第7話 お見合い


 生首と睨みあったことがある。


 姉が結婚して家を出ると、空いた部屋は私のものとなった。それまでは母親と同じ部屋に寝起きしていたのでこれはうれしかった。初めての自分だけの部屋である。


 だが、この部屋が良くなかった。


 姉は軽い霊感持ちで、たまに亡霊の類を見る。この部屋は霊道と言うほどのものは通っていないはずなのだが、何となく嫌な部屋のようなのだ。落ち武者の幽霊などを見たと姉は言っていた。

 そのため、姉の部屋は自分の部屋よりも綺麗なのに、兄はそこを自分が使うとは言わなかった。何でも良さそうなものは弟から取り上げるあの兄がだ。


 この部屋に私が寝起きするようになってから、金縛りに遭うようになった。お決まりのパターンである。


 金縛りはいきなり始まることもあるが、この部屋の金縛りはそうではなかった。

 金縛りが起きる日は部屋の雰囲気が違う。学校から帰ると、壁が呼吸をしているのだ。別に人間の息の口臭が実際にするわけではないのだが、なんとなく部屋全体が生臭い感じがする。始終誰かに見つめられているような感じもするし、耳を澄ませば壁がふうふうはあはあと呼吸をしているのを聞き取れるようにも思う。

 ふうふう。はあはあ。嫌な期待の視線。お皿の上の料理に向けられるお客が放つ期待感。まるで部屋が微かに歪むような、いや、歪んでいるのは世界そのものなのだ。お日様の射す明るい普通の世界と隔絶された、何か間違った所にいるこの感じ。

 だがそれでも寝なくてはいけない。夜に子供が起きているのは悪いことだ。眠りたくないと夜更かしをしていても、やがて眠らなくてはいけない時刻がやって来る。中学生の身なれば外に出歩くわけにもいかない。

 いわゆる優等生的な素直な良い子だったのだ。


 仕方がないので一人布団に潜りこみ、恐怖の瞬間を待つ。

 怖くて堪らない。でも止める術が無い。


 その日もそんな金縛りの夜であった。


 電灯をつけたままにするなどという贅沢は許されなかった。何よりもそんなことをすれば隣の部屋で寝ている母が起きてしまう。母は女手一つで子供三人を育てている。こんなくだらないことで、眠りを乱してはならない。


 自分一人が苦しめば済むことなのだ。


 無理に眠ろうとしても逆に目が冴えてしまう。こうなると暗闇の中で目をぎらつかせるしか出来ることはなかった。闇は怖いが、目をつぶるのはもっと怖い。瞼の闇にまぎれて一体何が近づいて来るのやら、判らない。


 怖い。


 怖い。


 こわい。


 嫌な気配が濃厚になる。先ほどから、どうも勉強机の上が気になる。何が気になるかと言えば卓上ランプだ。卓上ランプの形が気に入らない。

 卓上ランプは金属の自在継手で支えられた丸い傘つきのものだ。小さな丸形の蛍光灯がその中に納まっている。その形というか、卓上ランプが落とす影が気に入らない。わずかに開いたカーテンの隙間から差し込むかすかな光に照らされて、卓上ランプの丸い傘が、何だか人の頭に見えるのだ。

 丸い傘は頭蓋骨に、その下に落とされた二つの暗い影は落ちくぼんだ眼窩に、ぼんやりとだがそう見える。左右にだらんと垂れたのは髪の毛だ。ざんばら髪が左右に・・・


 だらんと垂れた?


 何がだらんと垂れるんだ?

 卓上ランプから何がだらんと垂れるんだ?

 だらんと垂れるものなど、そこには無いぞ。


 その瞬間、陰影がはっきりした。

 近視の自分に見えるはずのない細部までもがくっきりと形を露わにした。眼窩の影の部分に宙を睨んだ眼球が生じた。つるんとした頭蓋骨は武士の月代に化けた。虚ろに開いた口がその下に出現する。左右に垂れるざんばら髪。


 落ち武者の、生首だ!


 布団から飛び起きようとした瞬間、金縛りが来た。指一本動かせない。声も出せない。深呼吸すら難しい。


 その間にも生首はこちらを見つめ続ける。いや、こちらの目を覗き込んでいるのではない。その視線は宙を睨みあげている。こちらは床に敷いた布団の中だ。目線が衝突するはずがない。これを不幸中の幸いと言ってよいものがどうか。だが、直接目を覗き込むのだけは避けられた。

 必死で生首を見つめる。今にもその瞳が動き、こちらの目の奥を覗きこむのではないか。それが一番恐ろしかった。恐ろしいが見つめるのを止めることはできない。目を反らせば、その生首が宙を飛んでこちらにやってくるような気がしたからだ。


 来るな来るなと心の中で唱えながら、生首を見つめ続ける。

 二十分ほども睨みあっていただろうか、いきなり生首の輪郭が崩れ、元の卓上ランプに戻った。剃り上げた月代が消え、ざんばら髪が消散し、眼がただの影に戻る。同時に金縛りが解け、体が自由になる。

 灯りをつけ、素早く立ち上がる。再び卓上ランプが生首に化ける前に、ランプの位置を動かし、どうやっても頭に見えない角度にねじる。

 もう一度布団に戻り、金縛りに遭い難い横向きの姿勢で眠りにつく。


 電灯は消す。これ以上点けていたら、眠りの浅い母が起きてしまう。自分も明日は学校があるのだ。通っている公立中学校の校内は暴力団を背景とした暴走族の派閥で荒れていた。そっちの方が大問題だ。生首なんかに構っていられない。

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