人間には怖いものを視たい・知りたいという欲求があって、怖い怖いと云いながらもオカルト的なものがテレビでやっているとつい、観てしまう。
霊感ゼロのわたしでも好奇心丸出しで、「怖い話」に聴き入ったりする。
よっぽど怖いのは厭だが、「ふしぎな話」の範疇におさまるものなら知りたい。
そして世の中にはその「ふしぎな話」がとても身近で、妖怪や神仏や幽霊とのお付き合いを日常的に繰り返されている人がいる。
作者は何かといえば結界を張ったり、金縛りと闘ったり、占いを通してひとさまの災難を止めたり、死神が背中にくっついたりするらしいのだ。大忙しだ。
その合間にはキャバクラに通ったりゲームをしたり、プログラミングのお仕事をしたりキャバクラに通ったりしなければならない。大忙しだ。
「狸が壁に絵をえがき、さらに最近、物理現象が崩壊を始めてね」
これだけ聴くと、やべえ奴だ。
怖い話は好きなくせに、怪異現象を生活に持ち込んでいる人をみると、人は敬遠するのだ。創作物としての陰陽師は好きでもリアルでそんな話をはじめる人がいたら、中二病の成れの果てかな~としか想わない。
ところが、六万冊も本を読んできたという作者の手にかかると、それらの逸話は「読ませる」力をもってぐいぐいと迫る。
ラップ音も金縛りもすでに仕組みが解明されていたはずなのだが、この怪奇譚の中では立派に現役だ。
それどころではなく、やっぱりあれはあやかしの仕業なのかと想わせるだけのものはある。
怖い話やふしぎな話を知りたいという、人の欲求に見事に応えてくれるのだ。
色々と、知らずにうっかり踏み抜いたら大変なんだな。
呪詛の村だって。
神さまって高くつくんだね。
俗物のわたしは胸の中で実に俗物らしいことを考えながら読んだのだが、そんな作者にも霊視能力だけはないという。
わたしにもない。
わーい仲間だー。