第8話 だって死んじゃうから
母が働いていた会社は日本でも五指に入る土建屋だった。そこの地方支社の経理の手伝いを嘱託扱いでしていたのである。強欲な大家に経営していたスタンドバーを追い出されたとき、子供たちを食べさせるために、真面目な母は半年かけて簿記の資格を取ると、事務屋の道に進んだのだ。
土建屋とは言え、主な仕事は道路のアスファルト舗装であり、町中から山奥まで手広く作業者を送り出す。
その山奥の舗装工事では、実際に道路を通す前に現地調査が必須となる。狭いデコボコだらけの山道に車で入り込み、工期と必要な人数を見積もるのだ。
そこにアスファルトを舗装するのが目的なのだから、もともとの道は悪路という他はない。だから、ごくたまにではあるが、道端の名も無きお地蔵さんや、無縁墓らしいものを車で引き倒してしまうことがある。何の変哲も無い路傍の石が、実は誰かのお墓だったということもある。本来車が通ることなど考えてもいない、おそらくは江戸時代から使われている古い道である。旅の途中で行き倒れた人間はそこに手頃な石を置いて墓としたりするのだから質が悪い。墓なのかたまたまそこに転がった石なのか見分けがつかないのも仕方がない。
調査員たちが帰って来てそういうことを上司のナリ部長に報告すると、ナリ部長はただこう言う。
「すぐにお祓いに行ってこい」
こういうときのために懇意にしている神社がある。もちろん、お祓いの費用は会社持ちである。
決して赤字ではない大会社だが、それでもお祓いの費用がぽんぽん出るわけではない。経費削減は日頃からうるさく言われるし、こういう費用が大きくなると税務署からも疑惑の目で見られかねない。それでも躊躇うことなく。
「お祓いに行け」
調査員の二人はへらへらと笑った。
「そんな大したことないですよ」
ナリ部長は折れない。
「すぐに行け」
調査員の二人は顔を見合わせ、ここはうまくいなすことにした。
「わかりました。じゃあ明日」
ナリ部長の目が厳しくなる。
「今日中だ。神社にはこちらから連絡をいれておく」
二人とも他の部署から回されて来た新参者だ。肉体労働専門の現場を巡って来ただけあって目の前の大学出の部長が口うるさい青二才に見えてしまう。心底舐め切った口調で言葉を返した。
「大げさですね。部長。では仕事の帰りに行ってきます」
嘘だと分かる口調だ。
もう少し彼らが賢ければ分かっただろう。同じく荒くれ自慢の先輩たちがこの一見穏やかなナリ部長にだけは逆らわないことを。今回の一件を先輩たちは止めなかった。その代わりに、周囲で彼らのやり取りを意地悪く聞いている。そらそら来るぞ。雷だ。
怒号が響き渡った。
「わりゃあ、なにいつまでもカバチ垂れとんねん! ワシが行けゆうたらすぐ行くんじゃあ!」
いつもの温厚な部長はどこにいったのか、そこには激怒した鬼の顔があった。そのあまりの迫力に荒くれ自慢の男たちの腰が抜けた。周囲の空気が緊張に震える。
「わかったか?」
「わかりました!」
直立不動の姿勢になって脂汗を流しながら二人が答える。
「神社にはワシから連絡を入れる。今すぐ行け。途中ばっくれでもしたら、ひどい目にあわしたる。いいな、約束やぞ。お前ら、ワシとの約束を破らんやろな?」
「破りません!」
慌てて二人は飛び出して行った。
土建屋の部長でも、舗装部門の部長は並の気力の人間が務まる役職ではない。
舗装をする際には、地元のヤクザへ話を通しておくことが絶対条件だ。でないと仕事は一寸たりとも進まない。少なくとも地元を管轄する暴力団の幹部にはそれなりの金額を包んでおく必要がある。しかしそれでも、組の三下に取っては舗装工事はお小遣いを稼ぐ良い機会だ。
おう、あんた達、誰に断ってここで工事しとるねん。そう言って来る奴が必ず出る。もちろん組の上の者には秘密だ。現場で作業している連中も気の荒い人間が多いので、騒ぎになることも珍しくはない。そんなとき、こじれにこじれた話が最後に回って来るのがナリ部長の所だ。
