○○の世界

東宮

第一章 ボクの世界

 何歳の頃だろう。まだ小さかったと思うけど友だちのいないボクは親から心配されていた。

 「一人でブツブツ言って・・・あなたも何か貴志に言ってよ。」

 母はいつもそんな風に仕事ばかりの父に言っていたのは何となく覚えている。

 それでもボクは結構楽しく過ごしていた記憶しかない。いつも賑やかに誰かしら遊びにきて男の子らしくないおままごとをし、住んでいた家の目の前にあった大きな川の河原に遊びに出ても話し相手がたくさんいたのだ。

 今思えば、そのたくさんのお友達は確かにいたし、その人達の言葉やしぐさ、それに思う気持ちも覚えている。一つだけ思い出せないのは彼等の顔だけだった。


 今はボクも小学六年生になって友達もできた。小さい頃は病気のせいで、外で自由には遊べなかったし、血が止まらない病気だったからささくれを剥いただけでも家じゅう大騒ぎですぐにいつもの病院まで連れていかれて痛い注射とかしたし転んで擦りむいた時などは母の青ざめた顔というものを見る嫌な機会になった。それ以降は内向的になっていたのだと思う。

 もう少し大きくなってその病気が治ってからもその性格は続いていた。外遊びが出来なければ友達も出来ないから家にばかりいたし、不憫に思った親は二人とも共働きだったからゲームや本などたくさん買い与えてくれた。その頃には小さかった頃にたくさんいた顔を思い出せない友達もいなくなっていた。時々知らないおじさんやおばさんが河原で遊んでいると話しかけてきてうちまでついてくるのだけど、ボクが家に入るとおじさんとおばさんは入れないという仕草で手を振りいつの間にかいなくなっていた。その頃になって漠然とテレビで観た心霊特集や霊魂の番組を見て、「あ、これなのかも」って思ったのを覚えている。そのおじさんやおばさんも前の友達と同じで顔を思い出すことはなかった。


 ボクの家にはお店をやっている父と母に二歳年下の妹がいた。父はいつも仕事と言いながらゴルフと飲み屋に行っていて、母が母の両親からやっていたお店の女将さんとして切り盛りしていた。ボクが十歳の頃にボクと妹が炊いたご飯にマヨネーズで食べている食事を母方の祖母が見つけ大激怒して、祖母が昔から住んでいた実家に一家で引っ越しをして、それからは料亭の元女将が作る珠玉の料理ばかりで育った。所謂坊ちゃん嬢ちゃんという奴になってしまった。

 幼い頃の病気のせいで運動はしない、内向的、おまけに偏った食事ですっかり肥満体になっていたボクを憂いた祖母は甘やかされた孫の未来を案じて通っていた市立の小学校から引っ越した実家から程近い公立の小学校に転入させた。私立ではとことん虐められていたし誰もいないところに話しかけたり勝手に転んだり、突然泣き出したりなど今思えばヤバい子だったと思うけど、体が大きく肥満体の子で泣き虫程虐め甲斐のある子はいなかったのだろう。小学校五年生から突然野生児の巣窟である公立小学校への転校はボクの心配を除いてはその後の健康を得られたという絶大なメリットがあったと思う。


 公立の小学校に行く頃にはボクの中でのボクにしか分からない友達の存在はすっかり消えていた。毎日遊べる「実際の」友達ができたからだ。

 親友の勝也は太っていて動きの鈍いボクを唯一馬鹿にせずに懸命に引っ張ってくれた今思えば命の恩人とも言える。出不精なボクをしきりに外へ連れて行ってくれるので祖母は勝也をとても大事にしてくれた。それがボクには嬉しくて益々勝也との絆は深まっていったと思う。ただ一つつまらなかったのは、勝也はお化けや幽霊が嫌いで、その話をすると直ぐに怒ったり逃げたりするので自然とその話題は避けるようになっていった。テレビでは心霊写真特集や超常現象特集が盛んに組まれていて、ボクは勝也と遊ばない時間の全てをソレ系の勉強?に明け暮れていた。ボクの記憶の中にある幼い頃の友達に感じる違和感やその存在肯定を行なうかのように。


