19話 赤く危険なもの(一部修正)
妖精王復活の予兆は、魔物だけでなく人間にも影響を与えた。それが〈病〉だ。8年後、その病は瞬く間に広がるだけでなく、症状が余りにも多方面のために医師達を困惑させた。ある人は高い熱を発症し、ある人は幻覚と幻聴に悩まされ、またある人は奇声を上げながら暴れ出す。共通点は皆が〈赤〉の付く単語を何かしら言っていた。そして徐々に症状が悪化し、人々は堕ちる様に眠って行った。
私はこっそりと扉を開けて、廊下を確認する。窓から月明かりが差し込む廊下に人気は無い。シャンティスが必要なら予め持って行った方が良いと思い、私は木箱を抱えながら足音を立てない様に歩いて行く。
兄様の部屋まで少し距離がある。気を引き締める。
「ねぇ、赤色の危ないものって何?」
右肩に乗っているレフィードに小声で問いかける。
『負の想念の産物に、赤い淀みと呼ばれる存在がある。人里離れた池に、かつては発生していた』
「淀み……」
人里離れた池。800年前の話だとすれば、多くの人が亡くなっている。盗賊に殺された人。敵軍に殺された人。墓を作る時間が無く、愛する人を置いて災厄から逃げるしかなかった人。沢山の死体をその池へ投げ捨てられていたのだろうか。歴史書には載らない小さくも多くの出来事が、日々起きていた。
『その池の水底には、黒い泥が発生していた。その色は、自然界の泥と違いより黒く染まっていた』
「水底にあるなら、ヘドロのほうが近い気がする」
『あぁ、そうだな。それに近い。そのヘドロから、赤い淀みが発生していたと誰かが言っていた』
ヘドロとは、枯葉やプランクトンの死骸などの有機物が水底に集まって出来たものだ。大きな街の近くでは家庭や工場の廃液が混じり、有害物質を含んでいる場合がある。池や湖、川の下流側等の流れが全くないか緩い場所に溜まりやすい。
その例えから、先程の毒素の話がより分かり易くなった。歪な器にヘドロが溜まり、排出されるのは分離した水のみ。それが魔術を使うたびに、徐々に蓄積されていく。イレグラ草等の魔力の排出を助ける薬を使っても、その一部を掬い取り、流し出すしか出来ないのだろう。
「800年前の昔話にも出てきていたけれど、負の想念って具体的にどうやって出来上がるの? 怒りや悲しみ、復讐心のような感情なのは分かるけど、それだけでは強大なものにならないような気がする」
時にはとても危険な感情だとは思う。800年前の戦争も秩序が乱れ、復讐を復讐で塗り替えるばかりだった。ただ、それが妖精王の存在へと繋がる理由が私にはよく分からなかった。
『厳密な仕組みは、現在私の取り戻した記憶の中には無い。巡り巡るはずの感情が留まり続け、あるべき場所を忘れ、魔力を拠り所にしてしまったのが原因……私は、そう考える』
「世界に溜まった毒素みたいだね」
ヘドロと同じなのだろう。人は確かに怒りや悲しみを抱えるが、それだけを糧には生きるのは難しい。精神が崩壊を招いてしまう。800年は、花を愛で、歌を楽しみ、舞う喜びが無くなる程に余裕はなく、人々は追い込まれ生きる為に必死だったのだろう。
人々はヘドロの下へ沈まないように、誰かを足場にする事を繰り返してしまった。
『そうだな。世界はそれらを浄化する作用がある。風の妖精族による風化の舞や、千年樹のような生き物がその役割を担っている』
風化の舞。少しだけ、本で読んだことがある。
風が花の種を遠くへ運ぼうとも、必ず土へ降り立つように、還る場所を忘れた還るべきモノ達へ。逝くべき処へ導く鎮魂の風。
年に一度、執り行われるその舞には、多くの参列者が参加し、愛する人との別れの挨拶をする。
ゲームには、一切書かれていない内容だった。
