北の神話(ラング&ファガス):狼の指輪

のいげる

第1話 プロローグ


 限りない青空を誇る神々の地アスガルドの平原で、『変身者』ロキは昼寝を楽しんでいた。

 風は暖かく、永遠の春の到来を思わせるものだ。日差しは柔らかく、所々の岩陰にしがみつくようにして残った雪を追い払いかけている。じきに多くの草がその存在を主張し始め、やがては色とりどりの花がこの場所を埋めることになるだろう。

 世はあまりに平和であり、それがロキ神には少し不満であった。ロキ神もその平和を楽しんではいるのだが、あらゆる矛盾する特性を持った神としては、それだけでは納まらないのである。

 うんと一声あげると、寝転がったままで背を伸ばし、両足をばたばたさせてみる。足は人間のものから、ロバの後足へと変化し、魚の尾へと変わった後で、また人間の足へと戻った。

 終わることがないかのような平和な日々。見せかけの平安。

 運命の女神であるノルンたちが、その紡ぎ車が空であることに気づくまでの、約束されたそして逃れようのない牢獄の日々。神々の黄昏ラグナロク。揺るぎようのない予言により約束された最終絶滅戦争まではまだまだ時があるように思えた。


 つまり簡単に言えば、ロキ神は退屈していたのだ。


 雷神トールの妻シフの黄金の髪を刈り取ったのはとても面白かった。だけど今度同じことをやれば、怒り狂ったトール神はロキ神を殺すだろう。善の神バルドルを殺すのはまだまだ先の予言であるし、ロキ神にはしばらく何もやることがなかった。


 ではいったい何をやって、この平和で腐りきったアスガルドの時を過ごそうか?


 様々な悪そのものの思考がその頭蓋骨の中を過る。だがそのどれも、主神たるオーディンの悪には遠く及ばないことはわかっていた。

 ロキ神が、その鋭い爪で何気なくほじくっていた地面の一部がそのままくぼみ、その下に奇妙な穴が現れた。

 穴の中は闇を表す黒ではない。そして土の色でさえもなかった。

 鏡のように頭上の青空を映す穴だ。見方によっては、その中に水が溜まって、空の色を反射しているようにも見える。

 魔法の穴だ。

 世界樹の頂たるこのアスガルドの地で、ある条件が満たされたときにだけ生まれる、時空交差点なのだと、ロキ神は気づいた。

 なんたるチャンス。すばらしきいたずらの機会の到来だ。

 魔法の穴の中で、世界がゆらめき、安定する。そこに映し出されたのは、近くてなおかつ遠い、人間たちの世界、ミッドガルドの地だ。

 ロキ神はその中を見つめた。魔法の穴の中で、ミッドガルドの大地がぐんぐんと近づき、やがて地面の上を旅している一人の男に焦点を結んだ。

 ボロボロの服。汚れきったその顔。どこかで暴漢にでも襲われたのか、顔の片側に炎症を起こした傷がある。

 一目でロキ神は、その男のことを知った。

 詐欺師だ。

 『嘘つく者』ロキに属する者。

 ロキ神が所有する男。

 偶然? いや、違う。

 運命たるウルドはその糸を紡ぎ、存在たるベルダンディはその糸を計り、必然たるスクルドはその糸を切る。この世のすべては運命の女神ノルンたちが創り出す。

 ロキ神は、寝転がったままで、地面から丸い小石を取り上げた。指の間に挟んだそれに、軽く口づけをすると、呪文を唱える。

 それから、魔法の穴めがけて、その小石を投げこんだ。

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