 幼い頃の話を少ししようと思う。当時マンションの三階に住んでいて、ベランダの前には大きな川が流れていた。大きなマンションだったので同じ年頃の子達も結構いたのだけどボクは身体が弱かったのであまり会っていた記憶がない。父も母も共働きだったので家にはほとんどいなかったのでたまに来てくれた祖母と小さい妹の事しか覚えていないと言っても良い。それでもよく話をしていた覚えばかりで、決まって来るのはいつも同じ服を着てくる名前も知らない同じ歳くらいの男の子はとてもハッキリと覚えている。

 その子はベランダからいつも突然来て、閉まっているガラス戸をコンコンと叩くのですぐに分かった。不思議に彼が来る時にはいつも泣いて煩い妹は泣き止んで寝ていて彼との時間はとても濃い時間だった。

 横縞のTシャツに短パン、白い靴下にガッチャマンの印刷がある靴を履いた彼。彼が来ると少し湿気に帯びて部屋に入るとすぐに足元が濡れるのでいつも雑巾が置いてあって拭く癖になっていた。

 「今日も遊びに来たよ!」

「こんにちは。今日は早かったね!何して遊ぶ?」

 雑巾で彼の足元を拭きながらこんな話から始まる。後に両親から聞いた話では、ボクが川で遊んで帰り、足を満足に拭かずに家に上がり込んでいたと思っていたようで、床を綺麗にしなさいという事だったようだ。

 ボクも幼かったが彼が濡れている事やいつもベランダから来ること、妹が起きてその世話でボクが離れた隙なんかにいつの間にかいなくなっているという事には少し違和感を覚えていたが何度か父母に話しても決まって

 「変な事ばかり言わないの!自分が汚したのをテレビのせいにして!」

がお決まりの叱り文句。父に至っては完全無視が基本になっていて言うのが途中で面倒臭くなって自分でちゃんと床を拭くようになったほどだ。でもテレビがよくやっていた脅かしたり怖いことを言う得体のしれないものではなかったので当時のボクは別の存在のように思っていたと思う。テレビでは盛んに恐怖の心霊特集ばかりやっていたが、ボク自身はそれがきっちり怖かったと記憶している。遊園地のお化け屋敷も怖かったし夜道を一人で歩くのも怖かった。今思えばもしその彼が横にいてくれればきっと平気だったのではとすら思う。


 その他にも右腕が不思議な方向に曲がっているおばさんややっぱりずぶ濡れのおじさん、それにこれは好きではなかったけど、腕だけを玄関から出してくるのもあった。最初みた時はどの人も怖いって感じはあったけど、慣れてしまうのと言っている事は普通の事ばかりだったのでいつしか話を聞いて頷くばかりになっていた。

 ずぶ濡れのおじさんはなんでずぶ濡れなのかを聞いて心が痛んだ。目の前の川に飛び込んだのだそうだ。

 「苦しくて、、苦しいんだ」

 幼心に自分で飛び込んだのに後悔していると感じた。そして自分で死を選ぶと同じ苦しさや痛さ、その時の思いをずっと持ち続けている事も知った。ボクは小さかったけど自死の結果が招く怖さを知ってしまった。


 こうして幼い時期だけでも結構な記憶に残る魂との関わりはその後のボクの生き方に強く影響を与える結果になっている。この頃に得た疑問や不思議は年齢を重ねるごとに高まっていった。特に「死」というものがとても身近に感じるこの距離感は他の人とひと際違うものだったので共有できる人のいない事で感じる孤独感を死者が埋めてくれるという不思議な関係が当時のボクを支えていた。


 そんなボクも今は六年生。今年はいよいよ修学旅行だ。勝也とも同じ班になれたし気をつけるのは五年生の時に行った学校の林間学校での失敗をしない事と心に誓っていた。

 林間学校で何処かのキャンプ場のような所に来てみんなでカレーを作ったりレクリエーションで愉しんだりとしたのだけど、夜に行なわれた宿泊地横の森で行なわれる肝試しの前の夜、当然男子部屋では怖い話が華を咲かせていた。

 たくさんの子達が自分の自慢の怖い話を持ち寄るのだけど、大体がテレビでやっていたネタと昔から言われる花子さんのような話ばかりで全く怖さを感じなかった。ボクはその時にずぶ濡れのおじさんから聞いた時の様子や内容を話したのだけど、これが小学生の子供にはピンとこなかったのとヤバさにビビり倒した子に分かれ大論争となった。

