28話 春の温室と2人の令嬢

  温室の中は、外よりも一層花と緑が輝いている様に見える。

 赤。ピンク。オレンジ。黄。白。空色。様々な色彩の花達は手入れが行き届いている。緑の割合が多く、それのお陰で花の色がより引き立てられ、華やかでありながら落ち着いた印象を受ける。きっと緑を茂らせる植物達は、次に花を咲かせるのだろう。一年を通して花を楽しめるように様々な種類の植物が植えられているのが、葉っぱや背丈で分かった。

 その見せ方も興味深いと、メイドに案内されながら歩いていて思った。道沿いの手前は背の低い花を、人が入らない奥に行くほど背の高い花を植えている。ガラス張りの壁沿いには周囲の目を遮断するように背の高い植物を植え、大きな花を咲かせる事で外からの目を引く役割を担っている。天井から革ひもで鉢ごと吊り下げられた植物が下へと蔓を伸ばし、小さいながら沢山の花を咲かせ、筋模様の入った葉っぱだけでも目を楽しませてくれる。

 私の温室は薬草栽培を主軸にしているのが、とても参考になる。


「お嬢様。レンリオス男爵令嬢様がいらっしゃいました」


 メイドが声を掛けると、石畳を歩く足音ではなく何か引きずる様な音が聞こえた。

 なんだろう、とメイドさんの横から顔を出すと、そこには車いすに座る白いワンピース姿のシャーナさんとそれを押すメイドがいた。


「ミューゼリアさん!」

「シャーナさん!」


 ぱっと明るい笑顔を見せてくれるシャーナさんの元へ、私は思わず駆け寄った。本当は公爵令嬢である彼女にちゃんと挨拶をするべきだが、居ても立ってもいられなかった。


「ミューゼリアさん。わざわざ来てくれて、ありがとう」


 シャーナさんは私の手を握り、嬉しそうに微笑んでくれる。


「こちらこそ、こんな素敵な場所に呼んでくださって、ありがとうございます」


 私はレンリオスの屋敷に戻った後に、すぐお父様にお願いをして、シャーナさん宛に手紙を出し、やり取りをしてく内に文通をする仲となった。あの時、シャーナさんは濃度の高い赤い液体を飲み、発作を起こした。シャルティスによって死は免れたが、魔力の循環が上手くいかず、一時的に体が麻痺してしまったらしい。ゆっくりと治療を行えば、魔力の循環が正常に戻り、再び動けるようになると医者から診断され、今は療養中だ。最初はメイドの代筆だった手紙は、少しずつシャーナさんの直筆となり、回復していく様子を窺えてとても嬉しかった。 

 そうして交流をし続け、体調が安定してきたから、とお見舞いに来ることを許してもらい、今に至る。


「体の具合はどうですか?」


 再会を喜んだあと、私とシャーナさんは一緒にお茶をしている。本来なら私はテーブルを挟んだ正面の席だが、今回は特別に車いすのシャーナさんの隣へ椅子を置いてもらい座っている。


「だいぶ良くなったわ。もう歩けるようになったけれど、お父様が心配してしまって、まだ車いすを使っているの」

「お二人は仲が良いのですね」

「えぇ。そうよ。もちろんカシウスとも仲良しよ」


 シャーナさんはどこか嬉しそうに話されている。ゲーム中の2人の会話シーンはいつも冷ややかだったが、今は親子の良好な関係を取り戻しているようだ。


「ミューゼリアさん。改めて、お礼を言わせて。あの時は私を助けてくれて、本当にありがとう。あなたは私の命の恩人よ」


 ティーカップをソーサーの上に置くと、シャーナさんは私の手を取る。


「あなたがいなかったら、きっと私は死んでいた。あの時はお母様の言う事を聞かなければと思うばかりで、自分が死ぬなんて考えもしなかったわ」


「シャーナさん……」


「私、お父様とお母様の子供として、公爵の娘としてちゃんとしなきゃいけないって思って……でも、お母様は、出来損ないだっていつも言われて……だから、言う事だけでも聞こうって頑張っていたの」


 少しずつシャーナさんの手に力が籠り、涙声になって行くのが分かった。


「お父様に心配かけたくなくて、つらいのを我慢して、でも頑張っても、頑張っても、お母様に怒られて、叩かれて、こんな自分は駄目なんだって、ずっと思っていたわ。でも、ミューゼリアさんは、将来の王国にとって重要だって、生きて欲しいって言ってくれて……」


