第15.5話




 ここ数日、ハウエルは全く仕事に集中できていなかった。できるはずもない。何故なら想い人が求婚してきた相手の護衛任務などというものをしているからである。


(ああくそ、気になる。あのロイドとかいう騎士も一緒だろ。なんでレイリンの周りにこうも集まって……っ)


 彼女が魅力的なので仕方がないといえば仕方がないかもしれない。そして告白もしないでうだうだと悩んでいる自分に、こんなことを考える資格すらないのかもしれない。それでも気になるものは気になるのである。


(だって、告白できるわけないだろ。……ついこの前まで、仲悪かったんだぞ)


 レイリンが瀕死の重体となった日。あれから急に昔のような関係に戻った。しかしそれまでハウエルの気持ちは彼女に伝わることはなかったはずだ。ハウエルの態度は以前と変わらないのにレイリンの受け取り方が急に変わった理由は分からないまま、この環境に甘えている自覚もあった。


(……謝るべき、だ。厳しい言い方をしてごめんって。本当は心配なだけで、君が好きだから上手く言えなかったんだって……)


 謝る機会、好意を告げる機会。どちらも上手く見つけられない。なんだかんだ事件が立て続けに起こるのでレイリンも忙しそうにしている。彼女の余裕がある時にそれは言うべきだと考えているもののタイミングを逃し続けていた。

 そんなことをぐるぐると考えてしまって新しい魔法陣が全く思い浮かばない。考案は諦め、息抜きで作っていた何の役にも立ちそうにない魔道具を取り出す。魔法研究の息抜きに別の魔法の研究をして生まれた魔道具たちである。


(こんな娯楽品を欲しがるなんて商人は変わってる。魔力を溜めた魔法石でもなければ使えないし、それならもっと便利なものを欲しがればいいのに)


 今日もそんな変わった商談の予定が入っていた。ハウエルにとっては殆どガラクタ同然だがそれでも欲しがる人間はいる。特に執着もないし、欲しいと言われれば売るだけだ。国防に関わらない、娯楽系の魔道具は流通に制限がないため他国に売っても構わない。


(……そう言えばこんなのも作ったな。景色を部屋に映し出す魔道具)


 これはすでに個人的に使ってしまい映し出す景色が固定されているため、商人には見せないでおこうと別に分けておいた。その他、小鳥のさえずりや音楽を流すもの、色が変わっていく照明などの売ってもいい魔道具を整備しておく。どれも問題なく動きそうだ。

 そうして過ごしていると入り口のドアがノックされ、聞きなれた伝令係の声が来客を告げる。広げた魔道具から離れて扉を開け、客を招き入れようとした。



「は……?」



 伝令係の他の客は三人で、知らない顔は一つだけだった。ほんの少し困り顔のレイリン、いつ見ても真面目腐った顔をした騎士ロイド。その二人と一緒にいるのだから、穏やかに微笑む浅黒い肌のこの男がレイリンに求婚した他国の商人に違いない。



「お約束しておりました、デルセアのルナンダと申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします」


(こいつか……!!)



 拳を包み優雅に一礼して見せる男に対しふつふつと怒りが湧いてきた。商談があるのは知っていたが相手がまさかレイリンに求婚した商人だとは思わなかった。彼女から存外若かった、とは聞いていたけれど本当に若い。おそらく同世代である。それが余計にハウエルの胸をざわつかせた。

 大商人となればそれなりに歳を重ねているもので、それならレイリンも好意を向けることはないのではないかと思ってもいた。それが異国情緒あふれる美青年だったのだからハウエルの動揺は必至である。



「…………とりあえず入って」



 本当は室内に招き入れたくもない。しかしレイリンもいるのでそういう訳にもいかず、渋々部屋の中に通した。

 商人を睨みそうになるのを必死に堪え、ソファに腰を下ろして目を閉じる。レイリンの前で取り乱し、情けない姿を晒したくはない。



「そこに並べてるの、好きに見ていいから」


「ありがとうございます、ハウエル様。……説明をお聞きしてもよろしいでしょうか?」



 君に説明することなんてない。という言葉は口にしなかったが非常に面倒臭くて仕方がない。求婚を受け入れてほしくて想い人を長時間傍に置く男に対して丁寧な対応ができるほど、ハウエルの心は広くなかった。狭量なのは分かっている。しかし、好きな人にだって上手く接することが出来ないのに恋敵に優しくできるはずがないだろう。



「こちらの道具は、どのようなものでしょう?」


「……それは音が流れる」



 大きな花が開いたような形をした魔道具を手に取ったルナンダは笑顔を崩さないが、ハウエルの態度に戸惑っているに違いない。数秒間無言の気まずい空気が流れた。それを壊したのはレイリンだった。



「へぇ、初めて見た。どんな音が流れるんだ?」


「……最初に録音した音だよ。小鳥のさえずりでも虫の音でも、川のせせらぎでも好きな音を入れればいい。でも大抵は楽団の演奏を録音して流す使い方をするんじゃないかと思う」



 想定している使い方を説明した。レイリンに訊かれて答えない、なんてことはあり得ない。彼女が自分の作ったものに興味を示してくれるのは、嬉しかった。ルナンダの方が喜んだ顔でレイリンに視線を向けるのが心底気に食わないが、レイリンの視線は魔道具に向いていたので少し溜飲が下がった。



