第38話ロリになるツンデレJK妹とラストエピソード


 朝の日差し差し込む夢見明けの時間。

 俺、桐原総司はゆっくりと瞼を開いた。

 今日も一日が始まる、とぼんやりした意識の中で思う。

 冬休みもそろそろ終わりだ。我が家の波乱万丈。

 他の誰でもない俺の妹、桐原零が夜になると子供の体になるようになってしまった ことから始まる珍事。喜劇。衝撃。

 今日も今日とてその流れが続くのだろう。


「ん……?」


ベッドの中の感触が変だ。

とてつもなくやわらかいものにあたっている。

これは、なんだ。

いや、よそう。そういうのは。



「すー、すー……」


同じ布団の中から寝息が響いてくる。

おそらくは真澄だ。

うちの妹と同じく前触れなく特異体質になってしまった少女。いや、女性。

ネカフェ難民の入野真澄である。

妹と同じく突然、子供になる症状に襲われており、それは朝と昼の時間の内だけだったはずなのだが。


(これ、どう考えても……)


 胸だ。

 やわらかくてふっくらとした感触は胸だ。

 おっぱいだ。

 胸としか言いようがない。

 俺の手が当たっているものは女性の胸部である。ほのかにあたたかい胸の感触が俺の脳髄をクラクラと麻痺させる。とくん、と主の鼓動に合わせて胸がふるえ――――やばい。気持ちいな、これ。


「違う違う違う!」


 俺は慌てて起き上がり、シーツをはがした。

 純白のシーツが天に舞い、隠されていた存在。俺と同じベッドに潜り込んでいた相手の姿があらわになる。

 入野真澄だ。

 大人の。

 ああ、やっぱり女の子じゃなくて女性なんだな。真澄は朝と昼に幼くなるけど、実際には大人の。

 と、そこまで考えたところでハタと気づく。


「大人っ!?」


 ベッドから転げ落ちるように離れる。

 子供になることに備えて大き目のバスローブを羽織っていた入野真澄の体はぴったりとサイズの合うバスローブに包まれて隠すところはしっかり隠している。

 胸はふくらんでいるがあらわにはなっていないし、腰から下もしっかり隠れている。

 だが、それはおかしいのだ。

 入野真澄は朝と昼に体が縮む。それに備えて大き目のゆったりした服を着ているのだ。


「お、おい……」


 思わず声をかけてしまう。声が震えるのを自覚する。一瞬でこの事態を把握した頭が体中に指示を慌てて飛ばし、胸を打つ音がうるさく耳元に迫り上がって来る。


「真澄!」


 考えるより速くに声が飛んでいた。思考の必要はない。これでも直感と頭の回転は早い方だ。


「ん……おはよう。総司。今日もまた嫌な一日がはじまるね……」


 俺の声にうっすらと瞼を開く。長いまつ毛が印象的に開かれ、双眸が明らかになる。ねぼけて緩んだ眼。いつもの一日、と把握した日を嫌な一日と評するくらいには最悪の日常を強いてられている人間だ。入野真澄とは。

 朝と昼に体が縮んで子供になるなんて最悪にも程がある。そんな最悪。最悪を。


「お前、自分の体を見ろ!」

「え……何を言っているの総司……」


 訳が分からないといった感じで起き上がり、あくびひとつ。だらしなく開いた口に右手を当てて、申し訳程度の女性らしさを示す。入野真澄はあまり自分の女性らしさを売りにしない人間だ。だからといって魅力がないワケではないのだが。

 寝起きのぼんやりした顔で真澄は自分の体を見下ろす。別におかしなところなんてないじゃない、と言いたげに視線をこちらに向けてきたが、すぐにハッとする。


「あ、あれ……私」

`-`

 慌てた動作で自分の右手を見る。次いで左手。両手を見た後は自分の体を触りだす。確認している。自分自身の大人の体を。

 そう。

 朝の時間帯に含まれる今の時間では絶対にありえない。入野真澄の大人の体を。


「どうなっているの、総司」


 窓から差し込む朝の日差しが自分の大人の体を照らすことなどありえないはずだと、真澄は訴える。俺にだって分からない。こっちだって意味不明だ。

 何がどうなってこんな事態が起こっているのか。訳が分からない。


「さっぱり分からん」


 そう言うのが平凡な一般大学生、桐原総司――俺の限界だ。

 その時、けたたましい音と共に部屋の入り口扉が開いた。


「さあ、朝ですよ。総司お兄ちゃん! 真澄さんとの朝の営みはいかがですか?」


 元気溌剌(げんきはつらつ)とした声に痛烈な嫌味を混じらせるのはそれが特徴のディスり系女子。桐原色葉。俺の従姉妹である。

 人を小馬鹿にした満面の笑みは、しかし、すぐにきょとんと形を変えた。


「……あれ? なんか変な雰囲気ですね。どうかしましたか」


 敬語の語尾が弱い。違和感はあるのに気付けない。まさしくそんな感じで色葉は部屋の中を見回す。その末に、ようやく違和感の正体に辿り着いたようだ。こいつも馬鹿ではない。


