第12話 眼上の敵


 大きな鉄の檻を作るのと、大きなテーブルを作るのは同時に行われた。テーブルが完成すると深夜の内にピーネウスの邸宅に運びこみ、中庭の中央に設置された。

 深夜を選んだのは、空のどこかで見ているかも知れないハルピュイアの目を恐れたためだ。ハルピュイアが鳥目なのかどうかは誰も知らなかったので、とにもかくにもやってみようという事になったのだ。

 次の日、テーブルの上にいつもより一際豪華な食事が並べられた。ピーネウスが食事のために部屋から出ると、お決まりの叫び声と共にハルピュイアたちが現れた。

 彼女たちは上空で羽を畳むと、食卓目指して急降下を開始した。地上に激突する寸前で向きを変えると、鉤爪の間に掴んでいた大きな岩を放した。

 岩の直撃を受けて、恐ろしい音を立てて食卓が吹き飛んだ。ついでに食卓の下にこっそりと仕込んでおいた木箱も衝撃で壊れ、その中に隠れていた人間たちを弾き飛ばした。


「死人が出なかったのは奇跡だ」

 アルゴ号の船内で、頭に大きなタンコブを作ったイアソンがぶつぶつと文句を言った。

「怪我人は山ほどでましたけどね」と航海長。片腕を包帯で吊っている。

「くそっ。奴ら、網の届く範囲には近寄りもしねえ」

 捕獲作戦の参加者の中で奇跡的にも一人だけ無傷で済んだ舵取りが悔しそうに言った。

 今回の作戦で一つだけ収穫があったとすれば、鳥女たちは夜目が効くということが判ったことだった。

「館の女中に聞いたんだが」航海長が怪我をした腕をさすりながら言った。「ずいぶん昔にどこかの誰かが同じ事をやっていたらしい」

 とすると知っていてピーネウスは黙っていたんだな。イアソンは心の中で密かに預言者を憎んだ。それともう一つ判ったことがある。鳥女たちは学習能力がある。ニワトリのように、三歩歩けば何もかも忘れるというわけにはいかないようだ。


 次の作戦は投げ縄だった。木立の中に偽装したアルゴナウタイたちを隠れさせ、ハルピュイアが降りて来たところを襲ったのだ。

 少なくとも投げ縄の一本はハルピュイアを捕らえることができたのだから、それほど悪い作戦ではなかった。だが、ハルピュイアは賢い生き物であるだけではなく、手ごわい怪物でもある。重い岩を抱えて空を飛べるだけの膂力があるのだから、投げ縄を掴んでいる船員を空中に引き上げると、そのまま空の彼方に運び去ってしまった。


「一人減ってしまった」

 げんなりとした顔でイアソンはつぶやいた。

「食われていなければいいが」と航海長。

「もっと恐ろしい想像もある」

 自分でも言わなければ良かったと思いながらも、言ってしまう誘惑に勝てずにイアソンは指摘した。

「あいつらの婿にされることだ」

 次に攫われる人間にだけはなるまいと誰もが思った。

「で、次はどうするんですかい」新しく舵取りの役についた男が言った。前の男とどことなく似ている。

「こうなれば、もはや甘いことは言っていられない」

 イアソンは決意した。

「毒を使おう」


 乗組員の何人かが毒の作り方を知っていた。

 さっそく街の市場で仕入れた怪しげな材料から、怪しげな毒が作られた。生きたニワトリが買って来られて、その効き目が試された。仕入れたニワトリがうまく全部が死んだので、その死体はそのまま海に投げ込まれサメの餌となった。その結果としてアルゴ号の周りにはサメの死体が無数に浮くことになってしまった。

 この時点ですでにアルゴ号の乗組員を敵と見なすようになっていたハルピュイアがこれを見逃すはずが無かった。空からアルゴ号の周りを監視していたらしく、食卓に並べられた食事をいつものように食べ散らかすことなく、その代わりに冷たい目でピーネウスを睨むだけであった。

 誰も手をつけようとしない食卓。せっかくハルピュイアに邪魔されないのに、ピーネウスが食べるわけにもいかない毒入りの食卓がひどく空しく見えたとは、アルゴナウタイの一人の感想だ。

 ピーネウスは毒入りの食事をわざわざ豪華なカゴに盛りつけると、アルゴ号に送りつけて来た。おまけにハルピュイアに至っては船上のイアソン目がけて上空から糞をひり落としてくる始末。

 その糞は危ういところで船首の女神像に命中するところだった。

 それを見ていたイアソンは話を続けた。

「次は弓矢を使おうと思う」

 女神像が上空を睨みながら眉をひそめた。ハルピュイアの次の爆撃に備えている。

「生け捕りにするという案はどうなったのです?」

「諦めた」イアソンは嘆息した。

「大概のアイデアは出尽くした。普通の人間の俺たちから出るアイデアはどれも今までも誰かが試している。そしてあの鳥女たちはそれをどれも良く覚えていて、対策を練っている。ああ、ここにあの羽の生えた兄弟たちがいてくれたらなあ」

 イアソンが言っているのはカライスとゼーテースの兄弟だ。どちらも風の神の子供で、空を飛ぶ能力を持っている。彼らは大英雄ヘラクレスの報復を恐れて文字通りに飛んで逃げた。

