第32話 韓国旅行

 韓国旅行に行く前日も、二人は拓斗たくとの家に居た。

 拓斗はその日からホストクラブに五連休の休暇を出していたので、育子いくこはホストクラブには行かずに、直接拓斗の家に行ったのだった。

 時刻は午後六時だった。

 「拓斗、夕飯何にしようか。」

 「俺は軽いものでいいよ。普段はホストクラブで働いているし、店に行く前の一食、食べるだけで、夕飯はあまり食べないんだ。」

 「そうなの。それじゃ、野菜スティックとかカップラーメンとか、そういう軽いものでいい?」

 「そうだね。旅行前だし。逆に飛行機内で食べる物とかを『リジョイ』に買いに行こうか?」

 「そうね。買い物に行きましょう!」


 二人はキュウリと人参とセロリとカップラーメンとミネラルウォーターを

買った。

 育子は、持参したエプロンを着けて、野菜スティックを作っている。

 拓斗は後ろから育子に近づき、バックハグをした。

 「いくちゃん。これからも、ずっと一緒にいて欲しいな・・・。」

 拓斗は、育子の髪の匂いを嗅ぎながら、育子を抱き締め続けた。

 「セロリ切ってるから。ケガするといけないわよ。」

 育子は有頂天になっていた。

 背中に拓斗の心臓の鼓動を感じながら。


 軽く食事を終えると、二人はソファに並んでテレビドラマを見た。

 拓斗は育子の肩に手を回すと、頬にキスをし始めた。

 「いくちゃん・・・。」

 拓斗は育子に抱きついたかと思うと、育子をベッドまでお姫様抱っこをして運んだ。

 テレビをつけっぱなしにしたまま、二人はベッドの上で愛し合った。


 ◇◇◇


 翌日、二人は飛行機で韓国に着いた。

 二人は現地で待機していたツアーコンダクターが用意したワゴン車で、直接ソウル市内のソウル駅に近い宿泊ホテルに到着した。

 「少し疲れたわね。」

 「少し休んだら、屋台をハシゴして夕食食べない?『南大門市場』に行こうか?明日、観光スポットをほとんど回ってしまおう。」

 「そうね。明日の天気は良さそうだし、朝から本格的に始動して、行きたいところに行きましょう。少ししたら『南大門市場』、楽しみだわ~。」


 育子との日々で、孤独が癒えてきた拓斗の心理は変わってきた。当初育子に対して抱いていた策略も消え果てた。自分が売り上げ金が入った財布を無くしたわけではないのである。ホストクラブでの順位など、どうでも良くなっていた。