「へ……真澄さん。なんでちっちゃくなってないんですか」


 それである。

 この部屋に存在している絶大なる違和感。

 その正体は。


「色葉……あなたも私が大人に見えるの?」

「み、見えるも何も大人の体じゃないですか、真澄さんっ。どうしたんですか、一体!? 総司お兄ちゃんに何かされましたか?」


 違和感の正体と慌てた様子で会話する色葉。朝に大人の入野真澄という異常事態に困惑している。

 いや、本来それが正しいのだが。朝だからって体が縮むなんてありえない。しかし、そちらが当たり前になっているこの桐原家では朝に大人の、本来の姿の入野真澄がいることの方がおかしいのである。

 色葉は一瞬の逡巡を見せた後、


「総司お兄ちゃん。何をしたんですか!?」


 こちらの方に言葉の切っ先を向けてきた。


「何をしたかとか言われても困る」

「何かやったんでしょう!? 真澄さんが朝に大人なんですよ。朝に大人!」


 朝に大人、というなかなかのパワーワードを連呼する色葉。気持ちは分かるのだが、何も知らない人が聞いたらただの頭おかしいやつである。


「色葉。私は大人の姿。凄く嬉しい」


 助け舟を出すように、淡々と無感情に紡がれた言葉だが、その語句に込められた感情の力は並大抵のものではない。

 真澄の悲願だったはずだ。朝と昼に大人の姿でいることは。

 そんな当たり前のことをある日突然奪われてしまったのであるのだから。


「凄く嬉しい」


 二度同じ句を紡ぎ、真澄が自身の右腕を見る。すらりと細く延びた肉付きの良い腕である。子供のぷにぷにの腕とは全く異なる。


「私、元に戻ったかも」

「まだ油断するな」


 たまたま今日は戻っただけかもしれない。入野真澄を襲った異常。朝と昼に体が子供になる不可思議が解決したとは言い切れないのだ。

 そして、真澄が戻ったということは当然、次に思考がいくのは。


「零はどうなんだろう」


 最愛の妹・零。桐原零である。

 入野真澄同様、特定の時間に子供になる異常に襲われている。真澄が戻ったのなら零も、と自然の帰結で考えてしまう。零を元に戻したい。その気持ちが胸の中で強くあることを実感する。


「零ちゃんですね」


 俺の胸中を読み取ったかのように色葉が言う。その通りだ、と我が意を得たりの頷きを俺は返した。


「私が戻ったのなら零も。だけど」

「零は今だと分からないな」


 大人の女性の低い声で言った真澄の言葉にも頷く。妹、零は真澄とは逆だ。朝と昼に本来の大人の姿でいることが出来、夜になると子供の姿になってしまう。

この異常をどうにか解決出来ないかと悩んでいた。どうやったも出来ないと諦めてしまってからはこの異常とどう付き合って生きるかに重点を置いてしまっていた気がする。

 それじゃあ、ダメなんだな、と今になり気付く。

 真澄が元に戻ったかもしれない。

 それが凄く嬉しいのだ。

 胸の中がぽかぽかとしてあたたかいものがせり上がってくるのだ。

 言っては何だが、他人の真澄でこうなのである。零の場合はどうか。俺は零のことをどこまで考えているのか。それがひたすらに闇雲に気になって仕方がない。


「零!」


 思わず声を出し、部屋から出る。駆け足には足りないが、歩くにしては速い。フローリングの廊下を渡り、妹の部屋のドアノブに手をかける。

 ノックをするという発想が頭から吹き飛んでいた。一気に開き、大口を開く羽目になった。


「きゃっ!! お兄ちゃん! いきなり何よ!」


 ブラジャーに包まれた零の巨乳が視界に飛び込んで来てしまったからだ。着替えているところだったらしい。相変わらず大人の時はスタイルがいい。引き締まった越と胸のゆったりきぴしりとしたラインなんか実に最高で……違う違う。


