第4話 家訓
これは怪談ではないが印象的な話だったのでここに記す。
明治が始まった頃なので曾祖父のさらに曾祖父の時代だと思う。
母方の家系には奇妙な家訓があった。それは「風呂上りに濡れタオルで体を叩かないこと」
風呂上りにタオルを絞って体に打ち付けることで水気を払う。世の中にはそんな習慣を持つ人もいるとの話だが、これが禁止されていたのである。
それにはこういう訳がある。
曾祖父の曾祖父がまだ少年であった頃に住んでいた家は奇妙な家であった。
下人が五、六人いてそれなりの格式のある武家の家だったらしい。昼間はごく普通の営みが行われる家なのだが、夜になると門はおよばず外から見える部分にはすべて戸が立てられる。そして外界から隔絶された中庭に下人も含めて家族全員が集まり、棒術の訓練を始めるというのだ。少年はまだ幼かったのでこの訓練には加わらなくてもよかったが、縁側に座って眺めることだけは許されていた。
これは恐らくは「草」と呼ばれる家であった。徳川幕府の時代に各藩の動向を調べる目的で密かに送りこまれ、あるいは密かに転向させられ、表向きは藩の忠実な家来として生き、その裏では幕府のために様々な諜報活動を行うのが本来の仕事である。草の任務は代々引き継がれる。草を辞めようとすれば当の藩にその正体が密告され、一族郎党殺されることになる。
明治維新で幕府は消滅し、それらは不要になるはずであったが、何等かの理由で生き残っていたのかもしれない。
ある夜のこと、厳しい顔つきをした下人がやってくると、少年を寝床から叩き起こして納屋へと連れていった。そこに積まれた荷物の箱の中に少年を押し込むとこう言いつけた。
「いいですか。朝になり誰か知っている者があなたを探しに来るまで、ここを動いてはいけません。何があろうとも声を出してはいけません」
その鬼気迫る勢いに少年はただ頷くしかなかった。
下人が納屋を出ていくと、しばらくして外から物音が聞こえてきた。大勢が怒号を発し棒を打ち合う音だ。夜半を過ぎるとその騒音は消え静寂が戻ったが、じきにある音が聞こえ始めた。
ひゅっ。パン!
濡れたタオルを体に打ち付けるような音だと少年は思った。音はそれからもしばらく繰り返されていたがやがてそれも静まり、真の静寂が戻った。
朝になるまで少年は待った。誰も迎えに来なかったので、どうにも辛抱がたまらなくなり少年は外に這い出した。
中庭には家族と下人のすべてが正座させられていた。その首はすべて落ち、各自の膝の上に抱きかかえるような形で置かれていた。
昨夜聞こえて来た音は人間の首を斬首する音だったのである。
生き残ったのは少年ただ一人。
それ以来、風呂場でタオルを振るのは家訓で禁止されたという。
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