共感者

ま行

現れた男

 俺は一仕事終えて足早に帰路につく、今日の仕事は上手くいった。早く家に帰って、熱いシャワーを浴びて一杯やりたい。そんな上々な気分で歩いていると、ビルの路地からぬるりと滑るように一人の男が現れた。酷く不気味な顔色で、口元に薄ら笑いを浮かべながら、その男は俺に話しかけてきた。

「どうもこんばんは、いい夜ですね。思わず僕も上機嫌になってしまいますよ」

 怪しげな男は見た目とは裏腹に、やけに陽気な口調で話しかけてきた。

「ええ、そうですね。では私はこれで」

 怪しい男だ、関わり合いになりたくないと適当な受け答えだけ返して歩き去ろうとする。

「そうでしょうそうでしょう、月もなく暗くて人も少ない、とてもいい夜ですよね」

 それでも尚、そいつは俺に話しかけてくる。面倒な奴だ。

「失礼ですが、私は仕事を終えて疲れている。貴方の話し相手をしてやる暇はないんだ。そこをどいてもらおうか」

 きつめに叱りつけると、そいつは何故か、嬉しそうに不気味なにやけ顔を歪ませた。

「そうでしょうとも、見れば分かりますよ。お仕事の方は大分上手くいったようですね、さぞ気分もよろしいでしょう」

「ほう、分かるか?本当に見ただけでそんな事が分かるものかね」

「分かりますよ、僕には見る目もあって感が鋭いんです」

 何なのだこの男は、急に現れて話しかけてきて、さらには自慢話まで始めるとは、大分危ないやつだ。

「そいつは大変結構、しかし先ほども言ったように私はさっさと帰りたいんだ。その鋭い感で分からないものか?」

 これだけ嫌味たらしく言ってやれば、こいつもさすがに引き下がるだろう。俺は変な奴に絡まれてすっかり気分が悪くなってしまった。

「僕みたいな奴に絡まれていい気分も台無しですね。そんな事を思ったのでは?」

 一瞬どきりとした。こいつ俺が思ったことをすらりと言ってきた。少し驚いたが、ちょっと冷静に思えば分かる事だ。

「お前みたいなやつに絡まれれば誰だってそう思う事だ。それをさも自分の手柄のように語って恥ずかしくないのか?」

「ははは、手厳しい」

「おい、これ以上からかってくるようなら流石に俺も怒るぞ」

「いえいえ、滅相もない。こんないい夜に楽しい語らい、僕は嬉しくて喜んでいるんですよ」

 駄目だ話にならない、俺はポケットから携帯電話を取り出して脅しつけるように男に話しかける。

「もう我慢ならん、いい加減にしないと警察に通報してやる」

 これならあっさりと引き下がるだろうと思っていたら、その男は怯むどころか余裕の笑みを浮かべた。

「どうぞ呼んでください、呼べるものならね」

 こいつは一体何なんだ。不気味で仕方がないが俺は携帯電話をしまった。

「もういい、警察を呼べばさらに時間がかかりそうだ。お前のために事情聴取や煩雑な手続きに付き合ってられるか」

「賢明ですね」

「お前何が目的だ?俺の帰宅を邪魔するのが目的なら、もう充分叶っただろ。金や物取りが目的ならこんなに長々とお喋りする馬鹿はいない、顔や特徴をしっかりと覚える時間があったからな」

 男は俺の物言いを聞いて楽しそうに拍手した。

「いやあ、素晴らしい。貴方中々に切れ者だ」

「馬鹿め、こんなことは誰だって思いつくさ。それとも何か?殺しが目的か?暗がりで人もいない、好条件だ。しかし俺もただでは殺されないぞ、思いっきり抵抗してお前を道連れにしてやる」

 俺が反論し語気を強める程、この男は楽しそうにする。嫌な奴に絡まれてしまった。最高の気分だったのに今じゃもう最低の気分だ。

「目的と言うほど大層な理由があって声をかけたのではございません。僕は貴方にシンパシーを感じたのです。僕には貴方の行動や感情が手に取るように分かる」

「そんな人間居るものかよ」

「居るところには居るものですよ、世の中には不思議がいっぱいですねえ」

 俺はますます気分が悪くなってきた。こいつ如きに俺の何が分かるって言うんだ。俺を理解し共感するなんて馬鹿げた話だ。

「それで僕は嬉しくなってしまいまして、共感できる人や思考が似通った人と出会える機会なんて、人生でそう多くありませんから、もしよろしければ今から二人で飲みにでも行きませんか?丁度一杯やりたい気分だったでしょう?」

「やっぱりお前おかしいだろ。見ず知らずの奴といきなり飲みになんていけるかよ」

 それにこの不気味なにやけ面を見ていると、何だか嫌な予感がしてならない。

「まあまあそう言わずに、お仕事の話とか聞かせてください」

 その一瞬男の目の奥がギラリと光ったように見えた。相変わらずのへらへらとした態度の癖に、男の異様な雰囲気から冷や汗が額からつたう。

「何なんだよお前、訳が分からないぞ。正直お前が恐ろしくなってきた。こうなったらもうお前の話に乗ってやるよ、その代わり満足したらすぐに開放しろよ」

「ええ、ありがとうございます。勿論約束しますよ。いやあ嬉しいですね、行きましょう行きましょう、僕の行きつけのお店があるんですよ」

 男は軽い足取りで歩き始める。とんでもない奴に絡まれてしまった。いいことがあったと思えばこんな事になってしまうなんて、仕方がない、いざとなればすぐに終わらせてしまおう、予定通り家に帰って熱いシャワーを浴びて、お気に入りのウイスキーを開けよう、取って置きの年代物だが、今なら開けることも厭わない。