「悪い!」

「馬鹿兄貴! 全くもう」


 こちらに背を向けつつの罵声を放ちながら、零がいそいそと上着の袖に腕を通す。その場でかたまっている俺が見守る中、背中を向けた妹は着替え終わる。


「で、何よ。今日は。テンション高いわね。今日だって、どうせ私を笑うんでしょう」

「笑わない。俺がお前を笑ったことがあったか」

「数えきれない程あると思うけれど」


 つっけどんに言い放たれる。そんなにあったかな。零を笑ったこと。

 子供の姿になる零に最大限、丁寧に、それでいて気を遣わせ過ぎないように接していたつもりなのだが。

 そう、子供の姿になる、だ。

 夜になると子供になる零。

 そんな妹を襲った異常から俺と零の物語は始まったのだ。


「騒がしいからには何かあるんでしょうね。お兄ちゃん。色葉が馬鹿でもやったの」


 鬱陶しそうに言い放つ零。身体に異変が起こってからというものの、妹はいつも不機嫌そうだ。そんな零の方を見て、言う。


「色葉は何も。真澄の方だ」

「おねしょでもしたの。あの人」


 棘のある言葉だが、相手が子供の時に攻撃しあう仲だからである。零と真澄。夜に子供になる異常と朝と昼になる異常。甲乙つけがたいがどちらも最悪なことに違いはない。


「するもんか。むしろ逆だ。ちょっと来てみろ」

「はいはい」


 どうせ大したことないんでしょ、とばかりに零は適当に言い放ち、上着を羽織って自室を出る。そろそろ冬休みも終わり。学校が始まったらどうなるかは考えたくもない異変が桐原家を襲っている。

 それに少しばかり光明が差し込んだような。いや、少しではないか。

 先が一切見えない暗闇の空に太陽が昇った。それくらいの胸の高揚を覚える俺は足早に廊下を引き返す。面倒くさそうに続いた零は、しかし、俺の部屋の中を見て寝ぼけ眼を見開くことになった。


「は……。入野真澄さん。あなたどうして」


 驚愕の声が唇の隙間から漏れる。入野真澄の姿を見て、頭の回転が速い零はすぐに状況を把握したようだ。

 子供の体になった時も頭脳は衰えていなかった気がする。


「零. 貴方なら何か分からない?」


 問いかけに問いかけを返す失礼を犯しながら、真澄が零の方を見つめる。そうは言われても零としてもさっぱりだろう。


「お兄ちゃん。何かした?」

「色葉にも言われたが俺は何もしていない」


 静かな声音に少しおどけて返す。そうでもないとやってられない。その期待心地の視線をやめてくれ。桐原総司が何か特別なことをしたから入野真澄が朝でも大人の姿でいられる。そんな期待はしないでくれ。俺は何もやっていない。


「まぁ、いいわ。これで私も希望が持ててくるってものね」


 ふん、と鼻を鳴らして零が笑う。薄ら笑いなのは事態の異常さを思ってのことか。この二人は時間によって子供の体になる。いやいや認めざるを得ずともそれが事実だった。その事実がひっくり返ったことになるのだ。今日の真澄の姿は。

 朝の7時30分という時間。時計の長針と短針が示すその時間に入野真澄が大人の体でいるということは。

 やっと終わった。

 そんな予感を覚える。

 何かが終わった気がするのだ。ずっと続いていた何かが。


「ふふ、総司。デートでもしよっか」


 満足げに目を細らめ、真澄が言う。えへん、と胸を張ってである。

 何故、デートか。そんなものは考えるまでもなく分かる。この時間帯の真澄はいつも子供だった。俺から見ればそうだ。俺たちと会った時には既に異常に捕らわれていた。朝と昼には子供の体になるという異常に。


「それは明日になってからだな」

「デートはしてくれるんだね」

「お前みたいな美女に誘われるなら大歓迎さ」


 淡白な反応を返しても真澄の上機嫌は揺るがない。さっきより機嫌が良さそうだ。事態を把握するにつれてどれだけ喜ばしいことが起こっているのかが分かってきたのだろう。

 朝に大人の体でいる。その事実がどれだけ喜ばしいことかを。


「ご飯にしましょう! 今日は気合いを入れて作りますね!」


 会話が途絶えたと思ったら色葉が的確に声を上げる。なんだかんだで家事上手の従姉妹にこのところ食卓は任せきりだ。零も料理は出来るのだが、夜になると子供になるのではいかんせん夕食の用意に不便する。