 「貴志!嘘吐くんじゃぇ~よ!」

「おまえ、それ本当か?」

「死んだ奴と話せるの?」

「気持ち悪い~・・・」

 まあ言われたい放題だった。だけど、その後のトイレに集団で行く姿を見る限りではかなりの怖さだったのではなかったのだろうか。

 誰かが、

 「明日の肝試しの森ってさ、自殺した人がたくさんいるんだってよ・・・。」

 これはかなり効いたみたいで翌日の肝試し前になると男子部屋にいたボクのクラスの男子全員が普段なら盛り上がるのに女子に馬鹿にされるほどビビっていた。テレビで盛んに騒がれていた怖い側面の心霊現象の事例と呼べるかどうか分からない内容に自死した人の心情とこれから行く森の噂というトリプルコンボが彼等を結構な確率で委縮させていたようだ。

 ボクはもちろん男子は勝也と同じ組になり、女子二人のうち一人は勝也の事が好きな子になった。本当なら勝也も格好つけるところだったのだけど彼もクラスの男子と同じようにビビりだったので平静こそ装っていたけどビビっていたのはよく分かる感じだった。

 最初の組がスタートして、五分くらいで最初の組がゼイゼイと息を荒げて帰ってきた。実際一番奥のハンコを押して帰って来るだけで歩いて二〇分くらいかかる道のりを五分はいくら運動に強い子達でも大変な運動量だ。

 暑さで汗もものすごくかいていて、その上息の上がっている男子がいる一方、満足に楽しめなかった女子が文句ばかり言っていた。

 ボクと勝也がいる組は最後から二番目だったが、その壮絶な男子達の姿を見る勝也はかなりビビッていた。女子は、

 「ねぇ、私達はあんなに走って行くのはイヤだからね!」

 そりゃあ釘を刺すわけだとボクは密かに思ったが、実際にその向かう先の森には何人かの幽霊はいるって肌では感じていたように思う。他の人には聞こえていないようだけど何人かの違う声が聞こえてきていた。ただ何を言っているかまでは分からなかった。幽霊本人がそもそもそんなに大きな声で何かを言っているわけではなくて、ボソボソと言っている感じなのだけど、そのボソボソが何故か聞こえるといった感じだ。

 ボクらの組がスタートした。女子の子が先頭で二番目に勝也を好きな子が歩き、次に勝也で最後がボクだ。その頃になるとボクは何故か原因不明の熱っぽさがあった。決して調子の良い感じではなかったが、同じ組の誰もがそんな気遣いなど不可能な程にビビり倒していた。

 中に入っていくと一人目の幽霊が通路の脇に立っていた。そのすぐ横には見張りの先生がいて、一応陰に隠れているつもりらしいがボクにはその先生の横で先生に向かってボソボソ言う幽霊のお蔭ですぐに分かった。

 「そんなことしてて楽しい?」

「うるさくてかなわないよ・・・」

「ここで静かにいたいだけなのに」

 あぁ、そりゃそうだなって思った。そう思った途端にその幽霊が突然ボクを見て、

 「おい!お前、俺のことがわかるか!」

 と怒鳴ってきたのでボクは思わずたじろいで

 「何も わ・か・り・ま・せん!」

 と言い返してしまった。

 もちろんその先は大変だった。勝也はびっくりして木の根に足を引っ掛けて転んでしまい、驚いた女子二人は大声で叫びながら入ってきた入口に走って戻ってしまい、先生が陰から出てきてボクはその場で理由も聞かれずにかなりしっかりと怒られて膝から血を流す勝也と入口で帰るという結果になってしまった。

 涙目の勝也に謝りながらの帰路だったがほんの数分がとても長く感じた。死者との関わりは生者の世界においては不便極まりないと感じた最初の体験になったことは言うまでもない。

 勝也は許してくれた。そのおおらかさが今でも親友と思える所以なのだと思うが、その後の言い訳が大変だった。なんたって幽霊にびっくりして返事したとは言えず、怖くてテンパって叫んでしまったという最も恥ずかしい結論となった。これは未だに汚点にもなっているかっこ悪い思い出の一つだ。

 ただ、今まで感じたことの無い熱っぽさや感度の良さはボクのささやかな体験の中でもある種のアラートが鳴っていたように思っていた。死者との交流をずっとせずにいたのもあってその感覚を忘れていただけとその時は思うようにしたが、そうではなかったと思わせる事がその翌年に起きることとなった。