 スマホに登録した育子の旦那の『相馬光秀そうまみつひで』の電話番号も消去していた。


 二人は『地下鉄4号線』の『ソウル駅』まで歩き、一駅乗って『金賢フェヒョン駅』で降りた。

 「うぉ~!ストリートフードの屋台がズラリ!いいにおい~!」

 「トッポギ食べよう!」

 「お腹いっぱいになっちゃうから、二人で一人分頼んで分けて食べよう。」

 「いいわね。そうしましょう!」

 二人はトッポギの屋台で一人分を注文し、テーブル席で食べた。

 「うんまい!辛いのに後から甘いね。」

 「おもちの部分は、やっぱり甘いわね。噛めば噛むほど、甘くなってくる。」

 「俺、唐辛子の辛さ、結構好きなんだよね。」

 「美味しいわよね。トッポギは、辛いって感じはしないわよね。」

 「もっと辛いのいける、余裕。」

 二人は食べたかったトッポギにありつけた喜びを噛み締めながら美味しく食べた。


 「チヂミだ!」

 「買っちゃいましょう!」

 チヂミも一つだけ買って、分けて食べた。

 「美味しい!」

 「この分だとお腹いっぱいになってきちゃうけど、出来る限り詰め込もうな!」


 座って食べることができる屋台を見つけた。

 「なんか、みんな美味しそうに食べてる。」

 「このどんぶりは、見たことがないな。」

 「カルグクス。オイシイヨ!」

 店の太った女性が、日本語を使って話しかけてきた。

 「頼んでみる?」

 「頼んでみよう。」

 カルグクスというスープの中に麺やたくさんの具が入ったどんぶりと、野菜が入った小皿と冷麺が付いてきた。

 「これも美味しい!」

 「すごいボリュームね。」

 喧噪の中で、見慣れない食べ物を少しずつ食べていった。次第にお腹がいっぱいになってきた。

 「俺、もうダメ、満腹だ!」

 「私も、お腹いっぱい!もう夜八時だし、そろそろ帰ろうか。」

 「そうだね。ホテルに帰ろう。」

 二人は歩いて『会賢駅』に戻って地下鉄に乗り、『ソウル駅』に着くと、歩いてホテルまで帰った。

 「ずっと二人きりって、いいな。」

 拓斗は嬉しそうに言った。

 拓斗の様子を見て、育子は微笑んだ。


 二人は部屋に設置されたシャワールームで交互にシャワーを浴びて汚れを落とした。

 その夜は拓斗が疲れてしまったからなのか、育子を求めては来なかった。

 ベッドに横になると、すぐに眠ってしまった。

 拓斗に衝動的に求められることに慣れてきていた育子は、不安になった。

 明日の朝は早いので、とりあえずスマホのアラームを午前六時にセットした。

 育子も疲れていたので、拓斗の横でいつのまにか眠ってしまった。


 「う・・・ん。」

 深夜、拓斗が目を覚まして、隣の育子を見ているうちに欲情してしまったらしく、育子の身体を触っていた。

 「拓斗?」

 「いくちゃん。ごめんね。起こしちゃったね。」

 「アラーム、六時にかけておいたから。」

 「うん。ありがとう。・・・いくちゃん!」

 拓斗が育子を急に抱き締めてきた。

 「ごめんね。起こしちゃって。少しだけこのままでいさせて。」

 拓斗の、激しい心臓の鼓動が、育子にも鋭く伝わってきた。

 しばらくすると、下の方で動くかたまりがあった。

 「ごめん!やっぱり我慢できないっ!」

 育子は、いつもの拓斗に戻ったので安堵した。


 翌日、二人は六時のアラームを聞くと、少しうだうだした後、起床した。

 「屋台によっては、朝早くからやっているところもあるから、そういうところを探して朝ご飯を食べてもいいわね。」

 「そうだね。今日は『東大門市場』から行って、昼ぐらいから『明洞ミョンドン』で買い物して、余力があればまた『南大門市場』に行こうか。」

 「そうね。私もそのコースがいいと思っていたの。そうしましょう。」


 二人はしばらく地下鉄に乗って、『東大門駅』に着いた。

 「カムジャタン・タッカルビ食べましょう!」

 「食べよう!」

 二人は一つだけ注文して取り皿をもらって二人で食べた。

 「これはピリ辛で、美味しいわね。」

 「このピリ辛がいいんだよな~。野菜もたくさん入ってるね。」

 

 「『東大門デザインプラザ』にも行ってみましょう!」

 「そうだな。行ってみよう。」

 二人は、初めて見る『東大門デザインプラザ』の外観に驚いた。

 「うわ~、でかいUFOみたいだな。」

 「この建物自体がデザインって感じね。」

 中に入ると、ファッション街のようになっていた。

 

 二人はその後、『明洞』に行って、そこではおそろいのTシャツなどを購入した。

 焼き鳥を数本、中華まんのような饅頭まんじゅうを二つ、野菜ホットック、クルホットック、コマキムパプ、そして韓国産のビールやお酒類など、屋台でいろいろ購入して、ホテル内で落ち着いて食べることにした。

 

