第2話 夜の会合
かっては名門アリスタナル家の執事頭を勤めていて、今は魔術師ギルド所属の二級魔術師ファガス・モニメント・アリスタナルを主人としている執事のバイスターは、目を細めて暗い森の小道を見つめていた。舗装もされていない森の小道の中に立つ一部の隙もなく執事服を着こなしている姿はひどく場違いに思えた。
夜の空にはこれ以上はないという見事な満月がかかってはいたが、道の左右に限りなく広がる森は、獣のみが棲む闇となっていた。頼りないランプの小さな灯だけでは、その闇を追い払う術もない。
妖精の森と呼ばれるこの一帯には人家と言えるようなものはそもそもない。主人たる魔術師ファガスの家があるだけだ。
ミッドガルド界は野蛮な世界だ。城壁と魔術で囲まれた街の中ならばともかく、夜の森を一人で歩くのは安全からはほど遠いものがある。
野生の獣。魔術で作られた様々な生命。そして夜を住処とする盗賊の群れ。
そのどれもが、警備ギルドの保証の及ばない暗い森の中から、不用心な旅人を狙って目を光らせている。
それでもこの妖精の森は比較的に安全であることを、バイスターは知っていた。森そのもののもたらす危険に関しては、森番を勤めるフェラリオが目を光らせていたし、盗賊ギルドはアリスタナル家との契約で、このファガスの森では仕事を行わないことになっている。外の人間が噂するほどには危険な森ではないのだ。
しかし、いつの世にでも無鉄砲なはぐれ者はいるもので、そんな内の一つに出くわさないという保証はどこにもない。
よりにもよって満月の晩の会合とは。魔術師というものは奇妙な習慣を持つものだと、あらためてバイスターはため息をついた。満月の夜は地上に魔力が満ちる。それを感じて魔術師の心は浮き立つものだと説明されても、それと同時に怪しげな存在たちも跳梁するのだから、気が楽になるわけでもない。
波乱万丈であった自分の人生の中の、様々な冒険の記憶を探っていたバイスターは、再び目を細めて森の中をすかし見た。
満月の青白く静かな光を背景に、黒く浮かび上がった森のシルエットの中で、何かが動いたように見えたのだ。
もう一度目をこらして、自分の見間違いではなかったことを確かめる。動いているのは巨大な人影だ。その後ろから小さな灯が漂い出ると、その人影の周囲を回った。
熱を出さない独特の光。ふらふらと漂うかのようなその動き。鬼火だとバイスターは直感した。
冷たい光が逆に強調する薄闇の影の中で、巨大な人影の後に、人間にしてはやや小柄とも言えるもう一つの人影が動くのも見えた。
バイスターは安堵の息を吐いて、木の枝に吊るしておいたランプを手に取ると大きく振った。
地響きが聞こえたと思ったのは幻聴か?
現れたのは、巨人。その一言に尽きるだろう。短く刈り込んだ髪、彫りの深い顔立ち。巨人族には珍しく髭は綺麗に剃ってある。それもあって、大きな岩が自ら動いて近づいて来る。そんな錯覚を与える人物だ。
ラング・ミスタドール・マイラス。ファガスとは魔術師ギルドでの同期であり、また無二の親友でもある。主人であるファガスが説明するところのいわゆる『友達』という言葉を、バイスターはすべて悪友と見なしているが、ラングだけは特別扱いすることにしている。
かって伝説の中に歌われた神々と、この世界の覇権を賭けて恐るべき魔法全面戦争を行っていたもう一つの種族である巨人族。その血を引くラングの巨体は、先祖のそれに比べると遥かに見劣りするとはいえ、それでも普通の人間に比べると圧倒的な威圧感を与えるものである。このような肉体を自分が持っていたらと、バイスターは心の中で賛美のため息をついた。
その背後に付き従うのはラングの徒弟であるベスだ。見事な金色の髪が月の光の下で煌めく。美人というには少しばかり顎の線が太すぎるが、端正な顔の中でそれは何の欠点にもなってはいなかった。バイスターはこのやや潔癖主義が過ぎるきらいのある女性を気に入っていた。