そんな思惑を余所に色葉は部屋から出てリビングの方へと駆けていった。


「色葉は騒がしいわね」

「嬉しいんだろうさ」

「本当にそうなの、お兄ちゃん。色葉って私や真澄が子供になるとからかうじゃない」


 俺の言葉を信用出来なさそうに零が唇を尖らせる。


「それも照れ隠しさ。本当はお前たちに元に戻って欲しいはずさ」

「だといいんだけどね」


 いつものつっけどんもどこか愛嬌があって可愛らしい。零も上機嫌のようだ。隣に移動した真澄の姿を見れば自分の未来への希望も持てるのだから、それも当然か。


「零と背を並べるの、初めて」

「あ。そういえばそうね、真澄」


 はたと気付いた真澄に相槌を打つ零。


「零は私より背が低いんだね」

「悔しいけどそうみたいね。なかなかスタイルいいじゃない、貴方」

「零ほどじゃない」

「お世辞をどうもありがとう」


 にこやかな会話。自然なやり取りである。この二人にしては珍しいと思ってしまう。

 それも当然か。子供になってしまう異常現象でどちらかが子供の姿でしか話す機会がなかったのだ。自然なやり取りを初めて目にするのは間違いではないだろう。化粧水使うタイプ? とかリップクリームは何を使っているの? とか耳に届く言葉を聞き、こんな平和なやり取りをこの二人もするんだ、と当たり前のことを認識する。

 人間なのだから当たり前か。当たり前なのだ。

 自然と俺は自室を離れてリビングに足を向けていた。すると、奥の方から鼻歌が聞こえてくる。


「ふんふふ~ん♪」

「上機嫌だな。色葉」

「あ、総司お兄ちゃん。両手に花を手放していいんですか?」


 不意打ち気味に声をかけたつもりがしれっと返される。やるな、色葉。こいつを出し抜くなんてのは不可能かもしれない。ここ一週間ほど一緒に暮らして実感させられることであるが。


「たまにはお前もいじられろよ」

「いやですよ。私は無敵ですから、ふふっ」

「で、何作ってんの?」


 不毛に過ぎる会話をサクッと打ち切り、色葉の手元を覗き見る。鍋をおたまでかき回しているのは分かっているので見当は付いているのだが。


「お味噌汁です。基本ですね」

「基本だな。豆腐は」

「もちろんいっぱい入れてますよー。子供には食べずらいですかね~」


 含み笑いをされる。大方、子供の不器用な手先では豆腐を食べにくいというネタで今日は真澄で遊ぶつもりだったのだろう。愉快で困った性格の従姉妹なのだ、こいつは。


「まぁ、真澄さん。元に戻ったみたいですね」

「戻ったって表現が適切かどうかはともかくな。ちょっと見てくるよ」

「心配性ですね」

「今あっちで真澄が子供に戻られてたら困る」


 冗談ではなく真剣だ。少し目を離した隙にまたあの呪いとしか言いようのない異変が起こっている可能性があるのだ。

 そう、呪い。

 まるで呪いみたいだ。朝と昼になると子供になる。

 夜になると子供になるなんて。

 真剣に考えたことはなかった。考えるだけ無駄だと棚上げしていたことではあるが。

 桐原零と入野真澄を襲った異変。

 この正体は何なのであろう。


「零、 真澄」


 名前を呼んで、ふたりのもとに行く。自室から出た廊下のところで零より少し背が高い真澄の姿を見て安心する。良かった、また大人のままだ。また子供に戻ったりしていない。その安心感は俺だけではなく零も同じのようだ。兄妹で安堵の気持ちを共有する。


「お兄ちゃん、真澄はまだ大丈夫よ」

「まだ、ってつけないで不吉」

「それもそうね、ごめんなさい。真澄は大丈夫みたい、にしておくわ」

「みたいでもない。大丈夫。また戻ったら堪らない」


 息を吐く真澄。心の底から子供にはなりたくないという思いが伝わって来る。朝日和の今を大人の身体で過ごす。それがどれだけ真澄にとって嬉しいことかなんて計り知れない。


「ねぇ、お兄ちゃん」


 思考に漬かっていた俺の意識は妹の呼びかける声に再び起き上がる。零がすがるような目でこちらを見ている。信頼の瞳とは異なる依存の瞳。

 ここ最近、零がするようになった目だ。子供の体になるようになってから、この妹は兄を異常に頼るようになった。それも無理からぬ話だ。子供に戻ってしまうのなら大人を頼オるしかない。肉親を頼るしかない。子供とはそういう生き物だからだ。

 あらためて人一人をそれだけの異常に陥れてしまっている今の異常がいかにおかしいものかを実感する。


「私は大丈夫かな」

「夜か」

「うん」


 午後7時きっかり。

 零の姿から大人から子供になってしまうのは。

 真澄は大人だ。大人のままだ。子供になる気配すらない。

 しかし、ある日突然起こったのだ。発生してしまったのだ。この異常。

 特定の時間になればそれだけで子供になってしまうという前代未聞の珍事・喜劇・異常劇が開催されてしまったのだ。

 ようやく閉幕の合図を聞けたと思っていいのだろうか。


「色葉の朝ごはん、楽しみ。行こう、零、総司」


 真澄は嬉しさを隠そうともせず、喜びに満ちた顔でリビングに向かう。半歩分遅れて、俺と零も続く。

 リビングに着いて、液晶テレビをリモコンで電源を入れてなにはともわず見る。朝のニュース番組がお天気予報や株価の情報。交通渋滞などの他愛のない話をつらつらと流して来る。

