六話 知ってる

「ねぇねぇおにーさん、お名前は? あたしは緋月! ……って、もう言ったんだよね」


 いつの間にか晴明を追い越し、青年へと追い付いていた緋月は嬉々として彼に話しかけていた。先程襲撃されたことなど、もうすっかり頭から抜け落ちてしまっているらしい。


「……蒼嵐そうらんだ。好きに呼べ」


 青年――蒼嵐はどこか困惑した様に答えた。未だ警戒をしているのか、それとも話すこと自体苦手なのか定かでは無い。下手をすればその両方の可能性もあるが、緋月は気にせず話しかけ続けている。


「そーらん? えっとじゃあ……そー兄だね!」


「…………」


 彼は仮面の奥から不服そうな視線を緋月に向けた。「好きに呼べ」と言った手前、自業自得ではあるのだが、どうやら緋月の呼び方があまりお気に召さなかった様である。もちろんお散歩気分の緋月は気付かない。


「……あれ、そういえばそー兄たちは何であたしたちに攻撃してきたの?」


「それは……悪かった。だが、彼処あそこ一帯は俺達の――青の一族の領地だ。そこに赤の装束しょうぞくまとう奴が居れば、当然警戒もする」


 何か話題は無いかと探り、ようやく襲撃されたことを思い出したらしい緋月。そんな緋月の言葉を聞いて、蒼嵐は目線を緋月から外しながら静かに答える。どうやら知らぬ間に緋月たちは、彼らの領地へと踏み入ってしまっていたらしい。


「あおのいちぞく……?」


 聞き慣れない単語に、緋月は首を傾げる。その様子に蒼嵐は、仮面の奥に隠された目を静かに細めた。彼らの中では常識的なことなのであろう、その視線にはやはり警戒の念が含まれている。


「……逆に問うが、お前達こそ何者だ? 見た所、鴉天狗からすてんぐでは無いようだが……何処から来た?」


「え? えっと、あたしたちは……」


 そうして飛び出してきた疑問。緋月は何と答えていいのか分からず、答えにきゅうしてしまう。自分の絶望的な説明力では、また蒼嵐の警戒を強めてしまうと思ったからだ。


「別の隠り世さ。どうやら何かの弾みで、この隠り世と繋がってしまった様でね。僕たちはその調査に来たのさ!」


 そこで助け舟を出したのは一歩後ろを歩いていた晴明であった。彼はいつもの様な笑みを浮かべながら、決して怪しい者では無いことを告げる。少々その笑みは胡散臭く感じるのだが、彼は素でこれなのである。


「……成程、通りで。最近見知らぬ者が領地に入り込む事が何度かあった」


 意外にもすんなりと晴明の言葉を信じた蒼嵐は、合点がいったという風に首を振る。晴明の言葉を信じたのも、その事実があったからである。

 つまり、穴に入り込んでしまった妖怪たちを襲っていたのは彼ら、ということなのだろう。もちろん理由は無断で領地に入ってしまったからだ。


「えっと……勝手に領地に入っちゃったのはごめんなさい! あたしたち、本当にこの隠り世のこと何も知らなくて……でも、なんであたしの服が赤いからって襲ってきたの?」


 自分たちが彼らの領地を侵していたことを理解した緋月は、慌てて立ち止まって頭を下げる。突然立ち止まった為、後ろを歩いていた晴明がぶつかりそうになっていた。


「事情は理解した。気にするな。その事に関しては……長くなる、後で説明させる」


 蒼嵐も同様に立ち止まると、気にしなくていいと首を横に振った。しかし、投げかれられた緋月の疑問にはこの場で答えるつもりは無い様であった。余程長い説明になるのであろう。


