襄国商人話譚
江季東歩
第1話
「いたぞ! こっちだ! お前ら向こうへまわれ!」
夜も更けた濃い闇のころ。
松明を持った数名の男たちが林の中で何かを追いかけていた。
ガサガサと音がする方向を探り当て、そちらへ走り込む。が、追われる側もすばしこい。囲んだと思ったら隙を突いて逃げられる。それをすでに二刻ほど続けていた。
「そこか!」
ついに一番年若の男が追いついた。と同時に、その首根を掴み、反動で思いっきり投げ飛ばす。小さな影が地面に激突して跳ね、止まった。
相手は子供だった。しかし大人たちは容赦しない。それはそうだろう、子供とはいえ盗人なのだから。
「どうします、お頭?」
「葉の旦那に報告が先だな。役所へ突き出すかどうかは旦那が決めることだしな」
「手間ぁかけさせやがって、このくそガキが!」
今追いついたばかりの男が、子供が握りしめていた財布を奪い返す。そして転がったままのその鳩尾に思いっきり蹴りを入れた。小柄な身体は跳ねたが、もう起き上がる気力はないようだ。男はそのまま子供のボサボサ髪を掴み、顔を上げさせる。
「てめぇの仲間がいただろ。どこだ?」
子供は首を横に振る。男は乱暴に揺さぶった。
「吐けよ! 他の奴らはどこにいる?!」
「……知らない。どうせみんな、逃げたんだろ」
つまり、この子供は見捨てられたということだ。男が不機嫌そうにもう一度その腹を殴って地面に転がすと、激しく咳き込んでそのままうずくまった。
子供は盗賊衆の一味だ。無人の寺に宿を借りる一行を旅商人と見て取り、仲間とともにその荷を狙っていた。財布を盗んで逃げ、男たちの目を引き付けるというのがこの子供の役目。だが、相手側に予想以上の用心棒がいたことで仲間は分が悪いと判断し、子供はそのまま捨て置かれた。そういうことらしい。
「旦那のところへ連れて行くか。ほら、立ちな!」
縄で縛り上げた子供を引きずって寺に戻ると、堂の入り口で、四十過ぎと思しき口髭を蓄えた男が、眠そうに皆が集まるのを待っていた。左右には、依頼主と荷を守るために残った男たちが辺りを見回し警戒している。
「葉の旦那、捕まえやしたぜ。あと、これの確認を」
先ほど子供から奪い返した財布を渡すと、口髭の男はざっと中身を目視して懐にしまった。この暗闇の中、きちんと確認できたのかは謎だ。
「ほかの盗人たちは取り逃がしやした。面目ない」
「まあ、盗人を捕まえるのは蔡殿の仕事ではないからな。財布が戻ってきただけで十分」
葉の旦那と呼ばれた口髭男が、蔡殿と呼ばれた体格のいい中年男に何事か囁く。蔡が手を振って合図をすると、男たちは寺の奥へと消えた。それを見届けてから、口髭男が子供へ向き直る。
「
鏢師とは、道中、依頼主の命と品物とを護衛する者たちのことだ。依頼主は商人が大半で、万が一、任務が不首尾に終わった場合は補償金を支払わなければならない。護衛と運搬と保険の性質を兼ね備えた、これも商売の一種である。そしてなにより、彼らには『必ず守る』という自負があった。そんな者たちを相手に、この子供は盗みをしようとしていたのだ。呆れるしかない。
「さて、こやつをどうするかな」
さして興味のなさそうな声をどこへともなく投げた。両手を縛られて転がされた目の前の子供を見下ろす。身体は小さいが年の頃は十前後だろう。家に残してきたひとり娘と同じくらいの年ごろだ。一瞬、そう思った。が、思っただけだ。役所へ届けてしまえばいい。正しい判断だ。
しかし、子供のほうは役所へ突き出されたらそこで終わりだ。子供自身はおそらく盗賊衆の下っ端に過ぎないだろう。が、この一団は何度か人を殺してもいる。盗賊衆のひとりということで何らかの刑はもちろん、場合によっては死罪も免れない。本来なら、役人につき出されても金さえ払えば釈放される年齢だろうが、引き受ける者などいるはずがない。
口髭男の腹はすでに決まっていた。言葉を発しようと口を開きかけた、そのとき。
「なあ、おっさん。あんた商人だろ。俺と取引しない?」
子供のほうから先にもちかけてきた。
「取引?」
男は怪訝そうに聞き返した。心の中で決定したことを覆すつもりはない。しかし、何を言うのか聞いてみるのも一興だと、ふと思った。
「小僧、話してみろ」
子供の顔をよく見てみると、意外にも目は澄んでいる。そして、ぽつりぽつりと話し始めた。男は黙って聞いていたが心に響く言葉はなく、何かを子供に語っただけだった。
そして、夜が明けた。寺で宿泊をしていた一行は朝早くから支度をし、すぐに出発をした。大量の荷を荷馬車に載せ、大所帯で慌ただしく寺を後にする。
しかし、そこに子供の姿はなかった。
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