第二十二話:後輩の提案

「――――――好き」




 心臓が痛いくらいに高鳴っている。

 あとほんのちょっとでぶつかってしまうのではないかと思うくらい近づいている都築から、どうしても目が離せない。

 長い睫毛。深いブラウンの瞳。形の良い眉。

 そんな今まであまり意識して見ようとせず知らないでいた情報が、次から次へと脳に刻まれていった。


 そのまま数秒見つめ合っていたが、ある瞬間――我に返ったかのように都築がハッと目を見開いた。

 弾かれるように身を起こし、距離を取って座り直す。


「あ、いや、ちが、その、えっと……そうじゃなくて!」


 都築は必死そうだ。


 何がそうじゃないんだろう。

 先ほどの告白かと思ってしまった、あれのことだろうか。

 黙って次の言葉を待っていたが、都築は視線をあちこち彷徨わせたまま、焦ったように髪を耳にかける動作を繰り返すだけで、何も話しはしなかった。

 というよりも、度々口を開こうとはしていたので、どうやらうまく纏まらないようだった。


「えっと……」

「……ゆっくりでいいぞ。待ってるから」

「……はい」


 そして都築は何度か深呼吸した。


 すー、はー。

 すー、はー。

 すー、はー。


 ………………

 …………

 ……


 やがて落ち着いたのか、だんだんと視線が定まってきた。

 あわあわと落ち着きなかった動作も解消してきている。


 同時に、俺の方も平静を取り戻すことが出来た。

 助かった。


 ――そろそろかな。


 ちゃんと訊かなければ。

 そう思い、意識して表情を引き締める。

 すると都築は、ぽつり、ぽつり、と言葉を紡ぎ始めた。


「さっきのは……その……映画の雰囲気にあてられちゃったっていうか…………そう! ほら、彼氏欲しいって言ってたじゃないですか?」

「ああ、言ってたな」

「今日こうやって先輩と一緒にお部屋でゆっくり、隣に並んで映画観て、なんかこういうのいいなぁって思っちゃって、つい口走っちゃったというか……。先輩を居もしない彼氏の姿に重ねて想像しちゃったというか……」

「それで、えーっと……言うつもりもなかった台詞を口走っちゃったってことで……いいのか?」

「………………はい」


 そうなのか。

 やけに真に迫っていたからてっきり……。


 ――実際本当のところはわからないけど、本人がそう言っている以上、信じるのが正解なんだろうな。

 どこまで考えても、俺では結論が出せないんだから。


「――そういうことな。……びっくりしたわ。マジの告白かと思った」

「わ、私が先輩に告白するわけないじゃないですか! それとも先輩、少しはドキッとしました?」

「……いやぁ、あの雰囲気はさすがに……何も感じない人はいないと思うぞ」

「……ははは。ですよねー……」


 ――き、気まずい……!


 まるで空気がコールタールにでもなったかのように、じっとりとした質量をもって俺たちを包み込んでくる。

 呼吸すらも、し辛くて仕方がない。


 その空気を作りだしているのは、他ならぬ俺たちなわけなのだけど。

 

「じゃあ、その……さっきのは〝なかった〟ってことでいいんだよな?」

「え! あ、いや……。それは……!」


 また都築が慌てた。


 他意があるならそう言って欲しい。

 かといって本人が否定している以上、「やっぱり俺のこと、好きなの?」とか言うのはやっぱりおかしいし、違ったときは目も当てられない。

 そんなのはただの痛いやつだ。


「えーっと、だから先輩にまだ見ぬ彼氏を重ねて見たのは事実なわけで……えーっと……あ、そうそう! それでですね。せっかくだから、私と〝お試し〟で付き合ってみませんか?」

「〝お試し〟?」

「はい。先輩は彼女いないみたいですし、私も彼氏いないですし、まずは試用期間的な感じでちょうどいいかなって。それでお互いのことをもっと知って、『いいな』と思ったら正式に付き合うっていうのはどうでしょう?」

「お試しって……そんなのする必要あるか? だいたいそれ、今と何が違うんだよ」

「やっぱり仮とはいえ恋人になれば少しはそういう目で見やすいじゃないですか? 〝後輩〟と〝彼女〟だと見方も違うでしょ? より相手のことを知ろうって思うというか」

「まあそれはそうだろうけど……」

「そういう疑似彼氏彼女やってみて、うまくいきそうだと思ったら付き合えばいいし、駄目そうだったら別れればいいと思うんです。いいんですよ。軽いノリで。――あ、そうだ! 一応とはいえ彼女になるんだから、ちょっとくらいならエッチなことしても――」

「いや、ダメだろそれは。〝お試し〟なら、そこはちゃんと線引きしないと」


 突然恐ろしいことを言いだすもんだから、思わずはっきりとした口調で言ってしまった。

 もちろん都築に魅力がないわけではないが、そこまでゆるくするのは人としてダメな気がする。


「ははは……。そ、そうですよね。気が逸っちゃいました……。――ごめんなさい」

「いや、謝る必要はないけど、でも自分のことはもっと大切にしたほうがいい……と思うぞ。それで話は戻るけど――お試し交際か」

「はい。どうでしょう……?」


 都築は背中を丸め、こちらを窺うように見た。

 どういう種類かわからないが、不安が見て取れる。


 少し、考える。

 都築といるのは、はっきり言って楽しい。

 以前から気心知れた仲だし、ころころと表情の変わるさまは見ていて飽きないし、なんというか和む。

 気遣いだってできるし、容姿だって申し分ない。


 実際のところ、都築にどのくらいの気持ちがあるかわからないが、お互いに『いいな』と思ったら付き合うと言っている以上、悪く思っていないというのはほぼ間違いない。

 彼女もいないなら、飛びついてワンチャン狙うやつだって多いはずだ。

 だけど……だけど俺は――。


 熟考した後、俺は結論を出した。


「なあ、都築。もう一度確認なんだけど」

「……はい」

「それって本当に〝お試し〟なんだよな? 仮の彼氏彼女をやってみて、それでお互いに『いいな』と思うようになったら正式に付き合う。そうでなかったら別れる。そういうことで……いいんだよな?」

「…………はい」


 都築はこちらをじっと見て、しかしはっきりと首を縦に振った。


 ふぅ、と深く息を吐く。

 自分の中にある迷いを振り払うように。


 そして、俺は言った。




「――なら、付き合うか。〝お試し〟で」

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