第25話

 教室に入った琴音は同級生の友達に出迎えられる。既に受験期に入っていることで以前より静かな教室だが、琴音が入って来ると空気が僅かながら弛緩する。

 そんな空気の中で周囲の視線を軽く集めて自席に向かう琴音だが、席に着くとすぐにスクールカースト最上位の女子に囲まれた。ホームルームが始まるまでの間、琴音は軽い息抜きを求める彼女たちといつものようにおしゃべりを始める。


 そんな中、気になる話題が出て来た。


「ことねぇ、何か今日ウチのクラスに転校生が来るらしいよ?」

「ほんと? 急だね」

「だよね。親の都合か何か知らないけど、後二ヶ月で卒業なのに何か可哀想だよね」


 校内でも友達が多く、教師たちにも可愛がられている情報通の女子からの情報提供だ。クラス内に机が一つ増えていたこと。そして見慣れない男子生徒が琴音のクラスの担任に連れられて学校内を見て回った後、応接室に入って行ったのを彼女の友人が見たことが根拠らしい。その増えた席は琴音の隣に置いてあり、噂の真実味を強めていた。そんな中、別の女子が琴音に冗談っぽく言う。


「琴音、隣の席だからって誑かしちゃダメだよ」

「まるで私を悪女みたいに。私は何もしないよ」

「はぁ~自覚なし。琴音、自分の可愛さ自覚してる? 琴音が挨拶しただけでフツーの男子とかイチコロだから」

「ないない。花音じゃないんだから」


 大袈裟だと言って笑う琴音。その否定しながらころころと笑う仕草すら同級生の胸を射抜いているということを彼女は自覚していない。少なくとも、一度も話したことのない心をなくした†堕天使†である同級生の佐倉君が恋心を取り戻した。


「もぉ、花音ちゃんも可愛いかもしれないけど琴音も可愛いって」

「私の花音フォルダ見ても同じこと言える? 新作のアイス食べてる花音も超可愛いんだから」

「出た、シスコン。あーあー、見せんでいい、見せんでいい。花音ちゃんが可愛いのは分かってるって。全国が知ってる。下手したら外国も知ってる」

「えー、私見たーい!」


 琴音の可愛さについて語ろうとしていた少女の横から別の美少女が花音にスマホを見せるようにねだって来た。それを受けてまるで悪事を働いた代官に満を持して印籠を見せつけるかのように琴音はスマホの画像を見せてやる。


「うわ、かわい~」

「でしょ?」


 誇らしげな笑顔になる琴音。その表情を盗み見て何やら呟いていた佐倉君は天から堕ちた時の衝撃に匹敵するのどうのこうの言っていたが平たく言うと恋に落ちた。

 佐倉君のことなど眼中にない琴音は友達の言葉に気をよくして花音の写真フォルダを漁って見せ始める。和気藹々と楽しんでいれば時間が経つのは早いものだ。すぐにホームルームの時間になってしまった。

 予鈴が鳴っても琴音の周りにいた女生徒たちだが、流石に教師が来たら散り散りに席に戻る。いつものように号令が行われ、生徒たちが着席した後に教師の隣に立っていた生徒の名前が黒板に書かれた。


 伊海いかい 典正のりまさ。それが彼の名前らしい。中学生にしては高めの身長をした細身の青年だ。容姿も優れており、女子生徒たちの値踏みでは合格基準を優に超えていた。クラス全体が教師から彼についての紹介を待つ中、ようやく教員が伊海の紹介を始めた。


「今日から三組の一員になる伊海だ。伊海、軽く自己紹介を」

「伊海 典正です。よろしく」

「……はい。まぁ、まだ色々と慣れない環境で緊張しているだろう。皆も色々と気にかけてやってくれ。伊海、席はあの空いてる席だ。隣の女子が一色、男子が佐倉だ。佐倉、施設の案内とか、移動教室の時とか、しばらくの間頼んだぞ」

「あ、はい」


 イケメン野郎が天使の横顔を見るための直通ラインを切断して来たと敵愾心を露わにしていた佐倉だったが、担任が一声かけるとすぐに折れた。堕天使でも今月末には推薦での受験があるので内申の盾を持った教師には逆らえないのだ。仕方ない。


「じゃあ、伊海くん。よろしく」

「あぁ」


 担任に言われるがまま自席に向かった伊海に挨拶する佐倉。伊海の方はそれに軽く応じたが、席に着いた後、自然を装ったが、隠しきれない不自然なタイミングで琴音の方に身体ごと向き直った。そして笑顔で手を差し出してくる。


「一色さん、よろしく」

「え? あ、はい」

「何か困ったことがあれば言ってね。力になるから」

「えっ? いや、大丈夫だよ……?」


 強いて言うなら今が一番困っている。琴音がそう思っていると彼女の前の席の女子が代わりに伊海の手を取って敵意を露わにした威圧感のある笑顔で告げた。


「あたしは安藤だよ。よ、ろ、し、く、ね?」

「え? あぁ、うん……よろしく」


 安藤としては伊海の手を握り潰す勢いで彼の手を取っていたのだが、伊海は痛痒にも感じていないようだった。だが、琴音の手を取り損ねたことで明らかにテンションが下がっている。これには流石に担任も微妙な顔だ。しかし、注意するところまでは行かないらしい。というより、今月と来月は受験シーズン。三月には卒業とあるので無駄に波風を立てたくなかったのだろう。見なかったことにして、普通に連絡事項に入った。


(……朝の変な気配、この人だ)


 そんな中、琴音は目の前の彼が今朝の登校時に感じた妙な気配であることを悟る。先程の挨拶でもさり気なく全身を値踏みされ、琴音は嫌な気分になっていた。


(今も見てる……何だろう? 私、何かしたかなぁ……?)


 こんなに隠そうとしながらも露骨に性的な目で見て来る相手は諸角以来だ。隣の席を代えて欲しいが、自分が言うと角が立つ。下手をすれば虐めになるかもしれない。

 この学校にいるのも後僅か。基本的に楽しかった学園生活の晩節を汚したくない。そう思った琴音は我慢する方向で進めることにする。


 そう考えていた琴音だが、不意に伊海が異能の力を発したのを受けて身構えた。


(え! 何!?)


 彼はペンに【移し】、異能の力の付与を行うとメモ用紙に文字を記す。一般人から見れば白紙のメモ。しかし、琴音たち異能者から見ればはっきりと見える文字で彼はライムIDと書き、その後に数字の羅列を綴って琴音に見える位置に置いた。


(登録して欲しいってこと……?)


 何となく伊海の意図は理解出来た琴音だが、正直に言って全く気が進まない。無視しようかとも思ったが、琴音が動かないのを見て伊海は更に文言を付け足した。


(必ず力になる?)


 何の力になるつもりだろうか? 琴音は別に今のところ誰かに力を貸してほしいと思うような出来事には出遭っていない。


 ただ、続く文言で琴音の考えは改められた。


(昏き幽王の再封印と借金返済……?)


 昏き幽王。その言葉には聞き覚えがあった。村井が持つ邪神から渡されたという単行本だ。それを読んでから彼の自分たちに対する態度は変わった。

 そして、借金のこと。琴音のみならず花音も誰にも言っていないはず。このことを知っているのは村井を筆頭とした当事者と御伽林くらいだ。この中の誰かの関係者ということになれば、話は変わって来る。


(……取り敢えず、連絡先くらいは交換してみようかな。最悪、ブロックして通知を削除すればいいし)


 心変わりした琴音は机の隅にシャーペンで彼のIDをメモすると、ライムの友だちで伊海を登録するのだった。



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