どんなに凶悪な連中でもナリ部長の一喝を受けると押し黙る。ヤクザの親分と差しで酒を飲む人である。柔らかい物腰の裏にあるのはそういう顔であった。
だからこそ古株は絶対にナリ部長に逆らわない。それでも普段は理知的で温厚なやり手の部長であった。だからこそ、母は不思議に思った。迷信の類を恐れる人物には思えなかったからだ。
そこまで信心深いのかと母が何かの機会に尋ねると、ナリ部長はこう答えた。
「だって死んじゃうんだよ」
その日の内、まだ日が暮れる前に神社にお祓いに行かないと、夜にはもう死んでしまう。深夜十二時、その日の日付が変わる前に死ぬ。
道路の舗装作業は夜に行われることが多い。交通量の多い場所などでは夜に通行止めにしてアスファルトを敷くしか手がないのだ。その作業中に事故が起きる。
事故と一口に言っても、舗装作業の事故は大概人が死ぬ。それも生易しい死に方ではない。煮えたぎったアスファルトを被るのだ。
当時の舗装工事はこういったものだ。丈夫な木の枠組みの上に大きなドラム缶を置き、アスファルトを満たして煮え立たせる。そのドラム缶が何かの拍子に倒れ、それを体のどこかに浴びる。
こんな事故は本来あり得ない。
そういうものではないのだ。アスファルトで一杯のドラム缶は大人四人がかりでもびくともしない重さだ。それが倒れるなどということがそもそもあり得ない。ブルトーザーをぶつけるとかならまだ話は分かるが、強風程度で倒れる代物ではないのだ。
だが、実際にドラム缶は倒れ、煮えたアスファルトを浴びる人間が出る。頭からではなく、体のどこかだ。だが、それでも十分に致命傷となる。煮えた油ならばまだ助かる。煮えたアスファルトはまず助からない。
アスファルトも基本的には油なのだが、粘性が高く、肌に貼りついたら、冷えるまでは絶対に取れない。周囲は大慌てで水をかけもするが、すべて無駄な努力に終わる。アスファルトの外側は冷えても、内側は熱いままだからだ。剥ぎとろうとしても表面が崩れるだけで、残りは肉に貼りつき続ける。煮えたぎって、熱いまま、その下にある肉を焼き続ける。
ドラム缶の中のアスファルトは約百八十度。それがべたりと張り付くのだ。皮も肉も焼けただれ、血液は沸騰しながら体内に戻り全身に回る。最悪なのは、犠牲者はその段階ではまだ生きているということだ。ようやくアスファルトが冷えて剥がせるようになった頃には、アスファルトと一緒に真っ白に茹で上がった皮と肉も丸ごと剥がれ、大きく開いた傷口から真っ白な骨が露出する。
ここに至ってようやく、犠牲者は痛みとショックと煮えた血液により絶命する。
このように道路舗装での事故は、惨劇必至となるのだ。そしてその犠牲者は昼間にどこぞの石を車で踏んできた連中ということになる。
そんなことを何度も目のあたりにして、部長は躊躇わなくなった。まだ日が暮れる前、神社に行ってお祓いを受ける。それで無ければ、その日の内に死ぬ。確実に。
疑う余地も、躊躇う余裕もない。オカルトの実際の現場とは、こういうものである。
追記)
このタイムリミットについて自分なりの考察を加えておく。
神社でのお祓いは、神主の神通力によるものではなく、基本的にその神社に御座す神様の力によるものである。個人の霊能力はどれほど強いものでも神々には遠く及ばない。
ところがその肝心の神様は常に神社に居るわけではない。定期的に神社を訪れる方式を取っている神様の場合は、それが万倍日に当たる。その日に参ると普通の日に参るのに比べて一万倍の功徳がある、と言われるものだ。さらには神様本体ではなくその使いというべき部下が代わりに御座す場合もある。
このケースの場合は、日が昇るとともに神社を訪れ、日が暮れると神界に帰ってしまう特性を持った神なのであろうと思う。そこまで太陽と紐づけされているからこその強い神格でもあるのだろう。この辺りはメリットとデメリットが絶妙に組み合わさるのがオカルト学の面白い所である。
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