 今年の春には修学旅行だ。同居し始めた祖母から珍しく体調や疲れ、最近変な事はないかと何度も尋ねられたがボクは何故こんなにしつこく聞くのだろうと不思議に思ったものだ。

 ボクはいつものように朝迎えに来る勝也と一緒に出発地である小学校に大きな荷物を持って向かった。バスに乗ってしばらくは順調だったし元気だったと思う。ただ栃木県に入り山道を上るあたりから去年感じた熱っぽさと気分の悪さを感じ始めていた。吐くほどのものではなかったがあまり今までに体験したことの無い感覚だった。平衡感覚がおかしくなっていて、頭の中が掻き回される不愉快な感覚だ。バスが山道でかなりカーブが連続していたので車酔いかとも思ったが違う何かがボクの本能に訴えていたように思う。

 バスの添乗員さんが、

 「間もなく華厳の滝が見えてきますよ。今日はそろそろ道も混雑してくるのでバスの中からゆっくりと見えますから席を立たずに見てみてくださいね。」

 と言っていた。ボクはその滝を見るのが嫌だった。修学旅行の少し前にテレビで特集された心霊番組で華厳の滝を特集していて、曰くや起きた事故、自殺者が絶えない理由などを特集し霊能力者と言われる人を呼んで解説させていた。

 華厳の滝の映像を大きく撮られた映像を流し、次に滝つぼ側からの映像に切り替わった時に思わず声を上げてしまった。数えきれないほど白い着物らしい服を着た主に女性が滝の上から落ちているのだ。その光景を前にしていてもリポーターは気にせずに説明を続けている。ボクはそれがいわゆる「幽霊」であり、数多くの魂が未だに自殺を続けている光景を見てしまったのだ。

 気持ち悪くなり直ぐにその時はテレビを消してしまった。前にも何度も華厳の滝は映像や写真で見てきたけど今回のようなものは無かった。あまりにも鮮明に映るその沢山の姿は目に焼き付き忘れられなかった。それまでにも死者の魂に触れてきた方ではあったと思ったけど比ではなかった。

 その記憶が呼び起されたのか・・・と思いながら車窓に現れた華厳の滝を視界に入れた途端に一気にたくさんの声が頭の中になだれ込んできたのだ。たくさんの声過ぎてそれぞれが何を言っているのかさえ分からなかった。ただただ悲しみと怒り、憎しみや後悔など負の思いの集合体があったと記憶している。ボクはその場でダウンしてしまった。

 バスが停まる感じがした。目を開けると担任の先生と勝也がいて心配そうに見ていた。

 「東宮くん、大丈夫なの?」

「貴志、平気か!?」

頭がガンガンするけどボクも、

 「ハイ先生、大丈夫です。勝也ごめんね、ありがとう。」

 担任は頭を搔きながら。

 「華厳の滝に着いたのでこれから一時間自由時間だけど辛かったら寝ていても良いわよ。」

 ボクは正直あまり見たくなかったけど、勝也の寂しそうな目と、一人だけで車内で待つ寂しさに負けて、

 「先生、大丈夫です。勝也君と行きます!」

 と大見えを切ってしまった。今考えてみるとそれは運命だったと分かるのだけど、正直その時はただの強がりで寂しがり屋だったと思う。


 バスの停まっていた駐車場から華厳の滝を見上げられる場所までは少し距離があった。ボクの中ではその場に行くのと見てみたいという好奇心との複雑な葛藤があった。テレビで観ただけであれだけのインパクトがあったものを実際に見て果たして大丈夫なのかと悩みながらも隣で盛り上がる勝也につられてとぼとぼと歩いて向かった。

 見上げた最初は本当に雄大で素晴らしい景色と今でも覚えている。言葉を失うとはまさにこの事で、都会育ちで確かに一級河川の横で育ったにしてもこの自然の大きさと何かしら大きなチカラが働いているであろう神々しさは人生で初めての体験となった。大瀑布とはこの事を言うのだろう。そんな思いで眺めていると勝也が滝つぼから流れる川沿いの近くまで行こうと袖を引っ張った。川自体は生まれ育ちが川育ちだが綺麗な川は滅多に行けないので興味が湧き一緒に向かった。その頃には飛び込む大勢の姿など完全に自然の雄大さに消されていたが川面に近づくにつれてその神々しさは全く違うものを見る事になった。

