学年一の美少女を階段から突き落としたら、償いとしてひどいことをしてもいい権利を要求される眼鏡女子の話
わびさびぬき
第1話 道連れ
「雨、やっぱり強くなってきちゃったかぁ」
そう呟いて、掃除のために小さくあけられた教室の大きな窓を閉めた。お気に入りの丸眼鏡越しに見える窓の外の空は半分が灰色に濁った雲に覆われていて、そこから落ちる雨粒がはっきり見えるほど大きくなっている。
10月12日、今日の天気は曇りのち台風9号、朝見た予報ではこれから風も強くなって、午後6時には電車が止まるかもしれないとのこと。
「なんでこんな日に日直なんか……」
天候と自分の不運に対して恨み言を吐く。もう秋も深まったというのに、窓を閉め切った教室は湿度が高くて蒸し暑い。こんな日はアイスでも買って早く帰りたいな。そう思いながら、閉めた窓のカギに手を伸ばした。
「よっ、と……」
高校の窓は高すぎる、というのが入学したての時に思ったことで、半年たった今でもそう思っている。というか、私みたいな低身長のことを考えていないんだろう。おまけに転落事故防止のためか、窓は少し遠い位置にあって手すりもある。
目いっぱい背伸びをして、手すりの下に潜り込ませた腕をうんと伸ばして、ようやっと私の人差し指の先が窓のカギに引っかかった。
「あぁ、
「えっ、あっ、うん」
パタパタと上履きの音を鳴らして、私の背後に日直のペアである
彼に頼んでいた黒板と黒板消しの掃除は既に終わらせてきたようで、私が窓のカギから手を引くと、三島くんの腕はあの忌々しい手すりを軽く越してカギを閉めた。その姿を見て、はぁ、と軽くため息をつく。彼みたいな高身長―といっても高1男子の平均身長くらいなのだろうけど―には教室の窓のカギも閉められない私の情けなさはわからないだろうなぁ、なんて心の中で悪態をついた。そんな私の心の声を知らないだろう三島くんは不思議そうに私を見たあと、教室の一番前にある教卓を指さした。
「日誌の記入も俺の分は済ませといたから、あとは丸井さんの分を書いて先生に出すだけかな」
「おっけー、じゃあ三島くんは先帰ってていいよ。雨だし、これから強くなるし」
「それは助かる。丸井さんも早く帰りなよ」
「うん、じゃあね」
悪いね、という風に右手を縦に顔の前に持ってきた三島くんは、そのままカバンを左手で持って廊下に走って出ていった。
一人残された私は、教卓に置かれた日誌にペンを走らせる。日直の用事以外であまりしゃべったことのない三島くんは、きちんとした文章で日誌の今日の反省の欄を埋めていたけれど、私はさっき体感した窓のカギの遠さについての苦情をつらつらと並べていた。別にここに書いても変わらないことなんて百も承知だが、今日の反省なんていうのも、まともなものがないから仕方ない。
恨みつらみを書き終えて、最後に
日誌の提出を終えて教室に戻ってくる頃には、空を覆う灰色の雲は勢力を増し、ザーザーと音のなる雨を降らせていた。壁にかかった時計を見ると午後3時50分。
「やばっ」
急いでカバンを肩にかけて教室を後にする。走って駅に行って、仮に特急列車を捕まえられたとしても、最寄り駅までは1時間とちょっとはかかる。ましてやこの雨の中、駅まで走ることすら大変だ。余裕をもって見積もると教室から家まで約2時間、台風直撃まで時間がない。そんな考えを巡らせながら、雨で少し濡れた廊下を早歩きしていた。
それにしても、私以外誰もいない廊下というのはなかなか珍しいものだ。いつもの放課後なら、運動部の開始待ちのジャージを着た集団だったり、日直を待つ仲良し集団だったり、ただだらだらとしている陽キャ集団だったりが、この一本道をざわざわと賑わせているのだけれど、今日は台風の接近もあって部活動は禁止、用なく溜まる連中も先生がさっさと追い出していた。
そんなわけで、この空間はキュッキュと鳴る私の上履きとザーザーと打ち付ける雨音だけで満たされていた。こんなに急ぐ日でなければこの空間を堪能したんだろうけど。早歩きで少し早くなる息をふぅ、と整えて、下駄箱へと向かう下り階段に差し掛かった丁度その時。
――バンッ!
