第3話 ある昼の出来事


 ホテルに泊まりたくないので会社の出張命令を断り続けていたら、田舎の営業所に飛ばされてしまった。

 参ったね。こりゃ。

 部長も例の事件で俺が二度も病院送りになったことは知っている癖に、さてその原因とくれば困ったことにとんと信じてくれない。

 まあそういわけでここに来てしまったわけだが。


 まあ当然と言えば当然なんだが。もし俺が誰かから同じことを聞いたとしても絶対に信じないから。でもさ、それはつまり誰も俺を助けてくれないってことだよな。

 いや、俺だって頑張ったんだよ。神社巡りをしてお守りを山ほど買って来たし。お寺巡りをして写経までしてきた。霊能者を名乗る連中にも頼ったし、精神分析医のお世話にもなった。

 でも全然ダメなの。幽霊タクシーで死にかけたとか、幽霊ホテルで死にかけたとか、全然信じてくれないの。

 だから俺はタクシーには乗らないし、ホテルにも泊まらない。またやられたら、今度こそ俺は死ぬから。

 時速六十キロで路面とキスだよ。高さ十二階から地面にごっつんこだよ。生きているのが不思議なぐらいだ。全治六か月の重傷を二回って人生でそうそうあることじゃないんだぜ。

 まあもう済んだことだけどな。


 今度住むことになった田舎は、田舎と言っても街と言ってよい規模はある。人口は六千かそうこらかな。都会に比べて高層建築が少ないだけだ。営業所はコンクリート作り二階建ての小さなものだ。俺と他に二人ほど勤めている。客自体が滅多に来ないのでサボろうと思えばいくらでもサボれるが、そんな気はしない。いつも真面目に勤めている。

 営業所の西にはかなり大きな川が流れていて、上流に行った所には立派なコンクリートの橋、営業所の近くには木造りだがしっかりした小さな橋がかかっている。この小さな橋を渡ってすぐの場所に、テレビでも話題になった安づくりのアパートが建っていて、そこに部屋を借りている。大体の日用雑貨や食料品は近くにある小さななんでも屋の店で賄っている。

 営業所から東に出るとそこは街の中心部で生活に必要なものは一通り揃うのだが、そこまでの距離が結構あり、車が必要になるので俺は利用していない。あの事件以来、車は全部嫌いだ。

 田舎暮らしにもいいところはあるって良く言うじゃない。まず第一に出る言葉が豊かな自然。でも俺はそんなことに関心がない。ちょっと足を延ばせば山も川もあるけどね。山の類は誰かの持ち物で勝手に入れば死ぬほど怒られる。川は大きなのがあるが、俺はカナヅチだからそこで遊ぼうとは思わない。たまに河原でバーベキューをやりに来る連中を見かけるが、大雨のたびに砂州に取り残されて救助隊が出るのを見ると、ただの馬鹿の騒ぎにしか思えない。

 実際、街自体は都会よりも広く作られていて、車がないとどうにもならないというのは本当だ。でも俺は車が使えないから、革靴を止めて、見た目は革靴のスニーカーに切り替えた。この二本の足だけが頼りだ。


 暇な営業所だがそれでも時たま客は来る。小さな客でも残さず拾うというのが我が社のモットーだから、営業所自体は赤字でも問題にはならないらしい。そんなわけで俺はあちらこちらとひたすら歩き回った。営業所の連中は都会の人は意外と健脚だね田舎の人は車ばかり使うから足が弱くてと笑っていた。

 余計なお世話だ。俺の気持ちが判ってたまるか。

 外回りのついでに神社を見つける度に、お守りを買って来てはポケットに入れた。胸にもぶら下げているし、腰のベルトにもアクセサリの振りをしてさり気なくつけてある。

 本当に信心深いんですねと営業所の人が呆れたように言うが、これは信心の問題じゃないとは、どうせ判ってはくれないので詳しくは説明しない。今までは大ケガだけで済んでいるが、あれはどちらで死んでもおかしくない事故だった。死んでないのは単に幸運のお陰だ。

 とにかく見知らぬ人間に会うときは手首にお守りをぶら下げたまま握手するようにしている。うまくいけば今度はひどいことになる前に真実を見抜けるかもしれない。

 最近では時々こう思うんだ。もしかしたらどこかの誰かさんが、理不尽にも俺を痛めつけて楽しもうとしているのではないかと。いや、俺の妄想であることは理解しているけどさ。どうしてもそう思えるじゃないか。やっぱり気のせいかな。話しているうちにちょっと自信が無くなってきた。


 今日は客先巡りだ。ぐるっと街を大回りして、最後の一件になった所で、手持ちの書類の中に最後のお客様の名前が無いことに気づいた。

 ありゃあ。迂闊にも持って来なかったようだ。書類の期限が迫っているので今日中に判を貰う必要がある。これから営業所に戻り、書類を持ってまたここに来る。けっこうギリギリの時間だ。急がなくては。

 俺は歩きながら営業所に電話をかけた。

「はい。営業所です」

 女の子の声が応える。雑務係のナミちゃんだ。ショートヘアが可愛い若い女性だ。

「ああ、俺だ。ええっと山本さんの書類そっちに残っているかな?

 どうやら持って出るのを忘れたらしいんだが。俺の机を見て貰えないかな?」

「あ、ちょっとお待ちください」ナミちゃんが電話を保留にした。

 そのまま携帯を繋いだまま苛々と待つ。木橋の欄干にもたれ掛かり、タバコを吹かす。営業所はすぐそこだし、このまま戻って自分で探した方が早いかとも考える。いや、やはり俺が戻る前に書類を探して貰っておいた方がいい。そろそろ歩きを再開するか。

「もしもし、ありました」携帯の向こうからナミちゃんの声が返ってきた。「これどうします? 車に乗ってそっちに届けますか?」

「ああ、いいよ。今は橋の上にいるんだ。そっちに戻って受け取って、また出かけた方が早い」

「え~。でも橋の上って、この営業所から相当ありますよね」

「橋といっても小さい方のだよ。ほら、営業所出て左に行ってすぐの木の橋」

「その橋の上に居るんですか? いま?」

 あれ? ナミちゃんの声が険しくなった?

「本当ですか? それ」ナミちゃんは畳みかけてくる。

「本当だよ。ナミさん。なんだか声が真剣だぞ。どうした?」

「その木の橋。一年ほど前に川で大水が出たときに流されたんです。いろいろ町議会で予算が紛糾して、新しい橋はまだ掛かっていないはずですが」

「そんな馬鹿な。現に俺はいま」

 橋の感触を確かめようとして、橋の手すりに触れてみた。その拍子に手首につけたお守りが橋の手すりに当たった。


 俺の足の下で幽霊の橋が消え、俺は絶叫を上げながら川へと落下した。

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