ストロベリー・オン・ザ・――

2ka

ストロベリー・オン・ザ・――

 あたしは耳を澄ませている。

 登校してくる生徒たちのざわめきは遠い。すぐ窓の向こうで、甲高い鳥の鳴き声。木の葉が風に揺れる音は優しい。

 誰もいない校舎は、まるで不思議なホールみたいに、外の音を吸い込んで柔らかく響かせる。

 先輩は、静まりかえった校舎が好きなんだ、と言って、いつも朝早くに登校して来てたけど、あたしはこの時間の方が好き。最終下校時刻間際の夕暮れも。みんなみんな遠くにいて、でもひとりぼっちじゃない感じ。

 目を閉じると安心感に満たされて眠ってしまいそう。お母さんのおなかの中みたいってことなのかも。

 アロマ効果じゃないけど、すっかり慣れた美術室の画材のにおいは、気持ちをもっと穏やかにしてくれる。自分のテリトリーにいるって実感できる。

 ここには、あたしを傷つけるものは、なにもない。

 だから、あたしは安心して耳を澄ませていられる。

 待ち焦がれていた階段を上がってくる足音は、まるでそよ風みたいにそっと近づいてきた。


「おはよーございます。センパイ」

「おはよう。……なんか姫の挨拶で迎えられるって不思議な感じがするね」

 あたしの待ち人である先輩は、一度入口で足を止めた。静かな微笑みを浮かべたまま、まるでめずらしい光景を目に焼きつけようとするみたいに。

 先輩がいる美術室にあたしが来るのがいつものパターンだった。だから、あたしにとっても、教室に入ってくる先輩はすっごくめずらしい。

 しっかり覚えておこう、と思う。

 同じように先輩にも覚えててほしい。今日のこと。あたしのこと。

 あたしはもう心にくっきり刻みつけている。あたしを振り返ってくれる先輩の姿を。バカなあたしでも、ちゃんと思い出せるように。何度も何度も繰り返したから。

「だって呼び出したのあたしだし。センパイを待たせるなんて、そんなことできないし?」

「そんな謙虚なキャラだっけ?」

 クスクスとおかしそうに笑って、先輩は美術室へ入ってきた。一瞬、懐かしむように目が細められたのを、あたしは見逃さない。机に座って足をプラプラさせてるけど、目も耳も心も、あたしのセンサー全部が感度マックスだ。