 「ふ~。楽しかったけど、一日中歩き回って疲れたな~。」

 「そうね。あ~、足が痛い。」

 ホテルに戻ってベッドに腰を掛けると、育子は足の裏を揉みだした。

 「屋台で、たくさん買ってきちゃったね。」

 「焼き物中心になったわね。明日の朝の分までありそう。」

 「俺、食いながら歩いてきたから、まだ腹膨れてるかな~。」

 「無理して食べなくてもいいわよ。食べられなかったら、日本に持ち帰ったっていいんだから。」

 「買ってきたビール、飲んでみない?」

 「そうね。乾杯しましょう。」

 二人は缶ビールを開けて、室内のビールグラスに注いだ。

 「カンパーイ!」

 二人はグラスを傾けた。

 「キンキンに冷えてはいないけど、この方が体にいいのよ。」

 「うん。これはこれで、ありかな。肩の疲れが取れてゆく感じがする。」

 二人はビールを飲んで、リラックスした。


 「あのね、拓斗。」

 「ん?」

 「思い切って聞くことにするけど。拓斗の部屋のトイレに、カレンダーがあるでしょ?素敵な風景の写真付きの。」

 「うん。」

 「六月のカレンダーの風景写真の一部に穴が開いていたの。」

 「・・・うん。」

 「気になって、その裏側の五月のカレンダーの日付側の方?見てみたのよ。どこに穴が開いているのかって。」

 「・・・うん。」

 「そしたら、第二日曜日のところだったの。つまり、母の日の枠のところに、穴が開いていたのよ。」

 「・・・。」

 拓斗は下を向いた。


 「ごめんね。こんなこと聞かれて、答えたくなかったら何も言わなくていいのよ。だけど、なんだか、拓斗のところでトイレを借りる度に、気になっちゃってね。思い切って聞くことにした。」 

 「・・・俺の母親、俺が中学生になった頃、家出てったんだ。」

 「・・・そうなの。」

 「せっかく聞いてくれたんだ。逆に嬉しいよ。聞いてくれるの?」

 拓斗が笑顔になって、語り出した。


 「それで、いわゆる『父子家庭』になった。父は俺に優しかったよ。出て行った母親を責めるようなこともなくて。陰で泣いているのも何度も見た。それで俺は、母親を憎んだんだ。・・・だけど、父と仲が良かった頃の思い出は、忘れられない。母親も優しかったんだ。だから、なぜ黙って出て行ったのか、理由がわからないし、何処に行ったのか、行方がわからなくなってね。・・・俺は、今はもう大人だからさ、乗り越えつつあるけど、母親が出て行ってからは、母の日が来るのがずっと嫌で嫌で・・・酔って、トイレに入っていた時に、つい無意識に指で破いたみたいなんだ。」

 「そうだったの・・・。」


 「だからなのかな。俺は、キャバ嬢みたいな若い女があまり好きではなくて、年上の社会人として落ち着いた感じのする女性、いくちゃんのような人の方が、一緒に居たいと思えるんだろうな。・・・俺のこんな事情なんか、いくちゃんは、気にすることはないんだよ。」


 そう言うと拓斗は、下を向いて口角を挙げていたが、心の傷をえぐることになってしまったかもしれない、と育子は思った。このような話を聞いたからには、拓斗を見捨てるようなことはできないと強く思った。

 「私も、拓斗と一緒に居る時がとても心が安らぐし、癒されるし。拓斗の事情を聞かせてもらったけれど、それで気を使ってるからではなくて、拓斗とは、単純に、相性がいい気がする。できることなら、・・・これからも、よろしくお願いします。」


 「いくちゃん。もうひとつ、聞いて欲しいことがある。俺はホストクラブでナンバーワンになることを目標に頑張ってた。」

 「知ってる。だから応援していたのよ。」

 「ナンバーワンになるために、いくちゃんを利用してた。」

 「私はホストクラブで遊ぶことで、ストレスが発散できて、癒されていたのよ。拓斗の気持ちが無くたって、ホストとしての仕事で演技してるだけだって良かったのよ。そのホストとしての演技を、お金で買っているんだもの。」