 誰も何も言わずに眺め続けた。テレビという小さなか四角形の中に区切られて存在する世界に視線を送り続けた。そうしたところでテレビの中の木も葉も、道路のタイルも、信号機も。映像が切り替わった。ニューススタジオに移り、出演者たちが何やらの話をしている。

 そちらに視線を向けても相手は気付かない。当たり前だ。神様と人間もこんな感じなのだろうかとふと思う。

 神様も人間を見ているのだろうか。遥か天上で。人間に視線をそそいでいるのだろうか。人間風情には分かりもしないことであるが。それは今、テレビに俺と零と真澄が視線を向けても箱の中のニュースキャスターにはわかりもしないことと同じなのかもしれない。


「おまたせいたしました~」


 色葉の弾んだ声が響き、朝ごはんが配膳される。お味噌汁。卵焼き。アスパラガス。そして、おにぎりだ。


「美味そうだけど、おにぎりなのか」


 思わず言ってしまう。普通の白米では駄目だったのだろうか。

 ふふ、と色葉は俺の問いかけに得意げに胸を張る。ない胸を。


「真澄さん祝いです。おにぎりって神聖な食べ物なんですよ」

「そうだったのか」

「はい。真澄さん、お祝いです。赤飯がなかったのでこれで勘弁してくださいね」


 にっこりと笑って真澄の前に二つの海苔巻きおにぎりの置かれた皿を差し出す。

 手元が感慨深そうに真澄がじっくりと眺めた。なんだろう。おにぎりに何か思い入れでもあるのだろうか。


「私、神様に謝った」


 いきなりの言葉に場がハテナマークの雰囲気に包まれる。いきなり何を言っているのか。神様に謝った? なにを。神様に何をしたというんだ。


「どういうことだ」


 零と色葉もよく分からないという顔だったので俺が代表して訊ねる。いきなり何を言うのか。

 真澄は動じることなく、返して来た。


「神様、ごめんなさい。何か私は悪いことをしましたか。悔い改めますって」

「まさか……それで戻ったの!?」


 零が思わずといった様子で声を荒げてしまう。神様に謝った。真澄が。それはいつのことだ。


「いつ?」

「昨日の夜。寝る前。総司の布団に入る前」


 出来れば入るのをやめて欲しいのだが、なんて言えるはずもない。それどころではない。


「神様、答えてくださった」


 淡々と言う真澄の顔を零が覗き込む。俺と色葉も言葉を失った。神様が答えてくれた? 真澄の言葉に。真澄は神様に何かをやったのか。それで天罰で朝と昼に子供の姿になるよおうにされてしまった。そうとでも言うのか。それで子供にならないようになったというのなら、そうとしか言えないのであるが。


「なんて……言われたのよ、あんた」


 緊迫吐息を咬み殺して、零が問いを投げかける。真澄は肩を震わせて怯える動作を示した。


「とても言えない。神様に不遜なことをしたとだけ」


 それ以上は絶対にこちらには言ってくれなさそうな態度と物言いだった。なんだ。真澄は神様に何をしたんだ。


「それで戻ったっていうの……」


 絶句する零。その程度で戻るのか、と続けたいのは明白だが、何かを掴んだようではあった。

 気まずい沈黙が周囲に漂い、そんな空気を嫌ったかのように色葉が声を上げる。


「ま、まぁ、食べましょう! 冷めちゃいますよ! 食べ物を冷ましてしまうのも神様に不敬です、きっと!」


 俺、零、真澄はその言葉に頷き、箸を取る。真澄はやけに丁重に朝ごはんを食べていた。

 なんともいえない雰囲気のまま食事が終わり、色葉が後片付けをする。珍しく零も色葉を手伝っていた。この妹が従姉妹のために動くなんて相当なことだが、真澄から聞いた話が響いているのだろうか。

 後片付けが終わった後、零は俺のそばに来た。


「お兄ちゃん。ついて来てくれる?」


 いきなりの言葉だった。しかし、何故か驚くことなく俺はそれを受け入れた。そばでは大人の姿のままの真澄が流れる声音を受け止めて立っている。


「どこに行くんだ」

「神社。私も神様に謝って来る」

「……そうか」


 やはりこれはそうなのかという確信が胸を打つ。朝の真澄を見て思ったこと。それは呪いが解けた、である。朝と昼に子供の姿になってしまう異常。それは呪いとしか言いようがない。零は夜だ。この二人は何か呪いを受けたのではないか。