 川面が見える近くまで来ると川上から何か白いものがたくさん流れているのが分かった。しかもそれは何か動いているようにも見えて、それらが「人」である事は直ぐに分かった。思わずボクが立ち止まると流れているたくさんの白い人の顔が一斉に振り向きボクを見てきたのだ。数は数えられないほどのたくさんの人から川面から一斉に見られることの怖さは一気に頂点に達した。ボクは動けずにその場で立ちすくみ、勝也が横でしきりに心配そうに声をかけているのも分かっていても返事が出来ずにただそれらの目線を受け止めていた。その目線と共にたくさんの感情と言葉がボクを埋め尽くし始めていた。


死  痛い  家族のため  明日の食べ物  なぜ私だけ  悔しい  負けた  どうして  許せない


 その言葉に合わせるかのように向けられた目線の元にある口も動いているように思えた。そしてそのままボクの目線を滝の上に向けてしまったら想像を絶する光景がそこにあった。

 本当に数えられないほどの人が滝の横から滝つぼに落ちていた。中には滝つぼに落ちずに消えたり川端に叩きつけられる者もいた。それらが絶え間なく落ちていた。滝の大轟音に負けない絶叫と重くのしかかるあまりに悲しい思いがボクにも降ってきていた。ボクはその場での記憶が無くなり気がつくと旅館の部屋で一人寝かされていたのだ。


 その後の勝也の話だとかなり大変だったようだ。勝也が先生を呼びに行き、その間に周りにたくさんいた大人の観光客が介抱してくれていたらしい。そのまま先生用の自動車に乗せられて病院に行き、高熱は出ているものの大事には至らないとの事でとりあえず帰されて旅館で寝かされていたようだった。

 あの時の事は今でもハッキリと覚えている。人の死の悲しさや自ら命を絶つことの理由、そしてその後のあまりにも壮絶な果てることの無い苦しみの連続。まだまだ小さったボクにとって決して許容できないあまりにも深い負の感情に心が耐えられなかったと思う。そしてそれらの事を言葉に出来るほどの語彙力も無く、またその後に続く現代の理解を越えた能力はその当時のボクには当然のように理解を越えていたと言わざる得ないだろう。


 修学旅行はその後多少の熱っぽさもあったがつつがなく終われた。もちろん華厳の滝で倒れたボクの事はかなりの同級生に弄られたが、勝也は様々な場面で庇ってくれた。そのお蔭で心霊いじりはさほどの流行にならずいられたのだ。

 家に帰ると案の定普段は大して興味を向けない両親まで色々と聞いてきた。ボクは結構真剣にその時のことを克明に話したのだけど両親は体調の面は心配するものの幽霊の事や見たことは熱で幻覚を見たとかテレビが悪影響だなどと連呼して終わった。

そして祖母にその事を話した時に祖母は唯一大人の中で違うリアクションをしたのだ。大きくため息をついて細かく聞き始めたのだ。見たものはどんなだったか、どんな内容の言葉が聞こえたか、等々不思議なほど冷静に真っすぐに向き合ってくれた。

ボクは促されるままに話をして、落ち着いてきたら一緒に祖父のところに行こうという話になった。当時祖父は実家の近くの総合病院に入院していた。時々日帰りで実家まで来て好きなお酒を一杯だけ飲んでお風呂に入ってから帰るという事はあったけど、そのくらいしか知らなかった。

 祖母に連れられて病院に行き、祖父のいる個室の前で中に入って今の話をおじいちゃんにしなさいって言われた。何だかドキドキしたけどそのまま促されるように病室に入ったら、ベッドの少し起こして外を眺める祖父がいた。祖父はボクを横の椅子に座らせてよう促して、

「貴志、大変だったな」

と切り出してきた。

(なんだ、おばあちゃん話したのかなぁ。でもいつ?)

