第28話

「お兄さん、帰る前に寄り道させて」

「あ、あぁ……」


 伊海から情報を引き出すためにファミリーレストランに長居した後。


 非常に不機嫌な琴音を連れて村井は近所のスーパーマーケットまで移動することに決め……


「今日はそっちじゃなくて、ケーキ屋さんでお願いします」

「あっ、はい」


 琴音の一言によってケーキ屋さんに向かうことになった。どうやら琴音はその辺で買えるスイーツでは自分の機嫌を直しきれないと判断したようだ。


(……俺の方もそれなりに機嫌はよくないんだけどな。まぁいきなり創作キャラ扱いされて見下された琴音程じゃないか……)


 ストレスを感じた時には甘いものを摂取するに限る。村井も伊海の見下した態度に苛立ちを覚えていたため、琴音に便乗しておく。そんなことを考えている間に近辺にある中では比較的安価なケーキ販売店に着いた。


「……今日は高い方が嬉しいです」

「まぁ何でもいいけど……」


 しかし、安めのケーキショップではまだ足りないようだ。学校から家へと帰る際の通学ルートを越えた先にある洋菓子店を御所望ということで、ケーキが売り切れる前に店に入りたい琴音と村井は早歩きを始めた。


(まだ尾行しているな。まぁ、この速度差ならすぐにボロを出すか追いつけなくなるだろうが)


 後方を気にする村井に琴音も少し嫌そうな顔をして後ろを振り向く。そこには誰もいないが、その遥か後方にファミレスを出てからずっとついて来ている気配がある。


「あの人……お兄さん、ケーキゆっくり選びたいから急ごう?」

「まぁ、そうだな」


 独特な気配から察するに異能を頼りにこちらを尾行しているのは伊海だろう。村井としてはどのタイミングで伊海を撒いても別段問題はないので後回しにしていたが、琴音は後顧の憂いなくケーキを買いたいらしい。琴音がそうしたいのであれば村井もそれに合わせることにした。二人は高速で洋菓子店へと向かい始める。


(この世界の、特に異能者がいることを知っている割に遅いな……これじゃあ自称は高次元の存在であるあいつも大したことないように思えてしまうが……)


 村井がそんなことを考えている間にも伊海の気配は遥か後方になっていく。程なくして二人は隠形を用いて走り出した。こうなればもうそう簡単には追いつけない。


「琴音、そろそろ」

「そうですね。もうケーキ屋さんの目の前ですし……ふぅ」


 ケーキ屋が見えてきたところで二人は隠形をある程度解除する。そして店に入ると二人は品切れが目立つショーケースの中から今日買う洋菓子を選び始めた。


「う~ん……いつものにするか、たまには別のにするか……お兄さん、どっちがいいと思いますか?」

「お好きなように。俺は……これにしようかな」


 村井はそう言ってシュヴァルツヴェルダーキルシュトルテと書かれた何か格好いい名前のチョコレートと生クリームが層になって重ねられ、上にチェリーが乗っているケーキを選んだ。それを見て琴音が訊ねる。


「フォレ・ノワールですか。好きなんですか?」

「いや、初めて食べる。これ、フォレ・ノワールって言うのか」

「はい。シュヴァルツヴェルダーはドイツ語で、日本語に訳すと『黒い森』なんですけど、フランス語に直すとフォレ・ノワールになるんです」

「へぇ……」


 何となく名前で選んでみた村井だったが、お菓子作りが趣味の琴音からすれば普通の洋菓子の名前らしい。


(……というより、琴音はよくドイツ語とかフランス語知ってるな。レシピ本とかに書いてあるのか?)


 村井が疑問を抱いている間に琴音は花音の分のケーキとして苺のフレジエ、日本で一般的に思い浮かべる苺のショートケーキに近いものを選んだ後に自分の分のケーキについて真剣に悩み始める。


「抹茶……でも、お兄さんは今日新しい物にした」


 琴音の視線から察するに残り二つまで候補を絞り込んだらしい。ただ、この様子ではかなり時間がかかりそうだと判断した村井は横から声をかけた。


「二個選べば?」

「……でも、カロリーが」

「その分訓練すればいいんじゃない?」


 異能を全身に回せばカロリーは消費されるし、身体のホルモンバランスなどの安定にも繋がる。余計な油分によるニキビなどを気にする必要もない。そのことは琴音にも教えたはずだが、何となく心境的に気になることでもあるのだろうか。そう思って琴音に村井が問いかけると彼女は遠慮がちに答えた。