 桐原総司はそう思っていたのだ。それを先程の真澄の告白で分かることが出来た。

 この二人を襲っている異常が神様からの罰。神罰だと言うのなら神様に謝る以外の方法では治しようがない。何も手が打てないと思っていた二人の異変だが、打つ手があると気づけば。やれることはある。

 それは全ての行動の基本だ。全ての行動の基本として人間は神頼みをする。

 好きな人が自分を好きでありますように。明日のテストでいい点を取れますように。農作物がいっぱい取れますように。戦で勝てますように。

 それら全ての神頼みは古代から現代までずっと伝わって来て残っているものだ。

 神様をそれだけ頼りにしているのだ、人間は。


「お前、神様に何かしたのか?」

「分かんない。ナチュラルにやってたのかも失礼なこと」


 結構、真剣に問いかけると軽い調子で返された。しかし、声音は軽くない。


「夜になったら子供にされるんだから相当重いことしちゃったんでしょうね。真澄は心当たりがありそうだもの」


 同じ時間経過で体が縮む仲間ゆえなのか。

 零は俺より真澄の心境を見抜いているようだ。


「いってらっしゃい。早い方がいいと思う。私はもう、大丈夫」


 そう言い切る真澄の顔に迷いはなかった。本当にもう大丈夫と信じているようだ。体で感じている何かが消えたのだろう。

 それでも、少しだけは不安そうだ。明日の朝にはまた子供になっているかもしれない。その恐怖はあるのだろう。やはり。


「片付け終わりましたよ~。あ、どうしたんですか。総司お兄ちゃんに零ちゃん。真剣そうな顔して」


 タオルで両手を拭きながら、色葉がひょっこりやって来る。朝飯の後片付けを全て任せてしまって申し訳ない。全てが終わったら、しっかり恩を返すとしよう。

 そう。全てが終わる。

 なんとなくあるのだ。その確信が。直感が。

 なんとなく、あるのだ。


「色葉。俺と零はこれから神社に行ってくる」

「神社ですか。またどうして」

「神様に謝るならそれが一番でしょう、色葉。馬鹿じゃないの」


 色葉に対して零が嘲り言う。自身の体が子供になる異常を迎えてからというものの、零が色葉にマウントを取るのは珍しいことだ。それも何かが変わったという思いを強くしてくれる。

 窓からは変わらず朝の日差しが差し込んでいて、一軒家である桐原家のリビングを照らしてくれる。


「私は悪いことをした。神様を舐めた。なめすぎた。そのせいでこうなっていた」


 真澄がつぶやく独り言。その独白を聞きながら、俺と零。そして、色葉さえも物思いにふける。


「ま……私も少しばかり零ちゃんと真澄さんをからかいすぎましたかね」


 罰が悪そうに色葉は言って、全くよ、と零に睨まれた。真澄はあまりからかわれていないからか、何も言わない。


「じゃあ、行こう。お兄ちゃん」


 零が促す。俺は頷き、二人で家の外に出た。いってらっしゃい、と色葉と真澄に見送られて。

 そうして家から十分ほど歩いた場所にある神社に着いた。住宅地の区画整理の隙間に建てられたようでいて、元からある神社だ。印象とは逆に周りの住宅が後から建っているのだ。