 初めて祖母に話してそのまま連れて来られたはずなのにと時系列が分からなくなりつつもボクは祖父の横にこしかけた。


 祖父はボクに血筋の話を始めた。昔からこの血にはあの世の存在と関われるものがある事、長男にのみ継がれる力で現代ではほとんど使う必要の無くなったという事。そして今後生きていくためにはその力をコントロール出来るようにしなければならないことを伝えてきた。最初はまるで超能力みたいだとワクワクして聞いていたが、それは後にとんでもない間違いだったと気づかされる。ただその時は不思議と高揚感と特別な感じがして単純にワクワクして聞いていただけだったように思う。

 元々口数の少ない祖父だけど、この時からしばらくは実にたくさんの話をした・・・というよりも聞いたに近い。とにかく小学生にはかなり難しい内容だった。


 霊魂とは何かと聞かれたのでボクは「死んだ人」と答えた。祖父は頷くと「思いは電気に似ているし信号とも呼べる」と切り返してきた。

 祖父の話によると人の魂には生き死に関係なく周波数のような波長があって生きている者同士は声帯と肉体による会話が成立するけど死者は同じ波長にならないとコミュニケーション出来ないらしい。所謂霊能力者というのはその周波数帯が広い者を指し、それは死んで別の世界に行くまでは引き継がれるという。ボクが体験してきたことは祖父も同様の世界があり、祖父を車椅子に乗せて外に出ると、

 「貴志、あそこに人がいるな。」

 と指を差した。その人はボクらの方を振り向いてこちらを見ているのでそれを言うと、彼は死んでいるというのだ。不思議に思い近寄ろうとしたら祖父が制止した。今はまだ不用意に死者に近づいてはいけないと言われた。

 祖父曰く、死者は自分の身の上や命を失った際に残る未練や思いを抱えているが故にこの世に残るものが多数を占めるらしく、周波数帯が合わなければ基本一般の人にはそう簡単にその場に在る霊魂の想念を感じることは出来ないらしい。ただ、ボクらはチューナーのようなものであらゆる周波数帯に合わせられる力があって、それは何の訓練も無く出来てしまう・・・というよりもその状態が一般化してしまうというのだ。

 死者側からすれば長年誰にも気づかれずにただ存在していたが故に、分かってもらえるとなると何としてでもコンタクトを図りに来るという話だった。その状況をお前はどう感じるのかと聞かれ、ボクは、

 「かっこ良いし助けたい」

 と言ったらしい。祖父は笑って、すぐに困る事になるから出来るだけ学校が終わったら私のところにくるようにと言い病室に戻った。

家に帰ると祖母が夕飯を作って待っていてくれた。帰り道に何人かボクを見てゆっくり付いてくるのを感じていたので早歩きになり帰ったが家に入るとついてくる何人かの人影は消えていた。ご飯を食べながら祖母にその事をいうと、

 「うちの家にはおじいさんがよく来るでしょ?貴志がそろそろそういう歳だからそういう者が入らないように結界を張っているのよ。」

 知らなかった。昔住んでいたマンションにはそれが無かったら死者も出入り自由だったのだ。道理で祖母と暮らすようになって関わりが無くなったのと今更ながらに知った。つまり祖父の話からすると、ボクに見えているという事は相手にも見えていて、相手はほぼ孤独な状態が続いているから寄ってくるという仕組みらしい。祖父が困ったら来なさいと言っていたが、それは本当に困るじゃないかと今更ながらに思った。ある意味で家から出られない。しかし遊びにも行くし用事もあるし学校にも行く。これは確かに困ったぞと帰ってきてから真剣に悩んでしまった。


 その事に気づいてからは真剣に祖父の病室を訪ねる機会が増えた。その時に思ったことやついてくる霊の数が徐々に増えてきて、実家の前で溜まるようにもなっていた。勝也の家に遊びに行った時には勝也が別の友達の家に行っていて待っていたら暇で寝てしまい、変な気配で目を覚ましたら知らないおばさんがボクの寝顔の上から見下ろしていて、

 「ねぇ、ぼくちゃんは私が分かるの?」

と聞いてきた。咄嗟に起きて逃げようとしたら部屋の引き戸が開かない。振り向くと文房具がいくつか宙を浮いていて、それが卒然ボクに向かって飛んできた。その中の分度器の針が引き戸に刺さり、反対側の引き戸を開けたら開いたので挨拶もせずにダッシュで逃げたことも話した。怖くて外に出られないのだとも。

 病院に着いて祖父の個室まではぞろぞろとついてくるのだけど、祖父の個室に入るとそれらはまるで何かから逃げるように離れていく。だからか祖父のいる病院には積極的に行けるようになっていた。


