第35話
「花音、琴音は任せた」
「うん」
その場に泣き崩れた琴音を花音は一瞬で回収し、村井の後ろに下がる。あまりにも速い動作に阻止する暇もなかった伊海は花音ではなく村井のことを睨み、忌々し気に告げた。
「よくここが分かったね?」
「……お前、琴音に何をした?」
「ん? 水をあげたり、お風呂に入れてあげたり……今はご飯をあげようとしていたけど、何?」
伊海の問いかけに応じずに端的にこちらから確認したいことを告げる村井。伊海はそれに対して余裕たっぷりに答えた。回答を受けた村井は少しだけ斜め後ろで琴音を介抱している花音の方を見て確認するが、花音は苦い顔で頷いた。どうやら、伊海は嘘を言っていないようだ。しかし、それだけであれば琴音があんなに疲労困憊で泣きじゃくるような状態になる理由がない。
(問いただすか、先に琴音を落ち着かせるべきか……)
一瞬だけ逡巡する村井。そんな彼を見て伊海は溜息を吐いた。
「はぁ……村井さんとか言ったよね? 取引と行こうよ。大人しく僕に琴音ちゃんを任せてくれれば花音ちゃん共々見逃してあげる。断るなら……痛い目に遭ってもらうことになるよ?」
「あ? 何を馬鹿なことを……」
「そうかい、残念だ」
瞬間。伊海の四肢から血飛沫が上がった。そのまま彼は何も出来ずにその場に倒れ伏す。
「な……ッ!」
「……? 何驚いてるんだ? 仕掛けたのはそっちだろ」
驚く伊海。彼との距離を一瞬で詰めた村井は伊海の頭をサッカーボールの様に蹴り飛ばした。伊海は何とか異能の力を使って全身を強化して生き永らえたが、意識が明滅する。
「……まぁ、見立て通りの強さだったな」
力なく部屋に転がっている伊海を見下ろしながら村井は伊海の実力を評価し、彼を足蹴にして仰向けに転がす。明らかに身体的に危険な状態にある伊海は息も絶え絶えになりながら口を開いた。
「お、おかしい……何だ、その、強さ……? ホント、に、人間……か?」
この時点に至るまでに築き上げていた自分の力に自信を持っていた伊海は驚きの中に怯えを滲ませ、目だけを動かして村井を見上げて問いかける。しかし、村井はそれに真面目に取り合わず、懐から親指の先程の大きさの黒い種のようなものを出した。村井がそれに異能を込めると、その種から細い糸が出て来る。その糸で村井は彼の手を後ろにして縛った。
そこでようやく村井は伊海の言葉に応じる。
「俺如きに人外を名乗らせるとは烏滸がましい。異能の世界は……この世界の深淵はこんなもんじゃないぞ」
「く、そ……-カイ-の世界、なのに……!」
「話は後で吐かせるからもう寝てろ」
村井が伊海を後ろ手に縛った細い糸に異能の力を込めると糸は太く……そして長くなっていく。彼の身体の表面を這いずり回って成長していく様はまるで絞め殺しの木のようだ。
「……こんなものか」
伊海の全身が木の鎧で覆われているかのような状態になったところで伊海は白目をむいて痙攣し、無様に涎を垂れ流し始めた。それを見て村井は伊海が異能を失い過ぎたことで虚脱状態に陥り、まともに意識を保てなくなったと判断して種から糸を切断して
すると最早糸と呼ぶには相応しくなかったそれが急に細くなり始め、先端に極彩色の花を咲かせた。やがてそれも枯れ、再び椿の種ほどのサイズの種を二粒落とすと糸は消えてなくなった。それに伴い、伊海も倒れるが伊海を無視して種を拾った村井は琴音の方を見て尋ねる。
「さて……取り敢えず敵と思われる奴は倒したが……琴音、どうする? すぐにここを出るか、落ち着くまでここで待つかだが……」
「お姉ちゃん、訊かれてるよ。ここからすぐに出たい?」
花音に泣きながら抱き着いたまま花音の言葉に何度も頷く琴音。それならばと村井は自身の異能を発現させた。
そして、花音が気付いた時には四人は元の湖の近くにある杉林に戻っていた。
「元の世界だ……」
薄暗い霧の世界ではなく、空気が澄んだ夜の世界に入ったことで琴音は思わずそう呟きを漏らした。そして安堵からか、彼女はそのまま気を失ってしまう。花音が琴音を抱き留めた上で立ち上がると村井に視線を移す。村井はスマホを確認していた。
「取り敢えず発見の連絡して、と……花音、琴音はどうだ?」
「相当弱ってる。今、異能を移してるけど……空っぽだよ」