ラングの姿をランプの明かりの中に捉えて、バイスターが深々とお辞儀をする。丁寧に折り目をつけられた執事服が、驚くべき優雅さで滑らかに曲がる。バイスターがその執事服に、どうやって砂埃をつけずにいられるのかは、誰に取っても謎であった。
「これはラング様。よくぞいらっしゃいました」
魔術師ラングが呼び出して使っていた鬼火は、ランプの光に照らされて徐々に消えて行く。鬼火はそれ自身が光の塊なのに、その弱点は他の灯が放つ光なのだ。
「やあ、バイスター。わざわざ出迎えてくれなくても良かったのに」
ラングが太いが優しい声で答えた。その背後からベスが現われる。金色の髪がランプの光の中で輝く。この人はこれほどの髪の美しさをどのようにして維持しているのだろうと、これも心の中で密かに感嘆しながら、バイスターはベスに挨拶した。
「ベス様。いつもご機嫌うるわしゅう。夜道は大丈夫でしたでしょうか」
「いやだ。バイスター。他人行儀は止めにしましょう。夜道なんかは恐くは無いわよ」
笑いながらベスは髪を背後に振り、代わりに手にした長い杖を一本、バイスターに見せた。鋭い風切り音を立てて、それを回転させてみる。
「これがありますからね。それにラング先生を襲おうなんて考えるのは、よっぽどお腹を空かせた野犬か、はぐれもののニドヘグもどきくらいのものでしょうね」
「そう言えば、ベス様は格闘技をおやりでございましたね」
道を先導しながらバイスターは答えた。満月とランプの二つの灯があるが、それでも夜を照らすのには頼りない。これが見知らぬ道であったなら、とうの昔に迷っていたことだろう。
「格闘技じゃなくて、武術よ。武術」ベスは手にした杖を振って強調してみせる。
「しかし、お気をつけください。冗談ではなく、近頃はこの辺りも野犬が多くなりまして。それもかなり気の荒い奴が、です。お陰でこの妖精の森の中と言えども、そう安全とは言えなくなっております」バイスターが説明する。
「しかし、森番のフェラリオがいるんだろう?」ラングが尋ねた。
「はい。今夜も野犬狩りに出ております」バイスターは静かな声で答えた。「しかし問題はそれだけではないのです」
ふむ、と大きく息をついて、ラングの巨体が左右に揺れた。
「きみも大変だな。バイスター。ファガスのやつのお守は大変だろう」
「それは誤解というものでございますよ。ラングさま。坊ちゃまに仕えるのはわたしの喜びといたすところです」
一行の前方の藪をかき分けて、何かが道に這いだしてきた。バイスターはランプを掲げ、それを照らしだした。
光の中に浮かび上がったのは、無数の色鮮やかな模様を持った蛇の大群だ。それらが絡まり合って巨大な玉を形作っている。その玉から伸び出た蛇たちが、自分たちの前の地面を探ると、その蛇の塊はのろのろと前進した。
「これは珍しい。蛇玉だ」ラングがつぶやいた。「なに、危険のない生物だよ。通り過ぎるのを待っていよう」
爬虫類の類にあまり良い感情を持っていないベスは、ラングの背後で嫌な顔をしている。
蛇玉は、魔法と生命の奇妙な混合物だ。個々の蛇は何の変哲もない生物なのだが、それらが寄り合わさると、魔法の視覚と、魔法の意識を持った生物へと変わる。といっても、蛇玉はそれほど明確な目的意識は持ってはない。ひたすら前進し、食べることが出来そうなものを捉えて食べる。それだけだ。大きな玉を作ることで、蛇食いたちから身を守ることができる。
道からその姿が消え去るまで待ってから、ふたたび一行は歩きだした。
「しかし、こんな満月の晩に呼び出すとは。ファガスめ。いったい何をやるつもりなのだろう」
そんなラングのつぶやきを、バイスターは逃さずに聞き取った。
「それなのでございます。ラング様。どうか、あなた様からも坊ちゃまを叱ってやってください」
その言葉にラングの大きな目が細くなった。
「まさか、またやったのか?」
「そうでございます」前を歩きながら、背中だけを見せたままで、バイスターは頷いた。