 丸く可愛らしい瞳が揺らぎ、ぽろぽろと大粒の涙が流れ落ちていく。私は持って来ていたハンカチで、その涙を拭いた。

 初めて聞く本音。8年後のシャーナさんは、最後まで口にしなかった。自分の弱さを知らない王太子へ相応しい相手のように振舞い、孤独の中で必死に自分の足で立ち、報われない努力と擦り切れた心で戦い続けた。


「私、私ね、すごく、うれしかった」

「はい」


 もらい泣きしてしまいそうになる。

 本当に、あなたを救い出せてよかった。この先、大変な事があっても、シャーナさんは8年後とは違う道を歩んでくれる。きっと、大丈夫だ。


「助けてくれて、ありがとう」

「シャーナさんが生きていてくれて、本当に良かったです」


 溢れ出した感情は止まらず、シャーナさんはひとしきり泣いた。

 ゆっくり、ゆっくりと彼女の涙が治まり、私達は静かに会話を重ねていった。半年で環境ががらりと変わった事、魔術が少し上手になった事、マリリアさんとジュアンナさんと一緒に刺繍をしたけれど上手く出来なかった事、地元の友達のサジュが引っ越してしまい寂しい事、手紙でも書いたけれど直接言いたくて、私は一生懸命話した。シャーナさんはどこか嬉しそうにそれを聞いてくれた。


「ここはね、お父様が私のお母様の為に作った温室なの」


 私とシャーナさんは一緒に、温室に取り付けられたベンチの様に大きなブランコに揺られている。

 シャーナさんを産んだ女性。きっと優しくて、素敵な人だったのだろう。


「とても素敵な場所ですね」

「えぇ。ここは、私の大切な場所よ」


 懐かしそうに言うシャーナさんの横顔は、とても綺麗だと思った。


「私が4歳になる前に亡くなられて……泣いている私の為に、お父様がこのブランコを作ってくださったの。毎日、一緒にブランコに乗ってくださっていたわ」


 シャーナさんは優しい手つきでブランコの手すりを撫でる。


「ブランコに揺られている時、長くてキラキラと輝くお父様の髪を見るのが大好きだった。でも、髪を短くされて……その後、ファシアさんがいらして、お父様は変わってしまったと思い込んでしまったの」


 アーダイン公爵にとっては、政治や事業の為の結婚だったのだろう。でも、まだ小さなシャーナさんにはそれが理解できなかった。そして、塞がり始めた傷を抉る様に、ファシアに沢山の嫌な話を吹き込まれてしまったのだと、私は思った。


「髪の毛を短くしたって、お父様はお父様なのに。おかしなこと、考えてしまったわ」

「シャーナさんは、公爵様が大好きなんですね」

「もちろんよ! だって、私のお父様ですもの!」


 照れながらもしっかりと答えるシャーナさんがとても可愛らしい。

 人を惹きつける程に芸術品のように美しい横顔から一変して、子供の様に無邪気な笑顔を見せる。きっと今の彼女ならレーヴァンス王太子もイチコロだ。ゲームの主人公のリティナがどのルートへ進むか分からないが、私は彼女を応援したいと思った。


「そうだ! あの、私ね。ミューゼリアさんにお願いがあるの」

「は、はい。なんでしょう?」


「私と……お友達になってくださらないかしら?」


 まさかのお願いに私は言葉を失い、目を泳がせてしまう。不安にさせてはいけないと、なんとか呼吸を整えて、声を絞り出す。


「ミューゼリアさん?」


「あの、私……もうシャーナさんとお友達だと思っていました」


 半年も文通しているから、そうだとばかり思っていた。貴族は平民に比べて、子供の時から建前や家同士の付き合いがある。シャーナさんの問いかけに、それを思い出した。そうなるとマリリアさんやジュアンナさんも、私に付き合ってくれていたのだろうか。

 不安に思っていると、シャーナさんは頬を赤らめ興奮した様子で、私に抱き着いた。


「シ、シャーナさん!?」

「私ったら、どうして気づかなかったのかしら! 教えてくれて、ありがとう!」


 生き生きとした声と花の香り。

 ゲームだ、ゲームだ、と思っていても、全ては現実で、みんな生きている。

 私は、胸は喜びで満ち溢れている。

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