「……いいんですか? こんなことで異能使って。あんまり異能使ったらダメって」

「家の中で誰にも迷惑かけないならいいよ」

「じゃ、じゃあ……もう一個買って花音と半分こしても……」

「どうぞ」


 ちょっと花音に罪悪感の半分を押し付けて共犯になって貰おうとする姑息な考えを抱いた琴音だったが、二つもケーキを買って貰えると言うことで笑顔を見せた。

 この笑顔を買えるなら安いものだと思いながら村井は会計をして店から出て伊海の気配を探知する。


「……いないな。じゃあ、まっすぐ帰ろう」

「はい」


 ようやく二人が家に帰りついた時には辺りは真っ暗になっていた。


「ただい、まっと」

「遅かった! 大丈夫? 怪我してない? 二人とも元気?」


 帰宅した村井を待ち受けていたのは花音による抱擁だった。トークアプリでは二人の無事は伝えてあったが、実際に会ってみないと不安だったのだろう。玄関まで駆けつけた花音によって二人はチェックを受ける。


「だ、大丈夫だよ花音。結構ムカついたけど」

「そうなんだ……お姉ちゃんがそう言うなんて、よっぽどなんだね」

「うん」


 再開を祝っている妹の感動など無視して愚痴を言い始める琴音。花音は感動の喜びの余韻を感じる前に面倒臭い雰囲気を感じ取った。


「あ、えっと、無事なら良かった。おにーさん、それケーキ? 食べていい?」

「晩御飯の後でな。後、花音。一緒にいような?」

「え……」


 ちょっときゅんと来てしまった花音。しかし、花音の能力は村井の内心が面倒事に一緒に巻き込まれてくれるよね? と言っているのにすぐに気付かせてしまう。


「……むぅ。仕方ないなぁ」

「花音は私の左隣ね。お兄さんは右」

「……久し振りにソファで並んで食べるのか」

「うん。じゃあ、ご飯ちょっと待っててね。この時間だと買って来た方がよかったと思うけど、あの人と鉢合わせする可能性があったのが嫌だったから。ごめんね?」


 これは相当ストレスを抱えてるな。花音はここまで誰かに怒っている姉を見るのは初めてかもしれないと思いながら自分のストレスを先に減らすべく、ソファに村井を連れて行った。


「ねぇ、そんなに嫌な人だったの?」


 抱っこされた状態で花音は村井にそう問いかける。先に話の内容を聞いておくことでダメージを減らす算段だ。村井はこの後の展開を予想して短めに答えた。


「まぁ。詳しくは琴音が勝手に話すだろうから、端的に言うけど、自分が言いたい事だけ言って、都合悪いことは聞かない。セクハラはするし、何の根拠もなくこちらを見下して来るから……琴音が蹴り入れたぐらいだ」

「え、お姉ちゃんって暴力するの?」

「してた」


 ひそひそと内緒話をする二人。キッチンではちょっといつもより荒い感じの作業音が聞こえて来る。


「あの優しいお姉ちゃんをそこまで怒らせるとは……」

「まぁ、相手も蹴っていいよって言ってたからな。寧ろ蹴られたいとか言ってたし」

「変態だったんだ……怖」

「変態……んー何と言うか、本当に蹴られるとは思ってなかったんだろうが……」


 そう言っている間に電子レンジの音が鳴ったりケトルからお湯が出てくる音などが琴音の夕飯の支度が終わりに近づくのを知らせてくれる。


「はぁ……花音、レトルト中心だけど出来たから持って行って」

「あ、うん。お兄さんも手伝って」

「そうだな」


 配膳後、夕食時やデザートの時は琴音が自重してくれたがその後は琴音の独壇場となっていた。ただ、話を聞くにつれて花音も琴音に同調して怒り始めたので同じ場所にいてストレスを抱えていたはずの村井がブレーキ役になるという事態に陥る。


(つ、疲れる……)


 二人とも、自分のことはまだしも家族のことを馬鹿にされたことに怒っているようだが、互いにそれは許せないという点が増えて収拾がつかなくなっていくのだ。


「お兄さんはどう思う!?」

「仰る通りです、はい」

「だよね!」


(まぁ、塞ぎ込むよりマシか……)


 取り敢えず、今日伊海から得た情報をどう扱うか悩みながら村井は目の前の二人の機嫌をどう取るべきか考えるのだった。



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