「その淀みが体内に入ったら、さっき言っていた事になるの?」
『表向きは、先程の発言通りだ。増幅剤であれば、長期的に病院に通い治療を進めれば、魔術は使えなくとも人並みに生きられるまでに回復できる。赤い淀みは人の魂そのものを蝕んでしまう。失ったものを補おうと、より激しい負の連鎖の中に身を投じる事となる。私が覚えている限りでは、回復した者はいない』
「……兄様が、魔力の循環が乱れた理由は?」
『私のいた泉の水を飲み、身体に抵抗力が生まれたのだろう。蝕まれないように、体内の魔力が淀みに対して拒否反応を示したと考えられる』
レフィードがそう言い切る時、丁度私達は兄様の部屋の扉の前に着いた。
木箱を一旦床に置き、扉のハンドルを持とうとしたが、私は思わず躊躇った。気持ちが落ち込んでしまい、勇気がわかなかった。
『ミューゼリア。先程の話に追加しておきたい』
「……何?」
『それらは本物の淀みであれば、の話だ。子供達は飲んでいたにも関わらず、赤い飲み物を嫌悪し、戸惑いを見せた。王太子は、それを撤去するように命じた。正常な判断が出来ていた。本物であればその判断は出来ず、淀み依存する。似せて作られた液体である可能性がある』
レフィードが様子を見に行きたい理由はそれだったのか、と私は驚きつつ、目的を最初に聞いていなかった事に気づいて、少し恥ずかしくなった。
赤い液体の存在ばかり気になってしまってしまい、目的を見失っていた。好奇心の強さが仇となった様に思える。
「助かる可能性はあるんだね」
『そうだ。だから、確認をする』
私はその言葉を聞いて、少し安心した。
そして、一回深呼吸をすると、扉を開け、木箱を抱えながら兄様の寝室へと足を踏み入れた。
部屋の内装は私の部屋とそこまで変わらないほどに豪華だが、ベッドの傍らにあるチェストの上には、火属性の魔鉱石が入ったランプ、ガラスの水差しとコップ、殻の空き瓶、桶とタオルが置かれている。
私は足を立てない様にしながら、兄様の眠るベッドまで近づく。レフィードは私の肩からベッドへと降り、兄様の体の様子を診る。
『うん。私のいた泉の水の効果が働き、淀みに近いものに対して抵抗をしている。だが、幼い体では赤い液体が上手く排出できない様だ』
レフィードは即座に淀みが本物ではないと言った。私はそれに安心をしながら、兄様の様子を伺う。
兄様は夕方の時に比べて、息苦しそうだ。息が荒く、額には汗がびっしりと湧き上がっている。私は木箱を床に置き、サイドテーブルに置かれたタオルを陶器のボウルに入った水で濡らし、しっかりと絞ると、兄様の額や首を拭いていく。
「ん……? あれ、ミューか。どうした?」
眠りが浅かったらしく、兄様は直ぐに私に気づいた。サイドテーブルに同じく置かれていた魔鉱石のランプに灯りを灯す。
「心配になって来ちゃいました」
「そっか。今日は、ごめんな」
兄様は笑顔を作ろうとしたが、上手く出来なかった。こんなに弱々しく見える兄様は初めてで、私は怖くなった。
「気にしないでください」
「俺が気になって飲んじゃったのが悪いだろ」
兄様の行動が無ければ、全員が赤い液体を飲まされていた。前回は大丈夫であっても、今回はどうなるか分からない。悲しい話だが、兄様の犠牲で子供達は親の目から逃れた事で、自らあれが危険であると判断し、理解できた。
「兄様は、悪くないです」
「うん……」
「私、兄様の体を治す薬を持って来たんです」
「薬?」
「はい。少し準備するので、待ってください」
サイドテーブルにタオルを置き、木箱に手を伸ばす。
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