誰もいないはずの空間に大きな音が響いた。発信源は上の方、上り階段の先からだ。私は思わず足を止める。
変だ。
1年生が通うこのフロアは校舎の最上階、上り階段の先には何もない。しいて言うなら屋上へと出られる扉があるだけだ。だけどその扉は数年前からずっと締め切られていて、開かずの扉なんて言われているのを知っている。
ただ、その扉が開いているのだとしたら私は閉めなければならないと思う。開かずの扉が開いているわけがないと誰しもが思っているのだから、先生も見回りにはいかないだろう。そして、このフロアには生徒はもう私以外誰も残っていないのだから、私が閉めなければこの後の台風でひどいことになるのは目に見えている。
「……よし」
頭の中で次の特急までの残り時間を計算して決意を口に出す。ただ階段を上がって開かずの扉を確認する、それだけのことなのに、階段を上る足はそろりそろりと音を立てないようにゆっくりと動いていた。開かずの扉が開いているかもしれない、という小さなわくわく、もし開いていなかったら果たして何の音なのか、という小さなドキドキがそうさせたのかもしれない。
ただ、階段を11段上って踊り場に到着し、開かずの扉が見える方向を覗いた瞬間、その期待は打ち砕かれた。
「えっ……」
結論を言えば、開かずの扉は開かずの扉のまま固く閉ざされていた。音の正体は、踊り場に転がっているカバンだろう。
問題はそんなことではなく、開かずの扉に向かう最後の 階段を4段上ったところに、2つのブラウスが重なり合っていることにある。いや、というより、喧嘩になっているというべきか。
「なんで……私の何がいけないの!?」
学年一の美少女との呼び声の高い
私の知っている、クラスメイトの茅原さんは、才色兼備で文武両道、いつでも笑顔で人望が厚い。ましてや、怒るところなんて見たことがない。
そんな茅原さんが、今は大きく取り乱して、黒いショートヘアの女の子に掴みかかっている。そのショートヘアの女の子は苦しそうに、はっ、と息を吐いた。何回か、すれ違ったことはある。たしか、名前は――。
「……なんとか言ってよ、
怒気を孕んだ涙声の茅原さんの声。沙織、沙織……。そうだ思い出した、
茅原さんと水瀬さん、頭の中で何度考えても2人の関係がわからない。見た目で分かる共通点といえば、二人ともさっきの三島くんくらい背が高くてスタイルがいいってことくらい。
「……沙織!」
「かはっ、ふっ……」
茅原さんがひときわ大きな声を上げて水瀬さんの首元をぎりぎりと絞り上げる。水瀬さんは苦しそうにしてそっぽを向いた、と同時に、隠れて覗いていた私と目が合う。たすけて、というアイコンタクト。茅原さんはこちらに気づいていない。襟を握る手はぶるぶると震えて、水瀬さんの大きな目が苦しさで細まった。
「か、茅原さん、落ち着いて!」
思わず駆け出して、二人の間に左腕を差し込む。茅原さんが驚いたように目を丸くした。
「……っ!なに、あんた、関係ないでしょ!」
「関係、ないですけど、喧嘩は、よくないです!」
「うるさい!」
体格は二回りも三回りも差がある。しかも私は階段一段下から。首をいっぱいに上げないと顔が見えないくらい背の高い茅原さんは、右手を水瀬さんの首に残したまま、左手で私を追い出そうと押し出してくる。
けれど私もこの喧嘩を止めてやらなきゃいけない。何があったか知らないけれど、助けを求められて見ないふりできるほど薄情な心は持っていない。茅原さんの押し出す力をなんとか受け流して、左肩をぐいっと2人の間にねじ込む。そしてそのまま両手で茅原さんの筋肉質な腰を掴んでぐっと押し出した。
「ちょっと、頭、冷やして……!」
「なっ!……あっ……」
瞬間、水瀬さんの襟を掴んでいた茅原さんの右手が滑って離れた。
まずい。
そう思っても、私の突き出した両腕は勢いがついたままで。ギュッと底の濡れた上履きが鳴る。茅原さんの体が右後ろに傾く。
まずい。まずい。まずすぎる。
スローモーションのように時間がすぎる。
要は、茅原さんはバランスを崩していて。
要は、私は茅原さんを突き離していて。
さっきまで泣き腫らしていた茅原さんの顔が、不安そうに歪んでいく。
どうしよう。どうしよう。
「……あっ!」
悩んでいるのも束の間、茅原さんの空いた右手は、空をもがいた末に私の左腕を掴んだ。瞬間、体がぐっと引き寄せられて、自分の体の制御が効かなくなる。
雨はザーザーと降っている。重力に身を任せて落ちていく2人は息を呑む。階段の4段というのは意外に高くて。
こんなことなら、今日はまっすぐ帰るんだったな。
開かずの扉を背に、ドンッという鈍い音を聞いた。
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