今まで宿っていた木彫りの女神像を残したまま、私はそっと船を離れて夜空へと抜け出た。

 アルゴ号の冒険で功績を得たのはアルゴナウタイたちだけではない。私もまた、やっと任務を終えることができるのだ。本体がいなくなった以上、今後、この木彫りの女神像が言葉を喋ることはない。きっとイアソンたちは、私が不機嫌で喋らなくなったのだと思うに違いない。


 私は空中で大きく伸びをした。重い木の体はもうこりごりだ。これからはどこでも好きな場所に自分で赴き、こうして自分で手にした自由を満喫しよう。世界はまだまだ美しいものや素晴らしいもので溢れている。やることは尽きないだろう。

 成し遂げたことへの誇りがやっと心に沁み入った。残念ながら、これから世界中で語られるこの大冒険の顛末に私の名前が出ることはない。


 極秘任務なのだから。


 羽虫たちが飛んで来て、そっと労いの言葉を伝えてくれる。


 ゼウス神の妻のヘラ様から。


 最初の計画通りならば、この冒険はヘラクレス最後の大航海となっていただろう。だが、それでは困るのだ。

 ヘラクレスは大神ゼウスが人間の女性との間に浮気して作った息子である。その息子がギリシア史上に残る大活躍ばかりをしては、正妻ヘラの立場はどうなる?

 いつでも手柄を立てるのは男神たちの息子だ。そのたびに、男神たちは傲慢になり、女神を軽んじるようになる。終いには、男神と人間の女性こそ最高の取り合わせだなどと言い始める始末。


 でも今日からは違う。


 ごく普通の人間たちが冒険を成し遂げた。もはや神の力など誰も必要としていないことをアルゴ探検隊は証明した。

 どの冒険物語の中でも脇役でしかない女神たちの、これはささやかな反抗だ。

 これから続く反撃の最初の一回なのだ。


 私は秘かな満足と共に、懐かしの我が家であるアルゴ号から出立した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る