「それよりも……そろそろ暗くなり始める。急ぐぞ」


 そう言うと蒼嵐は先程よりも速く足を動かし始める。彼の放った言葉に、緋月はいよいよ現し世みたいだと感じていた。


「……おい」


「あ、うん! 今行く!」


****


「――着いたぞ」


 そこから歩くこと数十分。蒼嵐は「着いた」と言ったのだが、目の前には何も無い。また先頭を歩いていた緋月と、晴明の更に後ろを歩いていた紅葉たちは首を傾げた。


「ほう……これは中々……」


 晴明だけが何かを理解した様に呟いている。それを横目で見ながら、蒼嵐は懐から何かを取りだした。彼は勾玉の様なそれを無言で宙に掲げる。


「――!」


 それが淡く光ると同時に、目の前が揺らぐ。そうして、緋月は小さく嘆息を零すのであった。


「すっごーいっ! これ……お城!?」


 まるで式神たちが顕現けんげんするかの如く、陽炎かげろうの様に空気が揺れて現れたのは遠くに見える大きな城と、それを取り囲む立派な城壁。


「おかえりなさいませ、蒼嵐様! それと……お客人方の話も伺っております、皆様どうぞお通りください!」


 そこへ門番らしき兵士が翼を羽ばたかせながら、門の上に取り付けられた見張り台から降りてくる。門番の彼はニコリと笑うと、手を振って開門の合図を出した。


「――ぅ、わぁっ!」


 ギギギと壮大な音を立てながら開く門をくぐれば、そこまるで壱番街道の様な賑わい様であった。まさにそれは城下町。思わず緋月は声を上げて駆け出すと、キョロキョロと嬉しそうに視線を彷徨わせた。


「――? あれ……?」


 しかし、すぐさま緋月はある異変を感じ取る。周りの鴉天狗たちの緋月を見る視線が、何やら怯えているかの様に感じられたのだ。


「あ、あれ……あたし何か――ってあれ!?」


 その様子にすっかり困ってしまい、助けを求める様に振り返った緋月は再度目を見開いた。

 なんと、紅葉の元には沢山の鴉天狗たちが集まり、気さくに声をかけられていたのだ。対して、緋月に集まるのは不審そうな視線と恐怖の視線ばかり。


「なんで……? ……あっ!」


 緋月はそこで、蒼嵐が先程「赤い装束しょうぞく」がどうのと言っていたことをぼんやりと思い出した。慌てて周りを見渡して見れば、皆同様に青やそれに近い色の装束しょうぞくを身にまとっていることに気が付く。


「えっとつまり……ゎぷっ!?」


 きっとこれに何か関係があるに違いないと思考を巡らせようとした緋月であったが、急に首元をむんずと掴まれてそれも出来なかった。


「あまり歩き回るな、赤女」


「ひ、緋月だよぉ……」


 緋月の襟元を引っ張ったのは蒼嵐であった。確かに勝手に駆け出したのは悪かったと思ったが、何も掴むことは無いだろうと緋月は頬を膨らます。そうして名前の訂正をしながら、


「最近変なあだ名ばっかりつけられてる気がする……」


 と十六夜の様な目付きになって呟いた。


「……あれ? 紅葉たち、置いてっちゃうの?」


 ずるずると引きずられていた緋月は、紅葉たちが着いて来ずに手を振っていることに気が付いた。途端に不安になったが、近くに式神二柱が隠形おんぎょうしていることを感じ取り、小さく息を吐く。


「あぁ。言っただろう、お前――という陰陽師を探している者がいると」


 蒼嵐は依然緋月の襟元を掴んだまま答えた。その表情はこちらからは伺えない。どうにも話しにくいと思った緋月は、それを聞きながら「もう走ったりしないから離してよぉ」と懇願した。ついでに引きずられているせいで服が汚れてしまうのが嫌なのであった。


「ふぅ……えっと、じゃあその人はどこにいるの?」


 ようやく離して貰えた緋月は、服の汚れを手で払いながら蒼嵐の隣へ並び立ち、彼の仮面に隠れた顔を見上げながら問うた。


「――あそこだ」


 ちらりと緋月を見遣った蒼嵐は、静かに前方を指さす。


「――! あれって……」


 彼が指さした方向にあった物。それは、ここに入る前から見えていた城であった。徐々に近付いている城を認知した途端、緋月の目はキラキラと輝き始める。


 まるで月楼げつろうを何倍にもしたかに感じる巨大な五重塔の様な城。月楼げつろうと違うのは、この城は木材の色そのままであることと、どの層にもまるで縁側の様な出っ張りがあること。そこから鴉天狗たちが飛び立って、上下の層に移動しているのが見えた。