「ファガス坊ちゃまと来ましたら、またもや大奥様の目を盗んで、バーンズン・フライ館の金庫の中からルーン円盤を持ち出したようなのです」
大きな音が響いた。ラングが掌を自分の額に叩きつけたのだ。その音に驚いて、周囲の森から数羽の鳥が飛び立つと、あわてて暗闇の中をまた森へと戻った。ミッドガルド界の夜の空は危険なのだ。世界樹の梢に住む様々な怪物たちが、遊弋している恐れがある。
「トラブルの予感がする」ラングはつぶやいた。「で、今度はどんなルーン円盤を盗み出して来たんだ。ファガスは」
「それがわたくしめは魔術に関しましてはまったくの無知とも言うべきものでして」
残念そうに、バイスターは首を横に振ってみせた。むう、とラングは大きなうなり声を上げる。
今までのファガスとの親交からラングが学んだことはただ一つ。ファガスが極め付きのトラブルメーカーであるということ。それにルーン円盤が関ると、いつでも事態はとんでもないことになる。
「ルーン円盤って何ですの? 先生」今まで口をつぐんでいたベスが尋ねた。
「ああ、きみはまだ知らなかったのだな」
ラングはしばし迷った。
ラングのそのような姿を、夜の薄闇の中にそびえ立つ巨人の彫像だと、ベスは感じた。巨人族のラングを見ると、大抵の人間は彼を腕力だけの存在と考える。しかしそれが間違いであることを、ベスは学んでいた。
そろそろこの女弟子にも、秘密を明かすべき頃合だと、ラングは判断した。
「古代魔法時代の遺物に、ルーン文字を刻んだ円盤というものがある。きみも聞いたことがあるだろう?」
ベスは小さく頷くと答えた。
「エストリッジ教授の魔法考古学の時間にちょっとだけ聞いた覚えがあります」
「そうだ。ルーン円盤とは古代魔法王国が残した記録装置なのだ。歴史、文化、そして発明の記録だ。いまではすべて失われてしまった、恐るべき魔法技術がそこには書かれている。市場にときたま掘り出し物として出るルーン円盤のほぼすべてが精巧に作られた偽物だが、ファガスが実家から持ち出すものは、それとはちょっとばかり違う」
「どう違うのです? 先生」
「本物なんだ。ファガスの所属するアリスタナル家が古代小人族にもっとも近い、いわば純潔種であることは知っているね?」
ベスは頷いた。
現在、ミッドガルド界と呼ばれる世界には大きく分けて五種類の種族が住んでいる。主な種族は、ベスが所属する人間族、ラングの出身元の巨人族、そしていま話題に上っているファガスが所属する小人族である。これに加えて、魔法により創造された獣人種と、生まれつき魔法の力を備えている神人族が存在する。その隙間を埋めているのが、種種雑多な混血種族である。
その中でも、アリスタナル家は、巨大な勢力を持つ小人族の旧家だ。その歴史は優に千年を遡ることができ、今ではミッドガルド界の産業のかなりの部分を所有している。
ラングは続けた。
「ファガスはアリスタナル家の継承権の中でも、かなり高い場所に位置している。つまり、アリスタナル家に代々伝わる秘蔵のルーン円盤に近づけるほどの立場ということだ」
「お陰で大奥様はまたもやお怒りです」バイスターはため息をついた。
執事たるもの、客人の会話に割りこむべきではないと知ってはいるもの、それが無理なときもある。
「坊ちゃまの道楽を取り上げて、アリスタナル家に戻すのだと、それはもう、わたくしめに矢のような催促が参っております」
「きみの立場には同情するよ。バイスター。きみはこんな片田舎にいていいような人物ではない」ラングは重々しくうなずいた。「きみほどの執事が、ファガスの世話をするだけなんて、実にもったいない」
「そんなことはありません。ラングさま。わたくしめは坊ちゃまの世話をすることを、心の底から光栄に思っております」
そこまでバイスターが言った所で、森の木々をかき分けて、またもや何かが道の前方に飛び出して来た。
バイスターが掲げたランプの光の中に浮かび上がったのは、人間ほどの大きさのある狼だ。
