第7話 島からの脱出


 闇色に染まった空に星々が浮かび上がり、深い夜を貫いて、やがて朝が立ちあがった。


 イアソンを先頭に船の主だった者たちが、すっきりした顔つきで帰って来たのを、アルゴ号の船首の女神像は冷たく横目で睨むと、後はまるっきり無視した。

 イアソンはじめ先に戻って来た連中は、前日の手はず通りに皆が船の各所に散らばった。

 昇降口にはイアソンとその他屈強な男たちが棍棒を手に待ち構え、航海長は舵を握る。帆を張る係はいつでも帆が張れるようになっているのを確認してから、帆を動かすための労働力が到着するのを待つ。残りの連中は甲板に待機した。

 アルゴ号に備え付けられている大きな銅鑼が鳴り始めた。この銅鑼は本来オールを漕ぐ調子を合わせるためのものだが、今は別の用途に使っている。これから鳴る銅鑼の数は全部で百だ。百を数えた時点でアルゴ号は出港する。早い内に帰って来た者は帆を張るのを手伝い、遅れた者はそのまま船倉に送られて一番の苦役であるオール漕ぎをやらされる羽目になる。

 特等席を得ようと、ズボンも履かずに帰って来た男が先頭だ。すぐに船の上に上がって帆を張る係につく。

 銅鑼が鳴り始めて二番目に帰って来た男は、女の手を引いていた。

「この女は違うんだ。そういうのじゃ・・」

 そこまでで十分。そっと背後に忍び寄った待ち伏せ隊の男の棍棒が振りおろされ、気絶した男は船に担がれていった。逃げないように足に鎖を嵌めて、オールの漕ぎ手の栄えある一人目としての漕ぎ手椅子に座らされた。男が連れて来た女はそのまま追い返された。

 いかなる理由があろうとも、島の女たちはアルゴ号には乗せてはならない。

 これも前日の取り決めだ。女房を寝取られた島の男たちは船までは押し寄せるかも知れない。だが、もし島の女が攫われたとなれば、島の男たちは徒党を組んで、どこまでもどこまでも執念深く追って来ることになるだろう。あくまでもこの島でのことは、島の中だけのことに止めないといけない。


 ギリシア人ならだれでも知っているトロイヤ戦争は女の誘拐から始まっている。アルゴ号の冒険に女を絡める気はイアソンには無かった。

 まだ、この時点では。


 銅鑼は次々と打ち鳴らされ、アルゴ号の乗組員たちが必死の、そしてどこかすっきりとした表情で船へと走って帰って来る。銅鑼が百鳴らされれば船は出港し、そのときに島に残された者は怒れる島の男たちの怒りを一身に受けることになるという命懸けのレースだ。あれだけ言い聞かせたにも関わらず女性連れで帰って来るものも多かったが、その全ての頭上に棍棒が振りおろされ、気絶した男たちが次々とオール漕ぎへと送りこまれる。少しでも頭の働く男は船に着く前に女に別れを告げて一人で乗降口へとやって来る。

「いまので百だ~」銅鑼係が叫んだ。

 イアソンが出港の合図をする。

 帆が広げられ風を一杯にはらむ。百本のオールが上がりそして下がる。

 アルゴ号は重々しく動き始めた。

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