第41話

 涙ながらに村井を見ている聖と敵意を込めた眼差しで聖を見ている村井。その二人の感情を見ながら花音は混乱していた。


(二人とも、表情と思いは完全に一致してる。けど……)


 本心から村井を愛している女性に対し、村井は花音がこれまで見たことがない程に感情を動かしている。その感情は怒りだ。花音は少し村井が怖くなった。だが、自分のために怒っているということを考えると満更でもない。複雑な乙女心だった。


(って、そういうわけにもいかないよね……おにーさんの怒りは私のスマホからこの人が送ったメッセージから考えて明らかに異常だもん。やっぱり、何かあるんだ)


 やはり、何もない訳がなかった。花音の考えが確信に至る。そんな中、村井が口を開く。


「……このメッセージを送った奴は誰だ?」


 スマホのトーク画面を見せて村井は隣同士に座っている聖と花音に問いかける。聖が泣いており、話にならないのを見て花音が代わりに口を出した。


「この人だよ。私からスマホを取り上げて変なメッセージを送ったの。おにーさんが目的らしいから気を付けて」

「……お前がフォマか。この名前は何だ? お前は何が目的だ? 答えろ」


 村井の中で聖がフォマであれば、という仮定の下で様々なピースが噛み合う。それでも聖は涙を流して会話にならない。村井は舌打ちして花音の前に座った。


「花音、どういう状況か分かる範囲で教えてくれ」

「ごめん、正直全然わかんないの。寧ろ、私がおにーさんに訊きたい。この人のこと知ってるの?」

「……昔、ちょっとな」


 非常に苦い顔でそう告げると村井は聖の方を睨む。彼女はようやく少しだけ会話が出来るようになったようで何とか目元を拭って村井に笑いかけて言った。


「私の愛する旦那様……やっと、やっと会えましたね」

「何が愛する旦那だ……笑えない冗談は止めてさっさと用件を言え」


 嫌悪感たっぷりに村井は聖に言葉をぶつける。彼女は村井にそんな反応をされると思っていなかったのか、悲しそうな顔になった。


「用件、ですか……」

「何もない訳がないよな。こんな卑劣な手を使って俺を呼び出したんだから」


 村井の刺々しい言葉に聖は戸惑いながら言葉を選ぶ。


「……会って話がしたかったんです。電話越しに、一方的にさよならなんて、酷過ぎます。私たちにはちゃんと話し合うことが必要です。そのためにちょっと強引な手を使わせてもらいました」

「迷惑極まりない。花音を解放しろ。俺に関わるな」


 自分の要求を端的に告げる村井。悲しむ聖を見て花音はちょっとだけ彼女が可哀想になってきた。


「どうして……どうして何でそんなに冷たいんですか? あんなに好きだって言ってくれたのに」

「誰がお前みたいな二股女に情を残すか。新しい男と俺を殺そうとしておきながら、よくもまぁ好き放題言えるな?」

「……何の話ですか?」

「惚けやがって……まぁいい。そんなことより今の話だ」


 どう考えても流すには大きな問題を棚上げして村井は切り出した。


「本当の用件を言え。お前はどこまで知ってる?」

「だから、何の話なんですか? 私は本当に心哉さんに会いたくて……」

「まだ惚ける気か? お前がフォマなんだろう?」

「そ、そうですけど……」


 会うだけでもストレスを抱えていた村井だったが、話が思うように進まなくて更に苛立ちを覚える。そんな中、花音が口を出した。


「おにーさん、この人本当におにーさんに会いたかっただけだよ」


 聖の本心を知ることが出来る花音からの言葉。村井は素早く花音が操られていないか確認したが、彼女は正気のようだ。それを聞いた村井は目を鋭くして聖に尋ねる。


「どういうことだ? 何でお前が俺に?」

「あ、当たり前じゃないですか……大好きな人に会いたいなんて、普通のことです」


 村井は険しい顔をして黙ったが、やがて口を開いた。


「何を考えてるのかは分からんが、俺はお前に会いたくない。会うのが目的ならもう目的は達成しただろ? 花音を解放しろ」

「待って。私、色々気になる」


 視線がぶつかる。強い意思を秘めた花音の瞳に村井は一瞬だけ逡巡するが、溜息を吐いて了承した。


「……絶対に騒がないことを約束して俺の言う通り大人しくするなら」

「分かった」

「弓削聖。花音がすぐに逃げられるように席を替えさせてもらうぞ。こうなったからには仕方がないから少しだけ過去のことを話すが……花音が色々と知りたがっているからといって余計なことは言うなよ」


 聖は俯きながら黙って頷く。席替えの間、花音は聖から自分に向けられている殺意にも似た嫉妬を受けて少しだけ覚悟を決めた。


「……で、花音は何が知りたい? 琴音が夕飯作って待ってるから手短に」

「おにーさん、この人と結婚してるの?」

「戸籍上は勝手に結婚させられている。四年前に勝手に婚姻届けを出されてた。自分で家を買った後に初めて気づいたことだ。勿論、了承してない」

「聖さん、それは本当のこと?」


 言動で返事をさせることで虚実を判明させる花音。聖は力なく頷いた。村井の言葉は本当らしい。花音はようやく安堵した。しかし、村井は敵意をたっぷりに込めて聖を見て言う。