「ここにはもう来ちゃいけないような気がしたんだけど」

「それでもここしかないでしょ。私たちには」


 なんとなくではない。

 明確に俺はこの神社に来てはいけない。

 願掛けをしているのだ。一流企業に就職が決まるまでこの神社には足を踏み入れない、と。

 しかし、妹の窮地。いつ幸せになるか分からない妹を助けるにはここしかないと思ったのだ。

 だから、禁を破る。この神社に助けを求める。

 最も身近な神社に助けを求めるのだ。

 ここは俺と妹の思い出の神社でもある。

 この神社の敷地のすぐ隣の空き地。今も空いている土地で催されたお祭りでソースせんべいを一緒に食べた思い出があるのだ。


「久しぶりだな」

「本当にね」


 その中に足を踏み入れる。鳥居の前で二人そろって一礼した。深く腰を折る。神社に入るマナーだ。参道を歩く時は中央を避けて。中央は神様の通り道だ。

 ふたりして参道の右側をゆっくりと歩く。絶対に非礼はしないように気を付けた。このあたりの礼儀は俺も零も両親から教わっている。神社への参拝の仕方は教わっているのだ。

 だが、謎が残る。それなら零は何をしたのか。神様は一応、敬っているはず。神社に参る礼儀も知っている。それが、何故。

 静謐な空気の中を二人して参道の橋を歩く中、


「お兄ちゃん」


 隣をゆく零がささやめく。静かな口調で。


「私、神様からの力を不正に使っていたの」


 衝撃的な告白だった。いきなりのことだ。神様からの力を不正に使うなど。なにがあったのか。そんなことが出来るのか。

動揺に揺れる胸中を自覚しつつ、訊ねる。顔は正面を。神社の本殿を向いたまま。


「神様からの力って」

「色々、貰った。バスケットボールやテニスが上手くなる力。コミュ力。友達いっぱい出来る力。だから私、あれだけ高校で友達が多いの」


 なかなかに衝撃的な事実だ。そんなことがありえるのだろうか。神様に、神頼みでそこまで出来るのだろうか。

 それに矛盾がひとつある。


「じゃあ、さっきはなんで」


 真澄の告白を受けて、零は自分が神様に何をしたのか分からないと言ったのだ。それが何故、こんなに鷹揚に話すことが出来るのか。


「今、思い出したの。不思議よね。この空気が私に大事なことを思い出させてくれた。神様が言ってくれたのかもしれないわね」


 冗談めかして笑うが、真剣な様子だ。ふざけてはいない。きちんと神に謝罪する準備は出来ているようだ。

 ふたりして本殿の前に辿り着く。まずは鈴を鳴らす。神社の鈴。振り鈴。それを鳴らすための鈴緒と呼ばれる綱を引く。縦に引くのだ。横に引いては大きな音が出せない。

からんからりん。高くて低い音が響き、神社中にこだまする。

大きすぎるくらいで丁度いい。神社のマナーだ。まずはこの振り鈴を鳴らし、神様への合図として、来ていただくのだ。

気配などない。神様がこられた気配など何もない。しかし、俺と零は二人して居住まいを正す。

 零がポケットから財布を取り出し五円玉を入れる。お賽銭は気持ちだ。多ければいいワケでもない。さすがに一円玉はどうかと思うが、気持ちがこもっていればいい。それがお賽銭だ。

 お賽銭を入れた後、二礼二拍手一礼。神社の基本の挨拶をした後、零が口を開く。


「私は桐原零。この町に長年住む桐原零です」


 自分の名を告げた後、住所を告げる。そして。


「これまで健康で事故なく生きてこられたのは神様のおかげです。神様、お助けくださりまして、誠にありがとうございます」


 慇懃に挨拶を並べる。その後に本題に入った。


「神様ごめんなさい。神様をなめた真似してごめんなさい」


 深く頭を下げて零は懺悔する。


「神様のおかげでいっぱい友達出来ました。テニスもバスケも上手くなりました。全て神様のおかげです。そんなズルを私はしていました。本当に申し訳ございません」


 心からの懺悔を天に届ける。さらに続く。零の懺悔と意思表明はまだ続く。


「神様から得ていたもの全てを天に返し、私は自分の意思で歩きます。自分の力で得たものだけを身に歩き続けます。神様、ありがとう。導いてくださりまして、ありがとうございます」


 そうやって零が言葉を区切ると何かが頷いたような気がした。

 錯覚だ。何もない。

 神社は平静そのもので何も音はしない。

 だが、何かが届いた期はしたのだ。何かは。


「じゃ、いこ。お兄ちゃん」

「ああ。帰るか」

「お兄ちゃんも神様に挨拶しないと」

「そうだったな」


 零に倣って隣で神様に挨拶をする。零を助けて欲しいとは言わなかった。零の自業自得・因果応報だ。零が自分で勝ち取るものだ。それは。

 参拝を終えて二人して帰る。家では色葉と真澄が待っていた。


「終わったんですか」


 色葉が訪ねて来る。多分、と俺は返しておいた。


「大丈夫。きっと終わった」


 大人の低めの声で真澄が告げる。零も頷いた。


「これで大丈夫。きっと大丈夫よ。お兄ちゃん」


 決意の瞳でこちらを見る。俺もしっかりと言葉を返す。


「ああ。今日の夜を待とう。きっと大丈夫だ」


 そうして、その後は落ち着かない時間を過ごした。

 大丈夫と言っても不安なものは不安だ。時計の長針と短針の位置に気を配る一日を送る。

 もう誰も外に出ようとは言わなかった。静かに粛々と時を待つ。

 最後の審判を待つかのように粛々と。

 そして。

 ついに午後7時。

 零が子供になる時間。

 零は。


「……ならない、わね」


 子供にならなかった。

 大人びた顔はそのままにスタイルの良いしっかり膨らんだ胸にくびれのある越と大きい尻。

 両手両足はしっかり伸びて、きちんと美しい女体の筋肉がついている。

 桐原零。

 本来の姿だ。


「零!」


 俺は周囲の目も憚らず零を抱きしめていた。ぎゅっと体を抱く。両手でしっかりと愛しい妹の身体を包み込む。やさしくなるように配慮なんて出来なかった。力いっぱいになってしまった。申し訳ない。


