ポンコツサキュバスと冴えない店主【全年齢版】
ドラ八
第1話 ポンコツサキュバス雇いました・前
椅子に座って天井を眺めながら、俺は途方に暮れていた。
ここはベルゲリンク大陸の南東に位置する大都市フローディア――から少し外れた場所にある、何の変哲も無い宿屋である。
何の変哲も無いが故に、わざわざ市民が食事に訪れる事もないし、疲れ切った冒険者でさえも、目と鼻の先にあるフローディアの宿屋に足を運んでしまう始末だ。
そんなわけで、店は今日も閑古鳥が鳴いている。
生憎の雨模様も手伝って、お客さんが来るどころか、店の前を通る気配すら感じられなかった。
「はぁ……やっぱりこんな場所に店を構えたのは間違いだったか……」
結果として、この三ヶ月は、自分の考えの甘さを思い知らされた期間だった。
街はずれに店を出すリスクは承知していたが、初期費用を大幅に抑えられる事が、当時の俺にとってはなにより魅力的に映った。
立地が悪くても繁盛している店はごまんとあるし、やる気さえあれば、絶対に店は軌道に乗るはずだ。
……などと思っていた自分を殴ってやりたい。
根拠のない自信は、金と共にあっという間に溶けて無くなり、残ったのは多額の借金と、やつれきった顔の情けない男だけである。
「店を畳むしかないな……」
折角開いた店を潰すわけにはいかないと、色々と試行錯誤を重ねてみたが、悉く失敗に終ってしまった。
いくら楽天的な俺でも、この現状には弱音しか出てこない。
維持費も馬鹿にならないし、悔しいが撤退するのが賢明だろう。
――ゴロゴロッ! ピシャーンッ!!
「うおぉっ!?」
咄嗟に窓から外を見遣る。どうやら近くに雷が落ちたらしい。
「あービックリした……ったく、人が考え事してる時に」
いつの間にか、雨足は更に強まっていた。
「これ以上開けていてもしょうがないか。もう店仕舞いして、今後の身の振り方をゆっくり考え……ん?」
ふと気づく。
この土砂降りの中を、傘もささずに歩いている人影が一つ。
シルエットから察するに女性だろうか。
ふらふらと項垂れた様子を見ていると、何かしらの災難が彼女の身に降りかかった事は想像に難くない。
気の毒ではあるが、お客さんではないみたいだし、俺ができる事は何もないか。
そう思いながら、俺はドアに鍵を掛け――
「…………くそっ」
鍵を掛けようとしたドアを勢いよく開き、俺は店の外に飛び出した。
刺すような大粒の雨を手で防ぎながら、ぬかるむ地面を懸命に蹴り続ける。
「おーい! そこの人ーーっ!!」
「……ふぇっ!? な……な……何……っ!?」
「いいから早くこっちに!」
言うが早いか、俺は女性の腕を掴み、踵を返して走り出した。
「えっ! ちょ……ちょっと……きゃあぁぁ~~っ!!」
――バシャバシャバシャッ! ギィッ! バタンッ!
「はぁ……はぁ……タオルを……っ」
大急ぎで店内に雪崩れ込む。
時間にすれば一分程度だろうか。たったそれだけで全身びしょ濡れである。
「ちょ……ちょっとアンタ! いきなり何するのよっ!」
「すいません。おせっかいだとは思ったんですけど、こんな土砂降りの中で傘もさしてなかったので、つい……」
カウンターの上に置いていたタオルで顔を拭いながら俺は言う。
「ついじゃないしっ! いきなりこんなところに連れてこられたボクの気持ちを考えなさいよ!」
「ああ、お代でしたら結構です。どうぞ雨が止むまでくつろいでください」
「ち~が~う~っ!! ボクが言いたいのはそういう事じゃなくて!」
「これは失礼しました。タオルをお渡しするのを忘れていましたね。はい、これをどう――」
タオルを渡すために振り返る。
瞬間、俺は息を吞んだ。
何故ならそこにいたのは、明らかに人間とは違うモノだったからだ。
「もしかして君……魔族?」
一見すると、まだ幼さが残る可愛らしい少女。しかし透き通るような長い銀髪から、異質ともいえる角が二本飛び出ていた。
黒いビキニに収まっている、片手では持て余しそうな乳房よりも、その背後から覗く蝙蝠のような羽と、うねうねと動く細長い尻尾に目を奪われてしまう。
そして艶めくような白い肌とは対照的に、紫色の紋様が下腹部に刻まれている。
実際に魔族というものを見るのは初めてだったが、目の前にいる少女がそれなのだと、直感的に理解した。
「そ……そうだよ。何? もしかしてボクの姿を見て怖くなった?」
ふふんと、びしょ濡れの魔族は胸を張りながら鼻を鳴らす。
「いや、本当に魔族っているんだなって思ってさ。ちょっと関心しただけだ」
「なっ!? なにそれっ! 魔族は人間の天敵なんだよ! 少しは怖がったらどうなのっ!?」
肩を怒らせながら彼女は言う。
まぁ確かに、魔族は人間に仇なすものとされている。
しかし、それこそ濡れた子犬のように情けない感じになっている
「うーん……とりあえず一つ聞くけどさ、君は俺に危害を加えるつもりがあるの?」
「え……そ、そんなつもりはないけど……」
「だったら怖がる必要はないな。ほら、このタオルで体拭いて。風邪ひくぞ」
「あっ……う、うん……ていうか、魔族は風邪なんかひかないし!」
「そうかそうか。じゃあ温かい飲み物淹れてくるから、そこに座って大人しく待っててくれ」
「むうぅ~~っ! もうっ!! 一体何なのよアンタはっ!!」
憤慨する魔族もそこそこに、俺はカウンターへと足を運ぶ。
「それで? 魔族の君がどうしてこんな所を歩いてたんだ?」
「べ……別に……そんなのボクの勝手でしょ」
タオルで体をふきながら、罰が悪そうに呟いた。
「まぁ、それもそうだな」
「え……聞かないの? ここまで強引に引っ張ってきたくせに……」
「それとこれとは関係ない。けど、話したいなら聞いてやってもいいぞ」
熱々のカップをテーブルに置きながら俺は言う。
「何その態度。すっごいムカつくんだけどっ!」
「あぁすまん。そんなつもりじゃ無かったんだ。さっきも言ったけど、雨が止むまでここにいていいからさ。それまで好きに過ごしてくれ。それじゃあな」
「ちょ……ちょっと! どこに行くのよ!」
「いや、部屋に戻ろうと思って」
「どうしてよ。ボクの話を聞いてくれるんでしょ?」
「だって話したくないんだろ?」
「話したくないよ……。でも、人間に借りは作りたくないの。だからこれは雨宿り代。話してあげるからそこに座りなさいよ」
「はぁ……じゃあ……」
言われた通り、俺はしぶしぶ椅子に座る。
人間だからどうとかではなく、ただ単純に、誰かに話を聞いて貰いたいだけのような気がするんだが……。
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