「……下から入ると言及が面倒臭い。飛ぶぞ、掴まってろ」


「へ?」


 城に見とれていた緋月は蒼嵐の言葉をしっかり聞いていなかった。唐突にガシリと抱えられ、素っ頓狂な声が漏れる。「飛ぶぞ」という言葉を理解したのは、バサリと音がしてぐんぐん地面から離れていくのを認識してから。


「え、わ!? うわぁぁぁあっ!?」


 緋月の甲高い悲鳴は、暗くなり始めた空へと吸い込まれていった。


****


「もうっ! 急に飛ぶなんてひどいよぉっ!」


「……俺はちゃんと忠告したぞ」


 半分涙目で訴える緋月を、蒼嵐はあっさり一蹴いっしゅうする。確かに聞いていなかった緋月が悪いので、緋月は小さく呻いてそれ以上何も言うことが出来なかった。


「……それにしても、ここは?」


 辿り着いたのは、恐らく一番上の層。月楼げつろうでも一番上の層は十六夜の部屋である為、ここも恐らくそういう立場の者がいるのであろうと緋月は予想していた。


棟梁とうりょう正妻の間……俺の母上の部屋だ」


「とーりょー? せーさい?」


 緋月の予想は間違っていなかったが、肝心の緋月が蒼嵐の言葉を理解出来ず、首を傾げる。恐らくこの場に紅葉かハクがいれば即座に突っ込みを入れただろうが、紅葉は最初に別れ、ハクは先程飛んだ際に離れ離れになっていた。


「……棟梁とうりょうはこの里で一番偉い者の称号だ。正妻はそれの妻……早い話、棟梁とうりょうは俺の親父ってことだ」


 蒼嵐は暫し絶句していたが、そのうち仕方なく口を開いて説明をする。


「えぇっ!? すごい! そー兄も偉い人なの!?」


「そこまでじゃない」


 自身が棟梁とうりょうの息子であることを告白した蒼嵐に、緋月は驚愕と尊敬の視線を向けた。だが当の本人は即座に首を振る。


「……とりあえず、いいから入れ。俺は入らんが、母上はお優しい。心配するな」


「え? あ、うん!」


 それ以上言及をされたくないらしい蒼嵐は、早く行けと言わんばかりに緋月の背中を押した。緋月はハッとすると、「失礼します」と呟きながら部屋へと入る。緋月がふすまを閉めようとすると、それは勝手に閉まった。どうやら蒼嵐が閉めたらしい。


「……いらっしゃいませ。あら……随分と、小さなお客様ですのね……ほら、桐さん?」


「――ぁ」


 そこに居たのは二人。しとねの上、深緑色の髪を柔らかく結い、僅かに掠れた声で話す女性。恐らく彼女が蒼嵐の母なのであろう。そしてもう一人、その女性に優しく声をかけられ、小さく声を漏らした少女。


「――!」


 その少女を見た瞬間、緋月は目を奪われた。長い黒髪に薄紫の花の髪飾り。こちらに驚愕の視線を注ぐ見開かれた薄青の瞳。そして、どこか緋月の装束しょうぞくに似た、水色を基調とした巫女の様な装束しょうぞく


「――づき、さま」


 鈴の様なか細い声が、少女から零れる。彼女の頬をいくつもの雫が伝って落ちて行った。それを見止めた瞬間に、どうしてか世界の輪郭がぼやけていくのを感じる。


「――き、り……ちゃん?」


 少女の名は、桐。知っている、知っているのだ。緋月は桐の名を知っていた。忘れてはいけなかった言葉の一つだと強く感じる。何故か、それだけを知っていたのだ。

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