第7話
琴音が部屋の測量を始め、ネットでウィンドウショッピングを開始し、村井に予算を尋ねた後に本格的な検討を行いながらもどこまで自由にお金を使っていいのか思案すること約三時間。リビングにいた村井は本を閉じて口を開いた。
「はぁ……そろそろ昼飯時か。外に行こう」
「お兄さん、読み終わったんですか?」
「一応、な」
ナイ神父から渡された文庫本を上中下巻の全て読み終えた村井はようやくソファから立ち上がった。それに伴い、花音も目を覚ます。
「……終わった?」
「取り敢えずな。苦労してるんだなお前ら」
「? うん」
村井の読後の感想によく分からないまま頷く花音。
村井がナイ神父から渡された伝奇小説は基本的に起きた事件とその解決に向けての大立ち回りが主軸だった。だが、主人公やヒロイン、そして各事件に巻き込まれたサブキャラを掘り下げるものもあった。
その中でこの一色姉妹はメインヒロインである花音が高校二年生になるまでの間、殆ど常に悲惨な目に遭っていた。
当然、単行本として書くには配分の問題がある。事件の本筋ではない部分に当たる二人が事件に巻き込まれる前の幼少期のことなどは殆どスポットライトを当てられていないが、彼女たちがかなり家庭環境に恵まれていなかったことが分かる描写は点在していた。
(まぁ、俺も何か平行世界に転移させられてからは大概な目に遭ってるが……今後の楽隠居の日常を考えれば帳消しになる、つもりだったんだがねぇ……)
自分の運のなさと少女たちの不運を天秤にかけて溜息を吐きたい気分になる村井。彼の脳裏には先程読んだ本の一部が想起されていた。
『名家、幸手一色氏の血を受け継ぎながらも親の反対を押し切って駆け落ちした父と親の顔も知らずに育った施設育ちの母。一色の名があったからこそ成功していた父は転落人生を歩んで荒れ、父と対立するのを嫌った母は娘たちへの家庭内暴力に目を瞑った。
いや、母親は娘たちに対する夫の暴言や厳しい躾を家庭内暴力と思っていなかったのかもしれない。彼女が児童養護施設に送られる原因となった、彼女の育ての親からの仕打ちに対すれば二人への行き過ぎた指導は大したものではなかったからだ』
この話が本当だとすると、今回の事件に巻き込まれる以前から二人は可哀想な目に遭っていたということになる。
(ただまぁ、俺も俺でこんな本になるような危険な場面に二人を突っ込ませようってんだから酷いよな。人のことは言えねぇか)
二人の少女がそんな酷い目に遭っているのを承知の上でまだ苦難の道を歩ませようとしている自身の仕打ちに後味の悪いものを感じるが、やってもらわなければ世界が滅びると言い聞かせて二人を見やる。村井の視線に琴音は不安気な表情になるが花音は不思議そうな顔で村井を見上げるだけだ。
「どうしたの?」
「いや、今日から修行にするが……大丈夫かと思っただけだ」
「そうなんだ。がんばるね」
適当に誤魔化した村井に対して花音は純粋な表情で応じる。バツが悪くなった村井は話を少しだけ逸らした。
「まぁ、今日のは頑張ると逆によくないからリラックスしてくれ。それで、何か食べたいものはあるか? なければ適当にショッピングモールの中で済ませるが」
話題の方向は今日のこの後の予定だ。都心から少し外れている村井の家の近くにはそれなりの大型ショッピングモールがある。そこで買い物なども済ませようと村井が提案すると二人ともそれに賛成した。上手い事話を逸らせた村井は安堵しながらすぐに準備に取り掛かる。
「じゃあ久し振りに車を出すか……花音、降りて」
「え。いや」
速攻で断って来た花音に村井は何とも言い難い顔になる。しかし、虐待を受けても信じていた両親が殺害、その後すぐに血腥い邪神降臨の儀に巻き込まれ、見知らぬ男の家に住むことにさせられた可哀想な美少女をあまり無下にも出来ない。仕方ないので妥協案を取った。
「……じゃあ、分かった。タクシーで行くからせめて抱っこじゃなくて手を繋ぐ程度にしてくれ。いきなり離れろとは言わないから」
「うん」
「……花音、あんまりお兄さんを困らせたらダメだよ。追い出されるよ」
「これくらいなら大丈夫だよ。おにーさんはおとーさんと違うから」
ね? と言わんばかりの視線を向けて来る花音。村井は勝手に大丈夫扱いしないで欲しいと思ったが、実際そこまで気にしていないので適当に流してスマートフォンを弄ってタクシーを呼んだ。
「五分後に来るみたいだからそれまでに準備して」
「うん」
「……えっと、何をしたらいいですか?」
「何を買うかぐらいは考えてメモを……面倒臭いな。俺の名義で携帯買うところから始めるか」
その言葉を聞いて琴音は僅かに目を輝かせる。
「か、買ってくれるんですか?」
「あった方が便利だしな」