「ここにいるメンバーで普通でないのは私ぐらいのものですからね」女神像が自慢した。

「だいたい、ここで武器の類を持ちだしても、鳥女と人間間の戦争が勃発するだけです。彼女たちは虹の女神の親戚。つまりは天空の神ゼウス様の配下ということになります。殺したら厄介なことになりますよ」

 冷たい声で付け加えてから、女神像は小首を傾げた。

「一番いいのは鳥女たちを捕まえてしまうことです。網も縄も届かないなら、薬を使うしかないですね」

「色々試したが駄目だったんだ。あいつら毒には警戒している。人間の頭を持つだけあって賢いんだ。ピーネウスが食べるのを見るまで食べ物の横取りはしないんだ。かと言って毒入りの食べ物をピーネウスに食べさせるわけにはいかないし」

「毒は駄目でしょうね。でもイアソン。あなた一つ勘違いしているわ」

「勘違い?」

「彼女たちが人間の賢さを持っているというところ。本当に人間の頭脳を持っていたら、あそこまで下品にはならないものよ」

 女神像はすぐ近くの甲板に落ちている鳥女たちの落し物を顎で示した。

「イアソン。あなたが責任をもって片づけてね。私はここから動けないのよ」

「それは後で船員にやらせるよ」イアソンは言い訳した。

 汚れ仕事を自分でやろうと言わない辺り、すでに英雄の片鱗が表れている。

「私が言いたいのはこういうことよ。ハルピュイアたちは賢く見えるけど、その賢さは獣の域を出ていない。獣は生き延びることにかけては驚くべき知恵を見せるものよ。毒にかからないのもそうだし、敵の手が届く範囲に来ないのも、獣の本能よ」

 イアソンは頭がくらくらするのを感じた。女神像が何を言いたいのか良く判らない。

「だから獣の本能が働かないところで罠を仕掛ければいいのよ。毒は駄目。でも毒でなければ、ピーネウスも食べられるし、それを見たハルピュイアも食べる」

「でも毒でなければハルピュイアは弱らない。弱らなければ捕まえられない」

「そうでも無いわよ」女神はほほ笑んだ。「あなたの故郷で鳥を捕まえるのにはどうやっていました?」



 ピーネウスの邸宅の中庭にまた新たに食卓が設えられた。続けてこれ以上は無いというほどの御馳走がその上に並べられた。最後に現れたのがピーネウスである。杖で地面を探りながら、食卓に設えられた唯一の椅子に座った。

 空から怪鳥の叫びが聞こえて来た。複数だ。御馳走をすべて食いつくそうと、全軍集めてのお出ましだ。食卓の上で旋回してアルゴナウタイたちが隠れていないことを確認してから、食卓の上に着地した。ハルピュイアたちは悪びれる様子も見せずにピーネウスの前に集まると、彼が食事を始めるのを待った。まずはお毒見役のお仕事だ。

 ピーネウスが手探りで食卓上の食べ物に手を伸ばすと、一口齧りついた。ハルピュイアの一匹が鉤爪のついた足を伸ばすと、素早くそれをひったくる。その匂いを嗅いで一瞬動きを止めると、ピーネウスの顔を覗きこむ。それから彼が平気な顔をしているのを確認すると、食物を貪り食った。

 中庭の隅に隠れているイアソンは、思わず勝利の叫び声を挙げそうになった。

 ピーネウスが次の食べ物に手を伸ばす。別のハルピュイアが同じ行動を繰り返す。最初は恐る恐る。やがてピーネウスが手を伸ばすより先に食べ物を奪い取るようになり、最後には彼を無視して、食卓を荒らし始めた。

 すでにピーネウスの顔は真っ赤だ。よろよろと食卓から離れると、芝生の上に座り込んだ。

 ハルピュイアたちもふらつき始めた。それでも食べ物を漁るをの止めない。鳥女たちの顔も赤く染まっている。

 食べ物すべての調理に強い酒が使ってある。どれを食べても、酔っぱらう。飲み物は酒だけだ。食えば食うほど、飲めば飲むほど、酒が回る。酒に浸した穀物を撒いてスズメを捕まえるように、酒に浸した食い物でハルピュイアを捕まえる。作戦は大成功だ。

 酒臭い息をまき散らしながら、ハルピュイアの一匹が座り込んだ。近くの壺に羽を伸ばすと、その中のワインを口飲みする。普段、ハルピュイアのような怪物が酒を口にすることはない。だから一度飲み始めると、酒を飲むのを止められない。酔うことの恐ろしさを欠片も知らないのだから。

 頃合い良しとみて、アルゴナウタイたちが隠れ家から出ると、酔っぱらったハルピュイアたちが逃げられないように網をかけた。鳥女たちは深い酔いの中で寝込んでいる。一匹だけまだ意識があって、網を避けて逃げようとしたが、ふらつく体を抑えきれずに転倒すると、そのまま意識を失った。

「作戦成功だな」酒に酔った赤い顔でピーネウスが感想を述べた。

「鳥頭とは良く言ったもんだ。スズメよりも大きくても行動はスズメ並みとは」

 事態を最初から見ていた航海長が言った。

「いやいや。人間も酒に酔って騒ぎを起こす。笑えんな」

 正体無く眠りこけた四匹のハルピュイアたちを鉄の檻の中に閉じ込めると、それを満足気な顔で眺めているピーネウスの前に立ってイアソンは宣言した。

「俺たちの未来を教えてもらおう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る