第2話



 内側とは違い、門の外には未開の自然が広がっている。ここは街の北側だが、他の三方位の門から出ても似たような光景だ。魔力が豊富な場所というのはそれだけ動植物が繁殖しやすく、人間の手が入らない場所はすぐにそれらのものに支配されてしまう。そしてそれらの中でも食物連鎖の頂点に立つのは魔獣で、奴らは食欲が旺盛で魔力に敏感だ。多くの魔力が溢れる人間の都市に突撃してくるのはそのためである。

 一般人では到底太刀打ちできないその危険な獣を間引き、市民の安全な暮らしを守るのは騎士団の重要な役目なのだ。



「俺たちは北西へ行く」


「なら私達は北東だな。行くぞ」



 部下の張り切った声を受けて森の中を進む。街の近くに巣など作られてはたまらない。北門に続く道は二手に分かれているので私とキースもそれぞれの隊を分けて行動することにした。

 人が通る道の近辺は特に念入りに捜索する。危険を冒してでもこの国を訪れ商売をしたい人間も大勢いるし、その逆もまたしかり。流通は我が国にとっても重要なもので、国民の豊かな暮らしのために守るべきものである。


 魔獣を探しながらふと、違和感を覚えた。そこに居た形跡はあるのに全く魔獣が見当たらないのだ。痕跡は古くはないので確実に近くにいるはずなのに、気配がまるで感じられなかった。魔法で五感を研ぎ澄ましても近くにはいない。



「おかしいな……この辺りの魔獣はどこへ行ったのか……」



 さらに五感を強化して捜索範囲を広げていく。そんな私の耳に「レイリン!」と叫ぶキースの声が入った。この辺りは静かなものだが、キースの隊が向かった西側の辺りはなにやら騒がしい。

 そちらに意識を向けてみれば大量の足音、唸り声、人間の怒鳴り声――混乱した戦場の気配がした。そして兵士たちから信じられない声が次々に届く。大群だ、魔獣行進だ、という声が。


(この時期に魔獣行進などありえるのか……!?)


 それは数年に一度、魔獣の繁殖期である秋に起こる現象だ。通常は親子で五体程の群れで活動する魔獣たちが、繁殖のために百から三百程の巨大な群れとなって集団で行動し、辺りの恵みを食い荒らし、街へと突撃してくる。普段ならそれには兆候があり、発生時期に合わせて大きな軍隊を編成し対応するもので、騎士のほとんどが動員されることになるような災害。それがなぜ、今起きたのか。


(考えている暇はないな)


 対応が遅れればキースの隊が全滅してしまう。私だけでも先に行くべきだ。それに、防壁を攻撃する魔獣が増えれば増えるほどそれを維持するためにハウエルの魔力が必要になる。魔力の使い過ぎは寿命を削るのだ。しかしそれでも、ハウエルは魔力を注ぎ続けなければならない。……そんなことはさせられない。



「六番隊は戻って連絡へ急げ!! 私はキース隊の援護へ行く、残りは防壁に向かいそちらの魔獣を処理しろ! しかし命優先、危険な場合は内側へ!」


「は! ご武運を!」



 指示を残して音のする方へと駆けた。そう離れた場所でもないためすぐにその惨状へとたどり着く。そこはまさに、惨状だった。地面も草も低木も赤く染まり、魔獣と人間だったものがあたりに転がっている。

 犬のような魔獣にかぶりつかれそうになっている兵士が一人、それに青ざめる他の兵士が四人、生き残っているだけだった。キースの姿は見えない。

 剣を抜いてすぐに切りかかり、魔獣の首を落とす。腰が抜けて震える兵士の前に立ち、前を見据えた。



「立てるなら防壁内へ逃げるか、五人で背を預けて戦え。もしくは防壁に向かって私の隊と合流しろ。守ってやれるか分からん」



 先ほどの犬の魔獣はまだ小さかった。魔獣行進ではまず、小型で足の速い魔獣が先頭を走る。続いて中型と大型の混合の群れ、そして最終的に大型だけの群れが現れるはずだ。今の魔獣が小型であったことを考えれば、この群れはまだ序盤の弱い魔獣しか現れていない。街へ向かっているのは小型の、一般兵でも処理できるようなもののはずだ。