「そうか……取り敢えず旅館に行こう。花音、琴音は頼めるか? 俺は伊海を持って行くから」
「うん」
琴音の救出は済んだ。花音は琴音を背負い、村井は伊海を担いで急いで旅館に戻るのだった。
「あっ! 帰って来た!」
「ことねぇ~っ!」
「寝てるから静かにしてやってくれ」
「うわっ! 速っ!」
旅館に戻るなり琴音と卒業旅行をしていた面々が村井たちを出迎えた。その中でも最後に琴音と行動を一緒にしていた矢部は涙混じりの大声で琴音のことを呼んでいたため、村井が縮地に近い動作を使って接近して黙らせる。矢部は村井の接近に驚いていたが、彼が担いでいるモノの外見を見てすぐにそれが何だか理解した。
「って、そいつ……!」
「こいつについては然るべき場所に連れて行く。こいつの親とも話し合いをする必要があるからね」
「琴音のお兄さん、そいつ、何か変だから……危ないから気を付けてください。絶対許しちゃダメですよ」
「心配ありがとう。君はいい子だね」
気絶している伊海を鋭い目で見ながら村井に警戒を促す矢部。村井は一応こちらを気遣う彼女に礼を言って旅館を経営している湯本の親戚の下へ向かった。
「伊海君は問題行動を起こしたので一足先に帰らせてもらいます。保護者の方とお話する必要があるので……荷物を引き上げようかと。どの部屋です?」
「あ、こちらですが……」
旅館の女将に案内されて移動し始める村井。その前に少し立ち止まって花音の方を見て口を開いた。
「花音、琴音の方はちょっと安静にしてから家に戻って来てくれ。俺は御伽林さんのところに行ってるから」
「え。私、お姉ちゃん連れておにーさんと一緒に帰るつもりだったんだけど」
「今日は旅館に泊まらせて貰いなさい。これ使っていいから」
「えー……」
村井は花音に御伽林謹製の結界生成のお高い札を渡して旅館への宿泊を促す。もう夜も更けている。これからとんでもなく急いで移動しなければ始発まで電車はない。
村井はそう考えて一刻も早くこの場を去りたいのだが、女将がそれを止めた。
「いやいや、これから終電に乗るおつもりですか? それは難しいですよ。村井さんも今日はお泊りになった方がいいかと」
「しかし……」
「伊海君もそんな状態じゃ移動も大変ですよ。一本乗り過ごせば明日の始発まで駅で待たないといけないんですから、今日は諦めた方がいいかと」
女将の正論に村井は少し考える。伊海が目覚める前に行動したい村井にとって夜は味方だ。早朝から昼間の時間帯にこんな奴を担いで動けば幾ら隠形を使ったとしても人目についてしまう。それでも異能を使えば何とか出来ない訳ではないが、無理はしたくない。ただ、朝まで伊海と一緒に駅で待機になった場合も人目につく。
そこまで考えた結果、村井の結論は泊めてもらう方に傾いた。
「そうですね……じゃあ、宿泊させてもらいます。お幾らですか?」
「いえいえ、今回はこちらの監督不行き届きで都内からここまで来てもらったんですから、お代は結構です。幸い、お部屋も空いてますし」
「……分かりました。では、お言葉に甘えさせてもらいます」
「はい。ではロビーの方で少々お待ちください。すぐに準備致しますので」
女将は急いで準備しに旅館に戻った。それを見てこの場にいた面々も旅館に戻って解散する。ただ、花音は琴音を背負ったまま動かなかった。無言の主張に村井は少し困った。
「……花音、俺は伊海の見張りで同室になる。だから花音は琴音と一緒の部屋で二人で寝るというのはわかってるよな?」
「え? その人縛り上げて何か椅子が置いてあるスペースに丸めて押し込めばいいんじゃないかな? 逃げられないように結界貼っておけばいいじゃん」
「……伊海、結構弱ってるからあんまり酷い仕打ちをしたら死ぬぞ?」
「室内に入れてあげてるんだから大丈夫だよ」
かなり怒っている花音の機嫌をこれ以上損ねるのはマズいと判断した村井は花音に押し切られる形で異能を失っており手足の腱を切られた後、雑に表面の傷だけを回復されて内出血やら失血状態で大変な伊海を部屋の広縁に突っ込んで結界を張った。
その後、ちょっと揉めるが村井と琴音と花音は三人で隣り合わせになって眠ることになるのだった。
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