期待に胸を膨らませる琴音。前々から欲しいとは思っていたが、実の両親に厳しく
躾されてきた影響で欲しいとねだることさえ出来なかった。それが今、あっさり手に入ろうとしている。ここに来て一番テンションが上がったひと時だった。
そんな姉に対し、花音はどこ吹く風という顔で村井に告げる。
「私はおにーさんといるから……」
「花音もある程度修行したら学校に行ったりするから買うぞ」
「えー……? いいよ別に。あれ、高いんでしょ?」
「必要経費だ。気にしなくていい。どういうのにするかな……ちょっと会社比較してプランとか調べて行くか……」
そうこうしていると五分などあっという間だ。両側に美少女を侍らせてタクシーの後部座席に乗り込み、村井はショッピングモールに向かった。
無言の道中。緊張した表情で前を見つめる琴音と村井を掴んでまた寝ている花音。村井は花音はよく寝るなと思いながらも自分に強くしがみついていることからあまり質の良い眠りに就けていないということを理解した。
(悪夢の退散丸は一般的な魔術や霊的存在に対しては効くが、本人の辛い記憶とかはまた別の話になってくるからなぁ……)
表面上、平気なフリをしている花音だが実際のところはかなり辛い思いをしているのだろうという予測は付く。何とかしてあげたい気持ちもあるが、花音の今後のことを考えると自力で乗り越えてもらいたいという冷めた感情もあった。
(……健康に害が出るようだったら安眠香でも調合するか。材料はあったかな?)
最悪、御伽林から色々と買い直さないといけないなと思う村井。そうしている間にタクシーは目的の場所についた。もう依頼での出張もないことだし手放そうと思っていた車をしばらくは使おうかなと思う程度の支払いをして三人はモールに降り立つ。
「さて、まずは携帯からかな。買い物で迷子になるかもしれないし」
「携帯……」
「手を繋いでたら大丈夫だから先にお洋服見たい」
「服はそれこそ二人ともサイズが違うから見て回る場所が違うだろ? 先に連絡手段を確保しておかないと」
花音の意見を棄却して村井は二人を連れて携帯ショップに向かう。家電量販店の中にあるそれは三大キャリアの他、格安モデルもあったが取り敢えず村井が使っているキャリアと同じ大手の携帯ショップの店員に話しかけた。
「いらっしゃいませ。ご予約はされていますか?」
「いや、してない。ただ、私のを最新機種にするついでにこの二人に新しいスマホを買おうと思ってね」
「そうなんですねー。どういったものがいいとか、現時点であります?」
「取り敢えず私のは最新機種……何かホームボタンがないな……やっぱりこっちで。琴音は?」
村井がそう言うと琴音はおずおずとタブレットで開いていた画面を見せる。
「ふむふむ。お客様、こちらでしたら全てご用意ございます。こちらになりますが、少し操作感を試してみますか?」
店員が村井たちを連れて行ったのは最新機種が揃えられたデスクだった。その価格を見て琴音は少し怯むが、周囲を見ても同じ価格帯のものしかないのを受けて琴音が選んだ機種は少し安めに感じられた。
「保護者様の携帯はこちらで、お二人のは……」
こちら。ショップの店員がそう言う前に花音が割り込む。
「私はおにーさんと一緒がいい」
「え、花音ダメだよ。高いから」
「……ダメ?」
おねだりの目だ。当然、魅了付き。とても可愛らしく、余波だけでショップの店員が一瞬、接客用の表情を忘れるものだった。それはともかくとして村井としては何でもいいので琴音にも言っておく。
「花音がこれがいいならこれで。琴音も値段はあんまり気にしないでいい」
「え! じゃ、じゃあ……これの、ピンクってあります?」
「すみません。こちら、本体のカラーバリエーションはシルバーとゴールド、グレーのみになっておりまして。見た目を変えたいのでしたらあちらにケースがございますので」
「……お兄さん」
申し訳なさそうにおねだりする琴音。こちらは魅了付きではない。だが、それでも可愛いことに違いはなかった。ただ、おねだりが可愛いからといってという理由だけではないと思いながらも村井は琴音のおねだりに素直に応じていた。
「好きに買っていいよ。俺も耐衝撃のやつ買うし」
「私も何か買う」
「本体の色はいかがなさいますか? 後、今でしたら本体価格を割り引く形での料金プランや付属品にセット価格でのご提供が出来ますので先にプランの方を決めて貰うことをお勧めします」
「じゃあそれで」
この後、二時間くらいかけて電話番号から通信アプリ、初期設定などを行って貰うことになる一行。これで取り敢えず、三人の通信手段が確保されるのだった。
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