「なるほど。……伝えたい言葉を閉じ込めて、誰かに届けてもいいな。手紙のように」



 その使い方は考えていなかった。好きな相手の声がいつでも聴ければ、それが好ましい内容であれば、とても嬉しいかもしれない。


(……夜にレイリンがいなくて……少し、寂しいんだよな)


 護衛任務の短い期間だけ彼女はこの家で暮らした。朝目が覚めて、夜眠るまでの時間を共に過ごし、最初に見て、最後に見るのが好きな人の顔だった。確かに全く落ち着かないし、研究には集中できなかったけれど充実した時間だったと思う。彼女が帰った日から一人の静かな夜がどうしても、何か足りないような気がしてならないのだ。

 もし、レイリンの声を聞ける魔道具があるならその寂しさも少しは誤魔化せるのではないかという考えがよぎってしまう。そんな相手は居心地が悪そうに首元を掻いていた。最近よく見る仕草だ。


(昔は困った時とかによくやってなかったっけ)


 それは子供の頃のことであって、今は違うのかもしれない。自分も彼女も大人になって様々な変化があっただろう。……ただ、ハウエルの気持ちは昔から全く変わっていないが。



「ハウエル。こっちはなんだ?」


「それは照明だけど、色が変わる。……見せた方が早いな」


「この部分に魔力を込めればいいのか? ……ああ、優しい光だな」



 商談の相手であるルナンダではなく、レイリンがあれこれと魔道具について質問してくるのでハウエルもすらすらと答えることができた。おそらくルナンダもそうした方がいいと判断したのだろう。出している道具全てを説明し終わった後、気配を消して静かに二人のやり取りを見守っていたことに気づくまで存在を忘れていた。



「すべて買い取らせていただきたく存じます」


「……いいけど。使うならそれなりに魔力が要るからな」


「問題ございません。最近は貴族の間で魔力持ちを雇い、こういう道具を使用するのが流行りなのです。あればあるだけ売れていきます」



 ゴルナゴに貴族という身分制度はなく、あるのは有用な魔法使いほど重宝されやすい仕組みである。しかし他国には生まれた家柄だけで権力を得る人間がいるらしい。そういう人間にとって魔道具は見栄を張る道具の一つなのだと説明を受けたが実感は湧かない。ハウエルは外の国など知らないし、知る必要は一生ないだろうから興味もなかった。

 大魔導士となった以上、この国と崩壊と共に死ぬか繁栄の中で寿命を迎えるかのどちらかの運命になるはずだ。どちらにせよこの魔塔の地下で生きて死ぬ以外の未来は訪れない。

 ただ、そこに。その決まった未来の中に、炎のような輝きの幼馴染が居てくれたら幸福だと願うだけで。他のことはどうでも良かった。


 ハウエルの言い値を気前よく払って、出していた魔道具全てを回収していく様子を眺める。いや、正確にはその指示を出しているルナンダの向こう側にいるレイリンを眺めていた。


(……なんであの騎士はわざわざレイリンと商人の間に入るんだ。やっぱりあいつもレイリンが好きで、邪魔してるのか?)


 ロイドはあまりレイリンと話さず、ルナンダを彼女から引き離そうとしているようにも見えた。レイリンに話しかけようとする彼を小さな用事で呼んだり、話しかけたりしている。そうして一人になったレイリンは時折ハウエルに視線を向け、苦笑したり微笑んだりする。……苦笑はともかく突然微笑まれるのはまだ慣れないので心臓がおかしな音を立てた。



「では、ハウエル様。本日は良いお取引をありがとうございました。また来年も訪れますので、その時もぜひお取引を」


(来年もかよ。……レイリンに求婚し続けるつもりじゃないだろうな)



 内心でとてつもなく拒絶したい気持ちになった。しかし彼の取引自体は丁寧で何問題もなかったのに、二度と来るなと追い返す訳にもいかない。とりあえず無言で頷いて返したものの、やはり二度と来ないでほしいという思いは消えないままだ。



「ハウエル。……またあとでな」


「……うん。じゃあ、気を付けて」



 そんな憂鬱は去り際のレイリンの一言で吹き飛んでしまうような軽いものではあったけれど。今のところ、ロイドよりもルナンダよりも、レイリンが自分のことを見てくれているのは間違いないと思う。そこに一瞬優越感のようなものを覚えてしまって、そんな自分がどうしようもなく小さな人間であると突きつけられ、ため息を吐いた。

 国の英雄であり、皆の憧れであり、猛き炎のような光。そんな彼女の隣に居て恥ずかしくない、相応しい人間にはどうすればなれるのだろう。彼女をまともに守れたことすらない。


(……新しい防御魔法は、魔力のあるものしか防げない。物理的な攻撃を防ぐにはどうしたらいいか、それを考えてみるか。レイリンが来るまで時間あるし)


 執務机に向かったハウエルは好きな相手と共に過ごす夕食に思考を持って行かれそうになりながらその雑念を追い払い、新しい魔法の考案を始めた。


 そして、その日の夕方。いつも通りの時間になっても、それを過ぎても、レイリンは訪れなかった。


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