この恋は、電波が届かない場所にある

篠也マシン

1話

「ヒカリさんは『スマホアレルギー』ですね」


 聞き慣れない医者の言葉に、私と母はきょとんとした。

 母がおずおずと聞く。


「どういった病気なのでしょうか?」

「スマホを使うと、体に様々な不調が起きるというものです」


 夏休みの最中、突然起こった頭痛とめまい。

 たしかにスマホの使用中だったが、それが原因とは思いもしなかった。

 黙ってるままの私をよそに、母と医者は話を続ける。


「ヒカリさんは、最近スマホを使い始めたんですよね?」

「ええ。中学三年生になり、周りに持ってる子が増えましたので」

「コミュニケーションの方法が急に変わり、心と体がついてこなかったのでしょう」

「……なるほど」

「なあに、一ヶ月ほどスマホを使用しなければ大丈夫です」

「そうすれば、娘はまたスマホを使えるのでしょうか?」

「もちろん。使い始めだけに起こる一時的な症状ですから」


 医者は優しい笑みを浮かべて言った。




 私は、人と話すことが極度に苦手だ。

 友達に話しかけられても、


「えっと……その」


 と言い淀むことが多い。

 だからスマホを手に入れ、初めて友達とメッセージをやり取りした時、私は驚いた。


『ヒカリ、これからよろしくね』

『うん。グループに入れてくれてありがとう』


 文字を使えば、魔法をかけられたようにうまく会話できた。

 直接話す時より、落ち着いて考える時間があるからだろう。

 私は文学部に入ってるので、文字の読み書きに慣れていたことも影響していると思う。

 

『ヒカリは好きな人はいないの?』

『えーそんな人いないよ!』


 スマホの中だと饒舌になれた。

 どんどん夢中になり、空いた時間の大半は、小さな機械の表面で指を動かしていた。

 けど、


『ヒカリは例の新曲聞いた?』

『うん。良かったよね』


 よく分からない話題に、適当な相づちを打つことが増えていった。

 一見うまく会話しているようで、実際は何も話していないように感じ、気が滅入った。

 そう悩み始めた時、スマホアレルギーを発症したのだった。


『ごめん。しばらく返信できなくなりそう』


 病院からの帰り道、頭痛とめまいを我慢しながら、友達に病気のことを伝えた。

 私はメッセージに既読がつくのを見届ける前に、スマホの電源を切った。


 


「お母さんの友達に、すっごい田舎で花屋をやってる人がいるの。病気が落ち着くまで、そこで過ごすといいわ」


 私は母の友人の家で療養することになった。

 ちょうど夏休みだったので、学校に行く必要もない。

 都会から離れた静かな場所で、宿題や本を読んで過ごすのも悪くないと思った。


「何もない所だな……」


 療養先へ向かう電車に揺られながら、車窓に映る景色に驚いた。

 ビルの類は一切なく、一面の緑の中に背の低い建物がぽつぽつとあるだけ。

 駅に着く直前、数少ない乗客の一人が、


「うわ、ここ圏外だよ」


 と言ったのを聞き、母が『すっごい田舎』と言った意味が分かった。

 改札を出ると、夏の暑い日差しと母の友人のサクラさんが私を出迎えた。


「あなたがヒカリちゃんね。お母さんにそっくりだからすぐ分かったよ」


 もちろん、私は気の利いた返事はできなかった。

 フラワーショップサクラと書かれた車に乗り、彼女の家を目指す。


「私、随分前に離婚してさ。家には私と息子しかいないから、気楽に過ごしてくれていいよ」

「え」


 私は思わず声を上げた。

 そういえば、詳しい話を母から聞くのを忘れていた。

 同性の友達とさえうまく話せないのに、見知らぬ異性とうまく話せると思えなかった。


「息子はヒカリちゃんと同じ年だよ。私と違ってよくできた息子なの」

「はあ」


 カラカラと笑うサクラさんの横で、私の不安は大きくなっていった。




「はじめまして。僕はリクと言います」

「は、はじめまして」


 私は、先ほどから心の中で何度も練習していた挨拶をした。

 サクラさんの息子は、私と身長は変わらないが、とても大人びた雰囲気を持つ男の子だった。


「それじゃあ私は店番があるから。リク、ヒカリちゃんを部屋に案内しといて」

「分かった。ヒカリさん、こっち」


 リクに促され、私はたくさんの花が並ぶ一階の店舗から、二階の居住スペースへ上がった。


「ここが君の部屋だよ。自由に使ってくれていいからね」


 開け放たれた窓に、私は目を奪われる。

 花屋の裏手には、草原が広がっていた。

 色鮮やかな花が咲き乱れ、その間を流れる川はとても穏やかで透き通っている。

 私が文豪だったら、さぞ執筆がはかどっただろう。


「いい景色でしょ」

「……うん」

「それじゃあ、僕は母の手伝いがあるから。夕食ができたら声をかけるよ」


 リクの足音が遠くなると、私は読みかけの本を開いた。

 けど、すぐにページをめくる手が止まる。

 私は窓際に腰を下ろすと、景色を眺めながら時が過ぎるのを待った。

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