「ちょ、ちょっと、お兄ちゃん! 大げさよ!」


 零が慌てた声音を返すが、その零も喜んでいるのは明白だった。嬉しそうに俺の両手の拘束から逃れようと手足を動かす。


「零、 良かった」


 真澄が笑みを浮かべて言う。感情の変化があまり外に現れない彼女にしては珍しいことだ。


「零ちゃん。大丈夫そうですね」


 色葉は茫然とした様子だ。大丈夫だろうとは思っていても本当にそうとは思わなかったのだろう。

 俺が力いっぱい零の体を抱きしめた後、零を解放する。


「全く。……ようやく終わった気がするわ。なにもかも」


 つっけどんに言い放ち、すぐに笑みを浮かべる。俺も微笑んだ。これ以上はないくらいの笑顔を浮かべられただろうという自信がある。


「よかった」


 真澄がふたたびの言葉を述べる。


「ふ。これで桐原零様。完全復活ね!」


 強気な口調で零は言い放って笑った。本来これくらい強い妹なのだ。こいつは。


「神様に非礼だよ、零」

「全くだ」

「そ、それもそうね。神様、ごめんなさい。助けてくれてありがとうございます」


 真澄と俺で突っ込むと零が再びなさけない顔になって天に謝礼の言葉を述べる。

 そうしていると、色葉がいきなり零の前に着て、頭を下げた。

 いきなりのことにみんなで茫然とすると、色葉が「ごめんなさい」と懸死の声を出した。


「どうしたんだ、色葉」

「色葉。どうしたのよ」


 俺と零で問いかけると、色葉は顔を上げて、真剣な様子で言葉を紡ぐ。


「零ちゃんにひどいことばっかりしました。私は。ごめんなさい。零ちゃんが可愛すぎた。可愛すぎたんです。でも、ひどすぎた。私、零ちゃんと総司お兄ちゃんが神社にお参りに行っている間、神様に怒られたんです。あまりにひどすぎるって」


 嘘を言っている様子はなかった。粛々と必死に謝罪の言葉を色葉は続ける。


「零ちゃん。本当にごめんなさい。もう反省してます。あんなひどいことは二度としません。総司おにちゃんもごめんなさい。妹の零ちゃんにひどいことをしました」


 ハッキリとした意思表明であり、謝罪であり、決意であった。

 俺と零はゆっくりと頷き、それを受け入れる。


「本当に反省しているのかな」


 真澄だけは辛辣であった。


「さて、じゃあ、恋人にラインでも送ろうかな。連絡取ってないのよねぇ。こんな状況だったから」


 零がそう言って、笑う。恋人いたのか。知らないぞ、俺は。


「それより零。本当に大丈夫か? 今後、何かあるかも……」


 今日は夜になっても子供にならないようだが、今後、どうなるかは定かではないのだ。本当に大丈夫なのか。

 そう心配する俺をよそに零はふっと笑い、


「大丈夫。私はお兄ちゃんの妹だから。最高に強くてカッコいいお兄ちゃんの妹だから。ずっと私を守ってくれたお兄ちゃんの妹だから」


 これ以上ないくらいの微笑みでそう告げるのだった。

 この日が俺たちの最終エピソード。後はエピローグと後日談。

 この日以降、零と真澄の体が小さくなることは二度と無かった。二人とも神様への非礼をしないように改めたのだろうか。それとも神様がいい加減許してくださったのだろうか。

 この出来事を教訓に俺たちは神様を敬うことにした。神様はお怒りになられると恐い。そうと身と心に刻む。

 本当に、この日を最後に零と真澄の体が小さくなることはなかった。

 俺たちのその後?

 幸せになったよ、当然な。

 俺は就職したり、零も就職。色葉もだ。真澄もなんとか頑張って再就職したんだぜ。

 零の結婚式は盛り上がったな、かなりな。高校時代からの恋人との結婚式だ。俺に黙っていた彼氏との。

 もちろん、大人の姿でウェディングドレスを着ての結婚式だ。

 不可思議な神様の呪いにまつわる出来事はこれで幕を引く。神様を敬わないと酷い目に遭うってことを教訓に残し、俺たちは幸せになるのだった。


 了




 前回更新から間が開いてしまい申し訳ありません。

 これにて完結となります。

 ご愛読ありがとうございました!

 面白かったのなら☆評価などよろしくお願いいたします。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ツンデレのJK妹が夜になるとロリの体になるようになってしまった件。 一(はじめ) @kazumihajime

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