第21話
「え?」
唐突な村井の「待った」宣言に琴音が急停止する。その隙に村井は捻じ込んだ。
「琴音、花音、二人とも。いいか?」
「……お姉ちゃん的にはあんまりよくないけどいいよ」
「え、あ、その……はい」
タイミングを逸した形になる琴音は少し残念な気持ちを抱きながら困惑して村井の言葉を待つことにする。二人が止まったのを見て村井は口を開いた。
「取り敢えず、気持ちは嬉しい。こんな俺に好きだなんて言ってくれてありがとう」
まずは感謝の言葉を告げる村井。しかし、続けて彼は言う。
「ただ、二人とも焦り過ぎだ。今からこの道しかないなんて思い込んで自分のことを縛るのはよくない。学生の間、もしくは成人するまで面倒看るって言ってるんだからそこまでは自分の権利だと思って自由に過ごしていいんだから」
「自由に考えたよ? その結果がさっきの告白。返事をください」
「だから焦り過ぎだって。返事は……そうだな。花音が十八歳になるまで預かっておくから、その時になっても同じようなことを言うなら俺も真剣に考える」
「私は今も真剣。ちゃんと考えて」
じっと村井を見つめて引き下がらない花音。そんな彼女を見て村井は溜息を吐いて少しだけ語り始めた。
「……あんまり言いたくなかったが、花音がそこまで言うなら俺が何でこう、返事を保留したがるのかも少し話しておくか」
「うん。聞きたい」
村井の根底にある他人と距離を置きたがる理由。それが分かれば今よりもいい関係が築けるかもしれない。ノータイムでそう考えた花音はすぐにそう返す。対する村井はどう言ったものか悩みながらもあまり深刻に受け取られないように口を割った。
「まぁなんだ。俺も人間関係で手痛い失敗してるんだよ。有り体に言うなら失恋だ。よくある話だが両想いだと思っていた相手が別の男のことを好きになって……そんで死にかけた」
花音は村井が嘘をついていないことを視て理解した。失恋で死にかけるというのは相当なものだろう。だが、それはそれとして花音は村井の言葉を否定した。
「私はその人とは違う」
「まぁそう言いたくなるだろうけどな。そいつもその時は俺のことを好きだったはずなんだよ……でも、出会って間もない新しい男の方にコロッと行った」
「私はそうならない」
「分かった分かった。でも、俺も年齢と周囲の目を花音の言葉より優先しているわけじゃないってことだけは分かってくれ。俺にも少し時間とか色々要るんだよ」
花音は村井をじっと見つめ続ける。村井はずっと本当のことを言っているようだ。そして、本心から弱っている様だった。それを受けて花音は仕方ないと息を漏らす。
「はぁ、仕方ないなぁ……待ってあげる。だから、絶対いい返事にしてね?」
「……あぁ、うん。善処する」
「お姉ちゃんはどうする?」
「お兄さんも色々あるみたいだし……焦って今言うことでもないかな」
村井を気遣って琴音はそう告げる。花音は今こそ畳みかける好機な気もしたが、姉の意思も尊重したかったので頷くだけに留めておいた。
「まぁ、おにーさん。取り敢えず私は言いたいこと言ってすっきりしたから。今後もいっぱい甘えるけど、よろしくね?」
「……甘やかし過ぎない程度に受け止めるよ。ただ、一歩踏み込んだ関係になりたいならこっちからも色々と言うからな? 学校には行ってもらうし、社会に出て色んなことを勉強してもらう。いいな?」
「うん。……うん? 社会に出る……? 芸能界である程度活動すれば社会に出たのと同じでいいよね……?」
「個人的には時間をかけて色々と経験してもっと世の中を見てもらいたいけど、そこは花音の解釈に任せる」
「じゃあ三年間は学校に行きながら芸能活動もやる。だから後はおにーさんと一緒にいさせてね」
にっこり笑って花音は言いたいことを言った。真っ直ぐな感情をぶつけて来た花音に村井は少し気後れしながら話を所属事務所に戻す。
「それで花音、どこに行くことにしたんだ?」