ベスが素早くラングの背後から飛び出すと、手にした杖を構える。
狼はぶるっと身を一つ震わせると、赤く光る目を輝かせながら、ゆっくりとニ本の足で立ち上がった。長い舌があえぎ、全身に生えた毛がまるでそれ自体に意思があるかのようにざわついた。見る見るうちにその体は変形してゆく。やがてそこに出現したのは、狼の頭に人間の体を持った怪物。開いた顎の中にずらりと並んだ白い牙が、見ている者を脅かすかのように存在を主張する。
人狼だ。
変身衝動が最も強くなる思春期を迎える前に、亜種族同盟によるモースカップ訓練を受けた人狼は、完全なる狼の形態から極めて人間に近い形態まで、必要ならば変身の段階を自由に変えることができる。望むならば、一生を人間のままで過ごすことも可能だ。
しかしそれでも、魔力が満ち溢れる満月の晩には、ストレス解消のために、人狼遺伝子を持つほとんどの者たちが狼へと変身する。
「おれの、なまえが、きぃぃこえたようだが」
何度か舌を噛みながらも、狼の顎を使って、人狼が喋ってみせた。
「お勤めご苦労さま。フェラリオ」ベスはそう言うと、構えを解いた。
森番のフェラリオは半人半狼のまま、長い舌をべろんと出して見せた。体は人間の形だが、隙間なく濃い剛毛に覆われているので、全裸を恥ずかしがる必要もない。
「満月の夜の野犬狩りは、彼の趣味でして」バイスターが説明した。
人狼の感覚器官の鋭敏さは、人間のそれを遥かに越える。深い森の中でラングたちがした会話を、フェラリオは全て聞き取っていたらしい。
「やけんは、もんだいぃぃはない。もりのなかにぃ、はいったのは、いぃぃま、おれがおっている」
そこまで言ってからフェラリオは人間の仕草で肩をすくめて見せた。この形態では、骨の構造が少しばかり違うために、相当不自然な形に見える。
「ふぇんりぃぃるは、だめだ。おれがけいぃこくしても、なにもきかない。もりのひがしに、あつまっていぃる。ちかづくな」
バイスターが肯くと、フェラリオはふたたび四つんばいに戻った。全身の筋肉がうねり、変身過程を逆にたどる。やがて一匹の完全なる狼が出来上がると、たちまちにして、森の中へと消えた。
「フェンリルって?」
フェラリオが消え去った森の辺りを見つめながら、ベスが眉を潜めて言った。それに対してバイスターが答える。
「いま世間を騒がせているフェンリル教徒のことですよ。最近ではこの森にも入りこんで来ているようなのです。何分、相手が人間では、フェラリオもいきなり噛み殺すというわけには行きませんからね。普通の人間たちならば、あの通りフェラリオが狼に変身して脅せば、それなりに言うことも聞くのですが、いかんせんフェンリル教徒どもと来たら、逆に手を叩かんばかりの喜びようでして。しまいにはフェラリオの祝福を受けようとまでする始末なのです」
「フェンリル教徒か」ラングが何かを考えているような目で言った。
「聞いたことがある。最近あちらこちらで問題となっている連中だ。狂信的で、手におえない厄介な奴らだという話だな」
「ここではまだ暴力沙汰を起こしたわけではありません」バイスターは説明した。
「どういうわけかこの森の東の場所が気に入ったらしく、そこに集まっているのです。森の中を我が物放題に荒らしていますわけでして、フェラリオもほとほと困っている次第なのです」
「バイスターの説明ではベスには不足だろうな」
ラングは考え事をするいつもの癖で顎を撫でた。そうしていると巨大な彫像が世界の創造に関して黙考しているようにも見える。もちろん、ラングは一般の人間種族の標準から言えば、決して美男子ではない。その体重に耐えられるように、横幅も広ければ、厚みもある。頭の形だってそれに呼応するものだ。だがそれらのすべてが、ラングが持つ不思議な威厳とでも言うべきものに直結している。
「フェンリル教徒と言うのはだね。月に囚われたと言われるフェンリル狼を崇拝する教徒のことだ。最近になってメナス地方で勢力を伸ばして来たとは聞いていたが」