 祖父は、一番最初に学ぶべき事として、「抑神通力」という言葉を伝えてきた。能力のある者はその能力に溺れると誰にも理解されない厄災を受けて悩み失墜の後に自ら命を絶つケースが多いのだそうだ。自死の道を選ぶ人に多いのもここで言う霊能力のように過敏に想念や思いを感じてしまい命を絶つ人が多いそうで、それを回避する唯一の方法はその能力を抑えて使わないようにし、可能であればコントロール出来ることに他ならないと言った。そしてボクはその日から病室にあるりんごと向き合うことになった。

 実はりんごにも想念はある。魂とも違うその存在は動植物に限らずありとあらゆる物質に存在する。微量であるけど目を閉じてもその存在を認知せざるを得ないもの、それが物質なのだと祖父は言った。祖父はそのりんごを目の前から消してごらんと言った。当初はその意味が全く分からなかった。だってりんごはりんごだ。その禅問答のような訓練を始めても飽きずに行けたのはやはり祖父の病室が最も安らげたからだと思う。どれだけ気を許しても安全であることの大切さに気づけたのは祖父が他界してからだけど、ボクは祖父の言う通りに目を閉じて感じるりんごを消すという不思議な作業を病室に通う時には行なっていた。半年ほど経った頃か、いつものように祖父の病室に行こうと実家を出て向かい際に、いつものようにたくさんの霊がついてきたのだけど、その頃にはだいぶその光景にも慣れていて、霊達を見ながらりんごを消すように霊達を見てその感覚にしてみたら、、、


 なんと!いないではないか!


 ボクにももちろんボクの周波数はあるらしい。どんなに切っても切れない周波数の縁はどこかにあるらしいが、祖父曰くそのボク自身の周波数の「他に」チューナーがあって、そのチューナーの電源のオンとオフが見つかれば社会生活を営めるようになると言っていたまさに「ソレ」があったのが分かったのだ。ボクはこの時を境に霊能力を制御するという「抑神通力」を手に入れたのだった。


 それからはひたすらリンゴの代わりに霊魂でそのオンとオフを感じられるように訓練を重ねていった。ボクの場合は霊の世界は基本見えていて、見ないためには意識してオフにするという感じだった。そのため寝ている時や何か別の事に集中している時はその場に霊がいればどうしても干渉を受ける事があって、その次の課題として祖父から出されたのが結界の作り方だった。

 結界と聞くとアニメや漫画に出てくるようなカッコ良く何かを唱えて作るものかと思っていたがそうではなく、それではよくテレビなどに出てくる霊能力者のように修行して真言を唱えるようなものでもなかった。実際にその頃からテレビに出ている自称霊能力者が何もしていないただ難しい言葉をそれっぽく言っているだけというのも分かってきていたのでそこはボクらの血筋にはあまり重要ではないとも知った。

 祖父は

 「先人からの預かり物であり己の能力ではないと思いなさい」

 といつも言っていたが、オンとオフの時にそれは本質的には理解できたようにも思う。自分の能力ではなくトリセツがある別の存在だった。使い方を間違えれば命を簡単に奪えることも分かった。霊魂に触れるのだから生きている人から魂を取ってしまえばその人は死ぬという事になる。

 もっと言えば、その魂を消すという行為まで出来るというのだ。祖父の言い方だと霊魂や想念を掴んで離すといった行為を「除霊」と呼び、その魂自体をボクらが未だに見られない世界へ送る事を「浄霊」と言っていた。除霊はもちろんその魂への大きな干渉となるが浄霊はそのさらに深いところでの干渉となり基本的に禁忌の行ないと言っていた。

 「魂がなぜ人として生まれて死んでいくかわかるかい?」

 と祖父は時々ボクに禅問答のような事を言った。その時に中学生にはなっていたけど、正直全く分からなかった。ただ、人は死ぬ時に強い執着や思い、その度合いで現世に残るものであることや別の魂が向かうべき世界がある事だけはただ漠然と分かってはいたように思う。その時その瞬間もボクは生きていたし生きていることが自分自身の世界であり肯定である限り見えにくい答えだったと思う。

そしてボクは多感な青春時代に足を踏み入れる事になる。


これがボクの世界だ。

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