失恋カルテ3 ダイエットマシン

@ramia294

第1話

 


 昨日もヤケ酒を飲んでしまった。

 最近、休み前は、いつもこうだ。

 牧野恭介の休みの朝は、このところ後悔しかない。

 酒で忘れられることでは無いのに、飲まずにいられない。

 

 社内のアイドル、小森加奈子さんが、恭介に笑顔を向けたのは、彼女の歓迎会だった。

 それから、社内でも頻繁にお喋りするようになり、時々、二人でケーキ屋に、行った。

 良い雰囲気。

 良い関係。

 恭介は、次のデートで告白しようと、考えていた。


 しかし…。


 その時盗まれたと思っていた彼のハートは、恭介の完全な思い違いで、あの宴会場に、置き忘れただけだった。

 小森さんは、学生時代からの彼氏と結婚する事が決まり、寿退社をした。

 遠距離恋愛中の彼女は、その孤独に耐えられなかったようだ。

 恭介のことは、不安な時間を埋めてくれるお友達。

 ケーキ友だち。

 それだけだったようだ。

 告白することもない失恋した心は、じっとして、動かない。


 金曜日は、長い夜だ。

 心の奥底に封じ込めたはずの、あの笑顔。

 持て余す時間は、気まぐれに、記憶の海からあの笑顔を浮上させる。


 恭介の心は、硬直する。

 心をほぐすために、アルコールを求めるのだ。


 しかし、アルコールは、硬直した心をほぐすだけだ。

 どの感情も救いはしない。

 責め立てるだけだ。

 それでも…。

 飲まずにいられない。

 結果、腹がでる。

 恭介は、ナルシストだった。

 ただの酔っぱらいになる前は、毎日の様に、ジムに通っていた。

 今朝、久しぶりに自分の姿を鏡に映す。

 お腹のポッチャリが、許せなかった。

 ナルシストの恭介は、ナルシストゆえ救われた。


「確か、小椋が失恋内科とかいうふざけた看板を出したとか言っていたな」


 小椋おぐらまなぶは、学生時代から仲の良い友人だ。

 昔から頭が良く、医者になったときも、何ら不思議を感じなかった。

 しかし…。

 失恋内科の開業の話を聞いた時は、驚いた。そんな開業医は、経済的に成り立つのか?

 優秀なのだから、普通の医者に戻れと言ったものだが、何とかやっているどころか、患者も多く、最近結婚までしたはずだ。


「奴に、お世話になるか」


 このままでは、アル中。

 お腹もポッチャリ。

 週末恐怖症の哀れな存在で、この命を終える事は、ほぼ確定だ。


 スマホに、小椋は…。

 登録済みだ。

 ジム再開の日も決定した。


 小椋のメールは、週末、時間的には、おそらく、その日最終の診察時間だけ。

 相変わらず、気は利くが、言葉の足りない奴と思った。


 受付の可愛い女の子が、明るい笑顔を見せる。

 あの明るい笑顔が、奴の奥さんか。

 羨ましい限りだ。


「だいたい、メールの内容通りだ。笑ってくれて良いぞ」


「まさか。相変わらず純粋な心を持つわが友人を世間に自慢しても良いくらいだ」


「俺が、まだ学生なら、そうしてくれ。しかし、俺たち、結構おっさんだぞ」


 会えば昔話。

 いつまでも友人の小椋。

 ありがたいものだと、恭介は思った。


「あの筋肉ムキムキの恭介のお腹がこんなにポッチャリするなんて、重症だな」


 からかわれているのか、心配されているのか分からない口調だ。

 しかし、口調が一転して、医者の顔になった小椋は、ダイエットマシンを使うと言った。


「ダイエットマシンとは、何だ?」


「ナノマシンだよ、体内のエネルギー消費があがり、余分な脂肪を落とす。その他、脳に働き、辛い思い出を風化させる。もちろん効果は、緩やかだが、アルコールに頼らなくても良くなるだろう。ただし筋肉をつけるには、もう一度努力がいる」


 点滴を受けた後、恭介は、帰路についた。

 彼の家までは、そんなに遠くない。

 途中、公園がある。

 小さな公園だ。

 公園なのに、街灯が少ないのだろう。夜は、足元がようやく確認できる程度の明るさだ。


「今日は、やけに明るいな。ようやく、街灯をつけてくれたかな」


 地方都市の小さな街の事は、何もかも後回しだろう。

 ようやく順番が、回って来たか。

 近々行われる花火大会のポスターまで確認できる。


「下品な車だ」


 恭介は、公園に寄り添うようにして停車している黒いミニバンを見つけた。

 下品ではあるが、この明るさは、街灯ではなく、ミニバンのライトのようだ。


「それは、申し訳ない」


 そう話しかけた黒スーツの男の姿を恭介が確認することは、なかった。

 そのまま意識を失ったからだ。

 そして、ダイエットマシンを使うまでもなく、彼が、もう二度と失恋の痛みに心を悩まされる事は、無くなった。

 彼の魂の抜けた身体は、彼の嫌っていた黒いミニバンに運び込まれて、小さな街を去っていった。




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