六話 水行の源はどこ?(一)

「……なぁ緋月……ここは手分けして行かないか?」


 月楼げつろうを出てすぐに、紅葉は遠慮がちに緋月へ声をかけた。


「ほぇ? なんで?」


 緋月は意気揚々と踏み出そうとしていた足を元に戻すと、キョトンとした顔で理由を問うた。


「いや、二人で同じ所行ってても時間かかるし……じゃなくて……その……俺、は……」


 紅葉はもごもごと小さな声で何かを述べようとする。しかし、最後までは声にならず、悔しそうにギリと歯ぎしりをした。


「…………あ、そっか。弐番街道にも行かなきゃいけないもんね……!」


 普段は鈍い緋月だが、この件に関してはすぐに察して、ぽんと手を打った。


 紅葉は訳あって、弐番街道を避けている。彼女が何も話して来ないので、緋月も詳しいことは聞いていない。


 ただ紅葉は、弐番街道やその先の隠り世の話になると、苦しそうな表情になるのだ。何か辛いことがあったのは確かだろう。


「…………」


 その証拠に現在も、少し俯いて唇を噛み締める紅葉の顔は青く、瞳が小刻みに揺れているのが見て取れた。


「……うんっ、いいよ! だいじょーぶっ! 弐番街道はあたしに任せてっ!」


 それに気付いてしまった緋月は、紅葉を安心させるように手を取って、任せてほしいと胸を張って笑った。


「……っ、ごめん、ありがとな……んじゃ、その代わり残りの街道は全部俺に任せてくれ」


 紅葉は痛みを堪える様な表情で礼を告げた。それから首を振ると、ぱっと表情を一転させて緋月を真っ直ぐに見据えた。


「えぇっ!? それじゃ紅葉が大変じゃない?」


 紅葉の突飛な提案に、緋月は目を丸くして驚いた。


「いーや、平気。俺には式の二人もいるし、何より……弐番はすっげー広いだろ? だからそう考えれば平等だ」


 紅葉はそんな緋月を説得するように言葉を続けて、十六夜から預かった「火」の札を差し出した。


「そ、そぉ……? ……うー、紅葉が平気って言うなら平気……だよね! わかった、残りのとこはよろしくね!」


 緋月は暫しの間受け取ることを渋っていたが、長いこと一緒に居る相棒の言葉を信じることにして、「火」の札を受け取った。


「ん、任せろ! ……そんじゃ気を付けろよ、緋月」


 紅葉は緋月の行動に満足そうに笑うと、手を振って緋月とは別の方向へ走り出した。


「うんっ! 紅葉もね!」


 緋月もそれに応えるように手を振って、弐番街道へと駆け出していった。


****


「……まずは肆番街道、だな」


 緋月と別れた後、紅葉は真っ先に肆番街道に続く関所へと向かっていた。肆番街道であればそこに住まう妖怪も多く、簡単に聞き取り調査ができると踏んだからだ。


 肆と書かれた赤い門の前に立つ門番へと通行許可手形を見せて、紅葉は今朝も訪れた肆番街道へと足を早めた。



「んー、さてどうすっかな……」


 肆番街道の大通りへとたどり着いた紅葉は、辺りをキョロキョロと見回しながら呟いた。


 ここの大通りは壱番街道とは違って整備されている訳ではなく、ただ単に道幅が広いがために大通りと呼ばれているだけである。


「っ、しまった! 興奮してて気付かなかったけど、もう夜じゃねぇか……」


 立ち並ぶ民家から漏れる灯りを見て、紅葉は焦ったように声を上げた。

 別に妖怪たちは寝ずとも生活は出来るのだが、何となく夜は自身の家にこもってしまうのである。


「どうしよう、依頼で何回も来るって言っても、別に詳しいって訳じゃないし……」


 早速計画が頓挫しかけて、紅葉は困った様に頬をかいた。自力で探し当てることも可能ではあるが、それだと時間がかかりすぎてしまう。



「おや、紅葉ちゃんじゃないか。また陰陽亭の依頼かい? こんな時間まで大変だねぇ」


 そんな八方塞がりで困り果てていた紅葉に、親しげに声をかける人物がいた。


「あ、玉緒さん……、どうも!」


 紅葉が驚いて振り向けば、そこには今朝の依頼でも出会った猫又の玉緒が立っていた。


 肩の辺りで切り揃えられた黒髪に、黄色を基調にした着物。頭頂部に生える三毛模様の猫耳さえ無ければ、玉緒は普通の人間のようにも見える。


「いや、今回は依頼じゃなくてちょっと探してる所があって……」


 人当たりのいい笑みを浮かべながら手を振る玉緒にぺこりと頭を下げ、紅葉は現在探しものをしている旨を伝えた。


「へぇ、場所探しかい?」


 玉緒は紅葉の困った様な言葉を受けて、パチクリと瞬きをしながら頬に手を当てて聞き返した。