「さあ着きましたここですよ、どうですか?いい雰囲気でしょう」

 連れてこられた所は、ずいぶんと奥まった場所にある寂れたバーのようだ。どこがいい雰囲気なのか、正直人目につかないところしか気に入る要素がない。

「ふん、まあいい。すぐに済まそうじゃないか」

 男がドアを開けて入店を促すので先に入らせてもらう、店内には他の客はいない様だ。マスターが一人、不愛想に頭を下げてくる。

「僕はカウンターよりボックス席が好きでしてね、こちらに座りましょう」

 そう言って男は早々と席に着く、俺の意見を聞く気がないのか、忌々しいが俺も対面に座った。

「マスター僕はいつもの下さい、あなたは何飲まれます?」

「ウイスキーをロックで」

 注文の後、驚くことに男の前にはオレンジジュースが運ばれてきた。どこまでも変な男だ。

「あれ?手袋は外されないんですか?」

 男に指摘されて気づく、そういえば今日は手袋をしていたのだった。あまり気が進まないが外さないのも変なので外した。

「いやあ僕はここのオレンジジュースが好きでしてね、だけど最近この辺物騒でしょう。出歩くのも怖くて、ご存知ですか?連続殺人犯の話」

「ああ、連日ニュースやワイドショーで騒がれてるな、まったく警察も何をやっているんだか」

 俺はグラスを傾けてウイスキーを口にする。味は悪くない、中々いいものを出しているじゃないか。

「僕も報道を見ましたよ、殺人犯が見つからない理由は痕跡がまったく残らないせいだとか」

「そんな事あるか?殺人なんて大層な出来事で痕跡を残さないなんて、余程犯人は巧妙のようだ」

 俺はもう一口ウイスキーを喉に流し込む、少しいい気分になってきた。

「ええ、僕もそう思います。さらに奇妙なことに、犯人の指紋が現場には一つも残されていないとか、おかしいですよね、殺害方法は素手による絞殺だって言うのに」

「確かに尚更おかしいな、一体どんな手品を使ってるんだか」

「そうですね、不思議です。でも実は僕にはもう見当がついているんです」

 俺はその言葉を聞いてグラスを傾ける手を止めた。

「見当?なんだってお前がそんな事が分かるってんだ」

「とても単純ですよ、僕だったらこうするなって考えるんです。僕は犯人に極限まで共感することができる」

「ますます訳が分からん、まあいいだろう。何かご高説があるのなら聞かせてもらおうか」

 俺はこの男の話を聞いてやることにした。下らない探偵ごっこは後で痛い目を見るだろう。

「犯人は非常に巧妙に証拠を消して現場を去ります。しかし遺体は必ず発見される。それは何故か、答えは犯人の目的は遺体を見て欲しいから、自分の手柄を披露したいからです。そして痕跡を残さないわりに、殺害方法はとても足が付きやすい、素手による絞殺、これは犯人のこだわりです。犯人は自分の犯罪の手際に強い執着を持っている。では素手という危険を冒すために、犯人はどんな証拠隠滅を試みるか、僕は思いました。指紋を消してしまうんです。溶かしたり削ったり方法は様々ですが、これなら指紋を残さず素手を使える」

 俺は生唾を飲み込むのを止められなかった。

「僕には犯罪が行われる時間とタイミングも分かりました。共感するために犯罪の経緯を辿り人物像を想像し、その人間と同調する。貴方の仕事終わりのタイミングで現れる事ができたのもそのためです」

「何が言いたいんだ」

「分かりませんか?僕が貴方の前に現れた理由。煽って挑発して、腹を立てたでしょう。どうしてあの時警察に電話しなかったんですか?僕には分かっています。面倒だったなんて陳腐な理由じゃない、貴方は警察に通報することが出来なかったんです。犯罪を終えた貴方には警察を呼ぶことなんて出来なかった」

 俺は机を叩いて怒鳴った。

「馬鹿馬鹿しい!証拠もないのにぺらぺらと偉そうに!俺は帰らせてもらう」

「証拠はあります。古典的な手段ですが、時としてそれが一番役に立つ。貴方が触ったグラス不気味ですね、指紋がついているように見えない、実に不思議です。どうやったのか教えてください」

「嫌だね、俺はもう出て行く」

 そう言って立った瞬間、店の奥と玄関から警察官がなだれ込んできた。

「残念ですが、終わりです。僕は貴方に共感するといいました。もうすべて筋書きは整っていたんです。貴方の住所も生活スタイルも、すべて感じ取らせてもらいました。ウイスキーはお気に召しましたか?僕が貴方の部屋の隠し倉庫から持ってきたものですから気に入るに決まってますがね」

 俺の叫び声は警察官に取り押さえられてかき消される。あの男は俺の様子を見ることもなく、玄関から出て行ってどこかへと消えて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

共感者 ま行 @momoch55

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る