そこまで言ってからラングは少し考えた。ベスが魔法古代史をどこまで勉強したのかには疑問がある。この女弟子は、どうやらあまり魔法の勉強に熱意を燃やしていないようなのだ。
「フェンリル狼は古代の神々に敵対していた巨人族の一人で、その能力や性質に関しては詳しいことは伝わっていない。人間の伝説にも、巨人族の伝説にも、だ」
さらに一瞬、言葉を切ってからラングは続けた。
「まあ、これは古代の神々についても同じだがね。伝説も歴史も、その大部分は失われているのだから。その乏しい記述の中では、フェンリルは世界を飲みこむ者と呼ばれていて、その姿は巨大な狼であると述べられている。フェンリル狼は祟り神ロキの息子で、あらゆるものを呑みこみ無限に成長できる能力を有している。その力を恐れた古代魔法王国の神々により月の中に幽閉されたと、伝説にはある」
ラングは頭上の満月を指差した。その銀白色の円盤の中に浮かぶ、狼の姿にも見える文様を示す。
「奴らの教義を簡単に説明すれば、フェンリル狼はいつか時が至れば、やつを捕らえる罠から解放されて世界を飲みこみにかかるというものだ。そのときに自分たちが襲われないようにするために、今のうちからフェンリル狼を崇めておこう、というものだったな。
おっと。言い忘れた。人狼はフェンリル教徒に取っては、フェンリル神に受け入れられた人間を意味する。フェラリオが奴らにもてるのはそういう理由があるのだ」
「しかし、ラングさま」バイスターが尋ねた。
「あらゆるものを食べて無限に成長するなどということが、果たして魔法的に可能なのでしょうか。失礼ながら、魔術師ギルドにおかれましても、そこまでの魔法を使われる方には、このバイスター、心当たりがございません」
「ふむ。まあ、そこが、伝説の伝説たる由縁だな。ただ、古代魔法王国の魔法は、現代の魔法に比べてその強さが桁違いだから。神々や巨人にはそれが可能だったのかも知れないな。さて、ベスよ。今日の、いや、今夜の講義はここまでだ。わかったかね?」
「ええ、とってもよくわかりましたわ」ベスはにっこりと微笑むと答えた。
「ラング先生がそうして月の光の下で話していると、まるで伝説の巨人が遥か太古の伝説を語っているようですわね」
「ベス・エス・メニス」自分の大きな頭を抱えたラングは責めるような口調で、ベスのフルネームを唱えた。「ああ、メニスお嬢さんや。いったいきみのおつむには何が詰まっているのだろうね」
「見たいのなら、ラング先生にだけは見せてあげます」
揺らぐことのない視線を返しながら、ベスは宣言した。
深い深いため息をつくラングの横で、執事のバイスターがにやりとしたいのを無理に抑えている。ベスと呼ばれるこの女性が、何のためにラングの弟子となったのかは、いまやラング以外の誰もが知るところとなっていた。もちろん、当のラングもそのことには気づいているのだろうが、表向きは絶対に認めることはなかった。
ラングはその巨大な肩をすくめると言った。
「いいかね。ベス。きみがわたしの所にいるのは、あくまでも魔法の道を極めるため。そのことを忘れてくれるな」
ベスの仕掛けるこの種の議論に深入りしてはならない。ラングはそう自分に言い聞かせた。何と言っても、自分は巨人族なのだ。ミッドガルド界で蛮族と名高い弱小種族の出自なのだから。
ルーン円盤。フェンリル教徒。そしてファガスが開く真夜中の会合。
ラングの巨大なうなじに微かな震えが走った。トラブルの予感だ。それも、今までに感じたことのないような大きさの。
首を左右に振り、ラングはその予感を振り払った。意識してはならないし、口に唱えてもいけない。この世界では、予言は強烈な魔法の力を持つ。
森の中の小道はその先で切れ、ようやくファガスの家が見えて来た。
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