「はい、そうなんです。その……、この辺りで一番水行の力が強い場所って分かりますか?」


 折角こんな夜中に出会った貴重な住民だ。紅葉は藁にもすがる思いで彼女に問うた。


「はぁ、水行の力ねぇ……うーん、すまないねぇ、ちょっと猫又のアタイには思い当たらないね」


 しかし、玉緒の反応は芳しくないものだった。

 それもそうだ、本来猫又と言えば土行などを司る妖怪であって、水行を司るものでは無い。


「あー、ですよね。すいません、ありがとうございます」


 微妙な表情の玉緒を見て、紅葉も苦笑しつつお礼を言った。

 さて、これは困った。早くも頼みの綱が途絶えてしまったのだ。紅葉は再びしかめっ面になって、策を講じ始める。


「……そうだねぇ、この辺りには河童だの雪女ゆきめだのが多いし、そういう奴らに聞いた方がいいんじゃないかね?」


 それを気の毒に思ったらしい玉緒は、しばしの逡巡の後に助け舟を出してくれた。


「あ、雪女……! そっかなるほど……! 玉緒さん、ありがとうございます! それじゃあ俺は早速!」


 玉緒の口から飛び出した単語に聞き覚えがあった紅葉はパッと表情を明るくすると、お礼と共に勢いよく頭を下げた。


「あいよ、気を付けるんだよ!」


 玉緒は役に立てて良かったよと威勢のいい笑い声をあげ、駆け出していく紅葉を見送った。



「えーと、確かこの辺に……」


 玉緒とのやり取りの後、紅葉が向かっていたのは肆番街道の中でも一等地と呼ばれるような場所だった。紅葉の中の心当たりはこの辺りに住んでいると記録してあったからだ。


 しばらく一等地を歩き回っていた紅葉は、見覚えのある水色の着物を見つけて足を止めた。


「……あっ! いた! 小雪さん!」


 そう、紅葉の心当たりというのは、雪女である小雪のことだ。


「まぁ、紅葉さん? どうか致しましたか……? もしや……先程の件で何か?」


 縁側に腰掛け、静かに鈴を眺めていた小雪は、突然現れた紅葉に驚いて目を丸くしていた。

 先程とは違い、高い位置で括られた髪には美しい簪が光っている。


「あ、いやさっきの話は関係なくて……! その、小雪さんって雪女ですよね?」


 紅葉は縁側まで駆け寄ると、少し乱れた息を整えながら、普段の彼女であればしないような質問を口にした。


「えぇ、そうでございますが……」


 小雪は余りの勢いにたじろぎつつも、素直に首を縦に振った。


「……! じゃあその、この辺りで一番水行の力が強い場所とかって分かりますか!?」


 紅葉は小雪の答えにパァっと目を輝かせると、勢いのままに質問を続けた。

 やはり従姉妹というべきか、傍から見ればその様子は緋月にそっくりだった。


「水行の……? えぇ、勿論ですよ……あそこは水行の妖怪わたしたちの中では、とても有名な場所ですから……」


 小雪はパチパチと瞬きを繰り返していたが、質問の意味を理解すると微笑んで答えた。


「っ! 本当ですか!? それ、どこか教えて貰ってもいいですか!?」


 その答えに紅葉は、パッと小雪の手を取って必死に懇願した。

 普段の彼女であれば絶対にこんなことはしない。今の紅葉は気持ちが昂っている状態なのだ。


「えぇ、もちろん構いませんよ……」


 手を取られた小雪は気にすることなく微笑みを深くして、紅葉の手を握り返した。


「ありがとうございます!」


 小雪の笑顔に釣られたのか、生まれた喜びがそうさせたのかは定かではないが、紅葉も満面の笑みを浮かべた。


「この辺りで水行の力が強い場所と言ったら……、それはもう清水の滝しかありません……」


 小雪はそう言いながら立ち上がると、紅葉が来た方向とは逆の方向を指し示した。


「なるほど、清水の滝か……! よしっ、ありがとうございます、小雪さん! 助かりました!」


 その名称に思い当たる節があった紅葉は、小雪の手が示す方向に首を向けつつ呟いた。


「いいえ……、困った時はお互い様です……!」


 ぺこりと頭を下げる紅葉に小雪は微笑みかけると、手にしていた鈴をそっと包み込んで胸に当てた。


「……っ、ありがとうございます! それじゃあ失礼します!」


 そうして紅葉は、陰陽亭の手伝いをしていて良かった、という想いを噛み締めながら、再び頭を下げるのであった。

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