(それにキースがやられたとは考えにくいが……いや、予想外の行進で混乱があったのか)


 キースの隊は明らかに気が抜けていた。そこへ奇襲を受けて隊が崩れ、混乱の最中にキースを失ったなら三十人の兵士が五人にまで減っていてもおかしくはない。小型とはいえ魔獣は魔獣。数で押されれば一般兵は一たまりもないだろう。火の攻撃魔法を使えるキースさえ残っていればこれほどの被害はおそらくなかった。

 しかしあたりに彼の魔法を使った形跡がない。火の痕跡が見えないのだ。……魔法を使う前に、命を落としたのか。二百人ほどしかいない騎士の損失はなかなかの痛手だ。


(さて。私がやるべきことは……ここで戦うことだろうな)


 すでにこの場を通り過ぎて街へ向かってしまった魔獣を追うのは後から到着する部下に任せるとして、問題は森の奥から続々と姿を見せている中型と大型の魔獣たちだ。体の大きな魔獣は総じて力が強い。

 さすがに一人では厳しいと眉を潜めた。しかし、逃げる訳にはいかない。防壁に大量の魔獣が押し寄せればそれだけハウエルに負担がかかり、彼の魔力が足りなくなれば防壁は消え、国民が大勢死ぬだろう。


(他の騎士が到着するまでの時間稼ぎにはなるか。まあ……百体は余裕で超えているな。あれを狩れば今期も私が魔獣討伐の第一功に違いない)


 口元に笑みを浮かべたのは己への鼓舞。ぞろぞろと向かってくる魔物の群れに単身飛び込んだ。魔獣に特定の形はない。何かしらの動物に似ていれば、それに近い動きをするというくらいで。

 熊の魔獣の振り降ろされる爪を避け、それを足場に飛び上がり脳天に剣を突き立てた。魔獣の弱点は総じて頭である。そこさえ破壊できれば動きをとめるのだ。熊のバランスが崩れたところでその背後から狼が飛び出してくる。鋭い牙を剣で受け止め、その首元に思い切り膝を打ち込めば吹き飛んでいった。


 魔獣は次々と襲い掛かってくる。それらを避け、受け、切り裂き、どれほどの時間が経ったか分からない。視界が赤いのは私の血なのか魔獣の血なのか。目に入った血のせいで視界が悪くなっても問題ない。息遣いや足音と、肌に触れる空気の感覚で敵の位置は分かる。これだけ魔獣の血を浴びていれば、やつらは私を脅威と見て勝手に襲い掛かってくるだろうから。


 どれほどそうして戦っていたか分からない。随分長かったような気もするし、短かったような気もする。右手の感覚はないし、腹のあたりがらぼたぼたと何かが外へ流れ出ている。しかしようやく何も襲い掛かってくるものはなくなった。それを自覚した途端、私は意識を手放した。



(……ん……ここは……)


 深く沈んで消えそうになっていたところを、誰かが引っ張り上げてくれたような。背中を押して戻されたような、奇妙な感覚が残っている。やがて周りが明るくなってきて、私は目を開けた。



「……やっと目が覚めた」



 白い天井が見える。薬品のにおいが漂っているのでおそらく病院だろう。聞きなれた声に目を向けると隣には何故かハウエルが座っており、鋭い剣のような銀の瞳と目が合った。何故、魔塔に居るはずの彼が病院などにいるのか。私を嫌っている彼が見舞いに来るとは思えないので指輪の回収にきたのか、まさかわざわざ嫌味を言いに来たということはないだろうな、などと考えながらぼんやりと眺めているといつもの嫌味が始まった。

 体の不調を感じているしそれを聞き流せるような元気はない。さすがに今は勘弁してくれ。そう思ったが予想外のものが見えて固まった。



「まったく、だから君は……騎士なんてやめろと言っているのに。命知らずの死にたがりか?」

【僕がどれだけ心配したと思っているんだ。頼むから無茶はやめてくれよ】



 ハウエルの横に見たこともない枠が浮いており、その中には私の身を案じているような文章が書かれている。……これは、一体なんだろう。


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