「さっさと離婚届に判つけて寄越せ。俺がお前に言いたいのは離婚させろ、二度と俺たちに関わるな。この二点だけだ」

「でも、いずれ本当に夫婦になるじゃないですか……だから、ちょっとぐらい強引に前倒ししても……」

「何がちょっと強引だ……お前と夫婦になるなんて怖気が走る。止めてくれ」

「……どうしてそんな酷いこと言うんですか? 私は……」


 悲しげな表情で尚も言い募ろうとする聖に村井は言った。


「さっきから冗談がきつ過ぎる。金輪際関わらないでくれ」

「冗談でここまでしません。私は本当にあなたを愛してます」

「ふざけるのも大概にしてくれ。花音、帰るぞ」


 花音を連れて帰ろうとする村井。だが、花音は異能を使ってでも帰ろうとしない。聖がぽつりとつぶやくように尋ねる。


「……どうして分かってくれないんですか?」

「どうして分かってくれない、だと? はぁ……嘘ばかり吐く奴の本心なんて分かるわけないだろ? 俺はお前のことなんか分かりたいとも思わない。こんな卑怯な真似さえされなきゃ二度と会う気もなかった。ホント、お前は卑怯だよな。最低だよ」

「何で……私はただ!」

「うるさいな……激怒して大声出したいのはこっちなんだ。抑えてやってるんだからお前も静かにしろ」


 内心の怒りが抑えられなくなり始めた村井は連れて帰ろうとしていた花音が怯えたのを受けて無理矢理自分をクールダウンさせる。


「はぁ。花音が動かないからお前が失せろ。金輪際俺に関わるな」

「嫌です。絶対に。どうしてそこまで頑ななんですか? 私、あなたにそこまで嫌われるようなことしましたか?」


 ヒートアップしていく二人。売り言葉に買い言葉ではないが、村井も早口になってまくし立てる。


「したよ。してないと思ったのか? お前馬鹿か? これだけ露骨に態度が変わってるのに何の理由もないと思ったのか?」

「じゃあそれを教えてください! 直しますから! もう二度としませんから!」


 異能がなければ店内中の視線を独占できていたであろう声量で聖が叫ぶようにそう言うと、村井は剣呑な目になって尋ねる。


「……お前、よくもまぁそんなこと言えるな……なかったことにするつもりか?」

「おにーさん、この人本当に分かってないよ」


 花音の発言に村井は驚いたようだ。


「……本当になかったことにするつもりなのか。じゃあ改めて教えてやるよ。お前が俺に何をしたのか。さっきも言った通りだ。お前、別の男に惚れこんで俺を殺そうとしてきたんだよ」

「……え?」


 聖の挙動が止まる。冗談で言っていいことではなかった。同時に、花音もフリーズした。先程にも会った発言。それがまた村井から事実として語られている。


 止まった場の中で村井はどこか勝ち誇るように言った。


「理由、聞きたかったんだろ? 今言った。思い出したか?」

「え……? 今、なんて……今の言い方だとまるで私があなたを殺そうとした……ということみたいな……」

「その通りだよ。それ以外にどう聞こえるんだ? お前は俺を殺そうとした。いや、実際に瀕死に追い込んだ。お前の愛しの旦那様と組んでな」

「あ……ありえません。そんなの、だって、私はずっとあなたが好きで……」


 狼狽する聖に村井は追い打ちをかける。


「嘘吐け。それはお前が過去の失敗を忘れようと思い込んでいるだけだ。俺が弓削家の担当を外れる直前、2015年の8月15日周辺。お前の言ってることが本当だとするのであれば、その時の記憶はどうなってる?」


 村井の言葉に聖はその日のことを必死に思い出そうとする。しかし、彼女の記憶は上手く呼び起こされなかった。それは、彼女にとって既知の事実。何かあるならこの周辺だろうという予測はしていた。だが、だからと予想の範囲というものがある。誰が何と言おうとも聖にとって村井の発言は認められなかった。


「……その周辺の日、私は誘拐されて意識が朦朧となっていたのは確かです。でも、だからといって私が別の人のことを好きになり、あなたを手にかけようとしたなんてことはあり得ません」

「あるんだよ。お前は自分の意思で俺を殺そうとした。その事実をまずは認めろ。話はそれからだ」

「絶対にありえません。私が愛するあなたのことを自分の意思で殺そうとするなんてことは。証拠はあるんですか?」

「見たいなら見せてもらえばいい。御伽林さん、知ってるだろ? あの人なら記憶の再生も出来る」


 いい加減、ケリをつける。本来であれば来年、別居して五年という結婚生活の破綻を盾に正式に離婚し、花音に協力してもらって私的にも退治する予定だった聖。少々計画より前倒しになったが、村井は過去の因縁に決着をつけるべく聖と花音を連れて御伽林の隠れ家に向かうのだった。



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