 いま、ここで起こってることは、全部あたしのもの。

「受験お疲れさまでした。よーやく春ですね」

「まだ合否は出てないけどね」

「でも、受かるんでしょ?」

「どうかな」

 苦笑を浮かべる先輩の本心はわからないけど。

 あたしにはどっちでも同じ。先輩がもうこの学校にいないってことに変わりはない。

 ぐるりと部屋を見渡す先輩に、「懐かしいですか?」と訊けば、「うん、久しぶり」と、本当に嬉しそうな顔で笑う。

 だったら、毎日来たらいいのに。――とは言えないけど。

 先輩の視線があたしの上で止まる。この瞬間が好き。

「それで? 今日はどうしたの?」

 しょうがないなって顔で、でも好奇心をくすぐられてるのを隠せない顔で、あたしの話を聞いてくれる先輩。

「今日、あたしの誕生日なんですよ」

「あれ、そうだっけ?」

 いえ、ウソです。

「そーなんです」

 ホントは月末なんだけど、何食わぬ顔でウソをつく。先輩は誕生日とか覚えないひとだから、バレる心配はない。

「だから、お祝いしてほしくって」

「それなら、先に言ってくれたらよかったのに」

 何も用意してないよ、と困り眉の先輩。予想通りの表情。この顔も好き。

「だいじょぶです。あたし、自分で準備してきましたから」

「準備ってなんの? まさかパーティ?」

「はい」

「……パーティで披露できるような一芸も歌もないんだけどな」

 深刻そうに腕組みをしてみせる先輩。さっきの困り顔は本当だけど、これはわざと。そんな茶目っ気も好き。

 あたしは、先輩のリアクションにふさわしいように、目一杯いたずらっぽくニンマリ笑ってから、背中で隠していた箱を取り出した。

「ケーキ食べましょ」

 小さな箱の中には、大きなイチゴが乗ったショートケーキがワンカット。

「いま?」

「いま」

「ここで?」

「ここで」

「画材くさくない?」

「くさいですか?」

 あたしが首を傾げると、においは気にならないけど、と前置いて、

「……朝からケーキか」

 今度は半ば本気で深刻な声をあげた先輩に、あたしは得意のウインクをしてみせた。

「だから、ワンカットでしょ?」

 あたしは先輩の誕生日も、辛党なことも覚えてる。


 コーヒーが欲しいな、と先輩が言ったので、二人で食堂前にある自動販売機へ向かった。

 卒業式は終わったけど、先輩は制服で来ていたので、目立つこともなかった。部活の朝練が始まったばかりの時間で、すれ違う生徒はいなかったけど。

 先輩はブラックコーヒー、あたしは紅茶。二人でアチアチ言いながら美術室へ戻ったけど、春の空気にさらされて、帰り着く頃には適温になっていた。

 しょぼい紙コップの自販機だけど、先輩がごちそうしてくれたから、特別においしい。そう言ったら、「姫は言うこともかわいいな」と、先輩はまた笑ってくれた。

 自分で言うのもなんだけど、あたしはめちゃくちゃかわいい。雑誌のモデル募集に応募したら即採用されるくらい。現実にされた。ママが勝手に応募したやつで、あたしは泣いて嫌がったけど。

 あたしの愛らしい見た目とかわいらしい言動を見て、先輩は「現実にお姫様みたいなこっているんだね」と言った。そして、ごく自然にあたしを「姫」と呼ぶようになった。

 先輩のソレは、ただの呼び方でしかなかった。白いネコを「シロ」って呼ぶみたいな。そういうのと同じ。

 だからあたしは、もっとバカでかわいい、わがままなお姫様になる。

「ハッピーバースデー、マイプリンセス。って言ってください」

 真剣な目でお願いしたのに、先輩はふはっと吹き出した。

「私に言わせて楽しい? そういうのって王子様とか、彼氏に言わせるものじゃない?」

「センパイがいいんです」

 王子様なんていらない。――言わないけど。

 手を組んで「おねがい」と目で訴えると、先輩はいつもの「しょうがないな」の苦笑を浮かべた。あたしがバカでいられるしるし。

「お誕生日おめでとう、お姫様」

「んふふふふー」

 満たされた気持ちでケーキに取りかかる。本人の不安どおり、先輩は二口目でギブアップだった。

「これ、そんなに甘くないのにー」

「いや、うん……おいしいケーキなんだろうなっていうのは伝わった」

 ワンカットでも結構な大きさのあるケーキを、あたしが一人で頬張るのを、先輩はまるで手品でも見るみたいな顔で眺めてる。おいしいのに。

「しょーがないなー。じゃあイチゴあげます」

「いいよ」

「イチゴきらいです?」

「嫌いじゃないけど」

「でしょ?」

「でも、苺ってショートケーキのメインじゃない。これ、姫の誕生日ケーキだよ?」

「いーから、いーから」

 ケーキの真ん中に乗っているイチゴをフォークで突き刺して、「はい、あーん」と先輩の顔の前に持っていく。戸惑っている先輩に気づかないふりで、閉じたままの口にイチゴを押しつけた。

「む」

 イチゴに生クリームがたっぷりついているせいか、先輩は閉じた口のまま、眉根を寄せた。イタズラを咎めるみたいな、しょうがないなのお叱りバージョン。でも、このままにしておくわけにもいかないでしょ?

 諦めたように眉尻を下げた先輩が、口を開きかけた瞬間。

 あたしは、イチゴを自分の口へと運んだ。

 甘酸っぱいイチゴと生クリームが混ざって、とってもおいしい。

 目の前で先輩がぽかんと口を開けたまま、あたしを見つめている。しかも、唇に生クリームをつけたまま。こんな表情は初めてだ、と得した気分で心のシャッターを切る。

 ぱしゃり。

 ごくんとイチゴを飲みこんで、仕上げにぺろりと上唇を舐めた。

 かわいいあたしの、ピンク色の唇に人差し指を当てて。

「うばっちゃったー」

 特別にかわいい声で、歌うように宣言する。

 先輩は、ぱちりぱちりと二回の瞬きで我に返って、眉尻を下げたけれど。

「ふっ」

 零れたのは、いつもの苦笑じゃない、大笑いだった。

「あははははっ」

「ふふふっ」

 あたしも一緒に笑う。

「なに、姫、いまの。私の、奪っちゃったの?」

「うばっちゃいました。プレゼント代わりです」

「なに言ってるのかわかんないよ。もう、本当に、姫は突拍子もないっていうか、バカっていうか、かわいいなぁ」

「しつれーなっ」

 アハハハ、クスクス、二人でいっぱい笑った。笑いすぎて涙が出てくるまで。

 先輩はあたしを姫って呼ぶけど、あたしをお姫様にはしない。絶対に。

 だから、ずっと、大好き。

 笑いすぎてむせちゃって、手で口を押さえたとき。

 自分の吐息から、ふわりとイチゴが香った。

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