 「違うんだ。いくちゃんから、お金を取ろうとしていたんだ。」

 「それはそうでしょ。私は貢役なんだから、それでいいのよ!」

 「・・・チーフとの密約で、ナンバーワンになるためだった。でも、ナンバーワンの座よりも・・・今は、いくちゃんが欲しくなってきたんだ。」


 「・・・ホストと客の関係ではなくなってきたわよね、私たち。もう以前の関係には戻れない気がしているわ。」

 「いくちゃんが、普通の会社員だって知ってて、ホストクラブに通わせて、ドンペリを頼ませて・・・俺は、いくちゃんに、悪いことをしてたんだ。」

 「そんなことはないわよ!旦那が浮気してるって言ったでしょ。私には、今旦那が同棲している女性の名前も、その女性の住所も連絡先も、みんな伝えて公然と浮気をしているのよ。だから私には頭が上がらないから、お金が足りなくなったら旦那にもらえば済むのよ。お金は、旦那が出してくれるから大丈夫なの!」

 「・・・旦那、旦那って言うなよ!」

 拓斗が涙目になってきた。

 「・・・ホストクラブで遊ぶためのお金と、拓斗との旅行のお金は、ほとんど出してもらっていたの。旦那と別れられないのは、拓斗と付き合い続けたいからなのよ。」

 「だったら、俺は、ホストを辞めるよ。ホストクラブを辞めるから、もうホストクラブでいくちゃんが大金を使うことはない。それなら、旦那さんからお金をもらう必要もないから、旦那さんと別れることもできるよ・・・今まで通り、いくちゃんがうちに遊びに来て、うちの中だけで・・・恋人同士のように、付き合おうよ。」


 二人はシャワーを浴びてからベッドに入り、そのまま性交した。心が通い、優しさに満ち、そして少し先のことも見据えているかのようだった。予祝よしゅくを受けた二人は同じ道の上に居た。


◇◇◇


 その後も毎週金曜日に、育子は拓斗の部屋を訪れた。『リジョイ』で買い物をして、育子が家庭的な料理を作って二人で会話をしながら美味しく食べた。

 拓斗の無邪気は反応は、やはりホストとしての演技などではなかった。まだ母親に甘えたかった中学生時代の感情のまま、育子に語り掛けていたのであった。


 二か月ほどが経過したが、生理が来ない。育子は思い切って産婦人科で受診した。育子は妊娠していた。


 妊娠したことを、拓斗に伝えなければならない。

 勇気が要るが、ホストをしていた頃の拓斗よりも、話を聞いてくれるような気がしていた。


 その金曜日も拓斗の家に遊びに行った。

 「拓斗。」

 産婦人科でもらった母子手帳を見せた。

 「!」

 「妊娠したの、私。間違いなく、拓斗との子よ。」

 「ホント⁈うわ~!やったーっ!」

 拓斗は、意外にも、本当に嬉しそうな顔をして育子を抱き締めた。

 育子は、嫌な顔をされて、捨てられるかもしれない、と思っていたので、嬉しいサプライズに目を見開いてしまった。

 「旦那さんとは、もう別れてよ!俺と結婚しよう!いくちゃん!」

 育子は脱力し、腰を抜かしてしまい、その場に座り込んでしまった。

 「大丈夫?いくちゃん。」

 拓斗はお姫様抱っこをして、ベッドに育子を運んだ。


 「ありがとう、拓斗。拓斗の喜び方が嬉しすぎて、腰抜かしちゃった。」

 「俺の方こそ!いくちゃんとの子供が、無意識に、欲しかったんだと思うんだ。」

 「私にとっても、最初の子供なのよ。旦那との間には、できなかったの。」

 「そうだったんだ。・・・もう、旦那さんと別れなよ!俺はどこかに就職するか、割のいいアルバイトをするよ。もう二度と、女性相手の仕事はしないよ。」


 拓斗の父親は、多分、女性に対して真面目な人格の持ち主だったのであろう、と育子は想像した。ホストの仕事は、拓斗には合わなかったのかもしれない。ホストをやってみようと思った当初のきっかけは、母親に対する憎しみなのだろう。女性を敵であると考え、女性を騙すことに情熱を注いで、憎しみを解消させようとしていたのだろう。育子は、拓斗の寂しさを、一滴残らず理解したいと思った。

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