「ん? あぁ……そうだなぁ。これが今の条件で一番私に合ってて、契約期間的にも手頃な気がする」
そう言って花音が手に取ったのは大手レコード会社と系列プロダクションの契約書だった。誰もが知る超大手のグループ会社の名を見て村井は苦笑する。
「……そんな動機でこの巨大なグループ会社と契約するのか。いやまぁ、花音らしいと言えば花音らしい、か」
「わ。そこにするんだ。やっぱり花音は凄いなぁ」
「……お姉ちゃんがそれを言うの? 今からでも遅くないから次の契約の時に一緒に行く?」
「私はいいよ。そういうの向いてないし……花音とお兄さんのサポートするから」
苦笑いで誤魔化しながら琴音は少し下がる。そんな彼女に花音はおねだりする時の目を向けて琴音に聞こえるように呟いた。
「ついて来てほしいな……」
「う……お、お兄さん。助けて」
花音の圧に押されて琴音は縋るような目を村井に向ける。そんな彼女の助けを求める声を村井は無言の笑顔で受け止めた。
「え、お兄さん?」
「一緒がいいな……」
「か、花音。ちょ、私は無理だって。お兄さんからも言ってよ!」
にじり寄って来る花音に琴音は少し後退りしながら村井からの救援を求める。ただ今回の村井は積極的に動こうとしなかった。代わりに琴音に聞こえるように呟く。
「琴音も可愛い」
「え?」
「まぁ、喧嘩にならない程度にじゃれ合いな。契約書とかは汚損するとよくないから片付けておくから」
「ちょ、お兄さん?」
はしごを外された気分になる琴音の後ろから花音が抱き着いた。そして琴音の耳元で囁きかける。
「お姉ちゃんも一緒に行こ……?」
「やだ! お兄さん! 花音! 怒るよ!」
「何で俺に怒るんだよ……まぁ花音。嫌がってるからその辺で」
「むー……おにーさん、お姉ちゃんに甘くない?」
村井に言われて素直に引き下がる花音。それを見て琴音も複雑な顔で告げる。
「……花音も私が止めてって言った時は止めなかったのにお兄さんに言われるとすぐに止めるじゃん。花音はお兄さんに甘いよ」
「そんなことないよ。ちゃんとお姉ちゃんのことも考えてるよ。ただ、ちょっとだけ嫌がる時のお姉ちゃんが可愛すぎるのが悪い」
「花音のいじわる」
二人のやり取りを見ていた村井は何だかんだで琴音は花音に相当甘いなと思った。
それはさておき、村井は花音に最終確認する。
「で、花音。楽しそうなところ悪いんだが、本当にこの会社でいいんだな? 一回決めたらよっぽどのことがない限り最低三年は契約に則った行動をすることになるが」
「あ、うん」
「じゃあ、また森崎さんに連絡しないとな……」
そう言って村井は契約書の保護者印のところに署名と押印を済ませてしまう。花音もそれに倣って本人の意思確認の署名に名前を書くと頷いた。
「よし。頑張るね」
「あぁ。無理しないようにな」
所属先は決めた。それを見て琴音は先程から気になっていた話題を蒸し返した。
「ところでお兄さん。花音が十六歳になったら協力してほしいことって結局何だったの?」
「……まぁ、色々だ。ざっくり言うなら、非常に面倒で俺の嫌いな奴が拗らせているから黙らせるのに付き合ってほしい」
「ん? それなら今からでも……」
花音がそう言うも村井は首を横に振った。
「今じゃまだ期間が足りない。少なくとも後二年は要る。だから、正確には花音が十六歳になって少ししたら手伝ってほしいことだな」
「ふーん。何だかよくわからないけど、おにーさんの力になれるなら頑張る」
「その時が来たらよろしく頼むかもしれない。まぁ、今は気にしなくていいよ」
「分かった」
こうして表面上、村井家の平穏は保たれることになる。そして後日、花音は超大手レコード会社と系列プロダクションとの間に正式に契約を結び、芸能界に入ることになるのだった。
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