第三十一話:元カノの本心を聞く

 ――ずっとずっと、智樹が好き。


「……なんでだよ」


 頭が真っ白になった。

 訊く前に想像していた答えと同じだったはずなのに、実際に俺にもたらした衝撃はその想像を遥かに超えていた。


「それなら……なんであのとき、『別れよう』なんて言ったんだよ!」


 知りたい。

 なんで好きだったのに、別れる必要があったのか。

 なんでその選択に辿りつくことになったのか。


「だってしょうがないじゃない! じゃあ逆に訊くけど、あのまま付き合ってて元に戻れたと思う? ちゃんと仲が良かった頃の私たちみたいに、またなれたと思う?」


 考える。

 あのまま関係を続けていたとき、どうなっていたのかを。


 すでにあの頃、連絡を取り合うことすら少なくなっていた。

 会っても口数少なく、なんとなく気まずい雰囲気が流れるだけの時間。


 たしかに紗香の言う通りかもしれない。

 だがそれを肯定したくはなかった。


「――だとしてもさ、ちゃんと腹割って話し合えばよかっただろ! そうすれば俺だって……!」

「『俺だって』何? あの頃、私に興味すらなかった智樹が……それを言うの?」

「そんなことは……」


 想像以上に平坦な声が俺の耳に響き、言葉を詰まらせてしまった。

 紗香が内に抱えるのは、悲しみなのか怒りなのか。

 上手く判別がつかなかった。


「じゃあさ、この際だから訊くけど、あの頃、私のこと、どう思ってたの?」

「それは……」


 思わず黙ってしまう。

 言えなかった。

 あの頃のことを思い出すのは時間がかかる。

 だってずっと目を逸らしてきたのだから。

 努めて、思い出さないようにしてきたのだから。

 

 ――だが、それは明確に悪手だった。


「…………ほらね。何も言えない。その程度だったんだよ、智樹は。だからもしあのとき私が『やっぱり智樹のことが好きだからやり直してほしい』なんて言ったところで、無理だった。関係は継続出来たかもしれない。でも、私の方が常に下手したてに出て、顔色を窺って……そんな付き合い方、嫌だよ。智樹とは対等な関係でいたいよ……」


 言ってから、紗香は手で目を拭った。

 届いてくる声が、途中からどんどん震えていったのがわかった。


 伝えたい。

 今、伝えなきゃいけないのはわかっている。

 でもうまく思考がまとまらない。

 俺がそうしてまごついている間にも、紗香は話をどんどん進めていってしまう。


「だから考えたの。一度別れて、またイチから……友達からやり直せば、上手くいくんじゃないかって。恋人としてはダメでも、友達なら……って。例え友達でもずっと近くにいれば、また私のことを見てくれるんじゃないかって。――実際、別れてからは私たち、結構うまくやれてたと思わない? それこそ、付き合っていた頃……最後の半年間よりもよっぽど」

「まあ……な……」


 紗香の言う通り、別れてからの俺たちの仲は良好だった。

 それこそ、また付き合うのもありなのではないかと思えるほどには。

 別れた直後こそ独特の気まずさはあったものの、それは日を追うごとにどんどん払拭されていった。


 別れる前よりも、よっぽど仲の良いふたりをやれていた。


「……そもそも、なんでそうなっちゃったんだよ。なんで俺のこと好きだったのに、あんな微妙な感じになっちゃったんだよ」


 本当は否定したかった。

 うまくやれていたなんて、認めたくなかった。

 でも認めざるを得なかった。


 だから俺が言えたのは、そんなつまらない言葉だけだった。

 だがそんな言葉は届かない。

 当たり前だ。

 本心を伝えてくれている相手に、口先から反射したようにで出てくる言葉なんて、何の意味もなさない。

 当の俺ですら消化しきれていない気持ちなんて、届くはずがない。


「そんなの私が訊きたいよ……! そんなこと、何回も何回も考えた。でもわからなかった。どれだけ考えたって、これが原因だっていうちゃんとことなんて思いつかなくって……。なんでこうなっちゃうんだろう、なんで智樹は私に興味なくなっちゃったんだろう、ってそんなことばかり考えてた。ねえ、なんでなの? 教えてよ……!」

「先に愛想尽かしたのは紗香の方だろ! 俺はいつも通りにしてた! 少なくとも、嫌な態度見せたことなんてない!」

「私だってそんなことしてないよ! だってずっとずっと好きだったもん! そんなことするわけないじゃん!」


 ああ……なんでこんなことを言ってしまうんだろう。

 本当は喧嘩なんてしたくない。

 売り言葉に買い言葉なんて、何一つ、いい結果を生むことなんてないのに。

 いま大事なのは、そんなことじゃないのに。


 だけどそんな俺の意に反して、勝手に口は言葉を紡いでいく。


「……じゃあ、あれはなんでだよ。俺がメッセージ送ったとき、前と比べて返ってくるのが目に見えて遅くなったのは。それに紗香の方からも全然来なくなってったし」

「そんなの……しょうがないじゃん……。だって怖いよ。何を送ったらいいのかわからないよ。気づかないうちに智樹の逆鱗に触れたりなんかして、嫌われちゃったらどうしよう、ってそんなことばかり考えてた。返信するだけでもそんななのに、自分からなんて送れるわけないじゃない!」

「はあ? 俺がいつそんなこと言ったんだよ!」

「言ってないよ! 言わなかったんだよ……何も……私たちは。だからきっと、こんなふうになっちゃったんだよ……」

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