第42話 無言の帰還

 武器を向けて脅されたわりには、丁重な扱いを受けているな、とカナは自分の置かれている状況を分析した。


 笹苞山は谷ひとつ挟んだ鬼住山よりも標高が高く、大王の本陣は頂上近くに設けられている。

 しかも山頂までの道のりは整備されておらず、足場は悪い。山道を登るとき、シン達はカナを気遣い、足場が悪い場所では手を貸してくれた。

 シンや兵達にしてみれば、カナは鶯王が命を賭して守った素性の知れない女である。

 それぞれの頭の中にどんな妄想と憶測が繰り広げられているのか、覗いて見てみたいものだ。


 息も切れてきた頃、一際厳重に警備されている陣が見えてきた。

 シンは足を止め、カナに向き直る。


「ここより先に、大王が居らっしゃいます」


 説明を口にしたシンに、カナは黙って頷く。


 十年近く大牛蟹が戦をしてきた相手だ。一度くらい顔を見てやってもいいだろうと、そんな気持ちになっていた。


「失礼致します」


 シンは声をかけ、陣幕の中に入って行く。カナもあとに続いたが、ほかの兵達が入ってくる気配はない。

 決まった位のある者しか入れないのだろうか。


「よくぞ参った」


 耳心地のよい声に、カナは顔を向けた。

 髭を蓄えた、いかにもな男が威厳を撒き散らして座している。


(あぁ、似てるわ……)


 大王の顔に鶯王の面影を見付け、やはり父子なのだと確信した。

 しかし、カナは大王の前に居る者の姿に目を見張る。


「なんで、ここに?」


 カナの声に、大王の前で膝まづいている大きな塊が動く。カナを目に留め、大きなギョロリとしている目をさらに大きくさせた。


「カナ!」


 大牛蟹は体の向きを変え、カナは衝動のままに駆け寄る。


「大牛蟹……火傷をおっているではないか」

「笹と煙に巻かれてな。火に囲まれてしまった。情けないことだ」

「情けないなど! 命があって、なによりじゃ。死んでしまっては、元も子もない」

「生き恥を晒すよりは、死んでしまったほうがマシだったかもしれん」


 カナにしか聞き取れないような、吐息のような呟き。大牛蟹は頭(かぶり)を振ると、無理やり思考を切り替える。


「いや、それより……そんなことよりもだ。なぜカナがここに? 鶯王はどうした?」


 カナが口を開くより先に、大王が言葉を発した。


「大牛蟹よ。その女性は?」


 大牛蟹は即座に体の向きを再び大王に向け、深々と頭を垂れる。


「この者は、カナと言う。儂のよき話し相手であり、相談相手の役を担ってくれている相棒だ」

「ほぅ! そうか。我でいうクワシのような存在か」


 うむ、と納得した様子を見せ、大王はシンに顔を向けた。


「よくぞ戻った。此度(こたび)の作戦は、実に見事であった」


 大王からの褒め言葉に、シンは表情を暗くし、深く一礼する。


「大牛蟹は侵入してこようとする者達から、この地を護る守護の要として協力してくれることになった。何年と戦い続けてきたから、大牛蟹達の強さは十二分身に染みている。協力者としては、この上なく心強い限りだ」


 大王の言葉を受け、そうなの? とカナは大牛蟹に目で問う。カナの視線を受け、大牛蟹は頷いた。


「笹を操る風も煙も……全て味方につけられては、太刀打ちできる術(すべ)も無い。降参だ」

「降参……」


 あれほど善戦していたのにと、カナは悔しさに拳を握る。しかし、大牛蟹が決めたことに異を唱えることはやめた。今さら異を唱えたところで、決定が覆るわけもなし。


「しかし……なぜ、その女性を連れてきたのだ?」


 最もな疑問を大王が口にすると、シンに緊張が走る。

 地面を睨みながら、慎重に選んだ言葉を口にした。


「彼女は、鶯王様と共に行動していたのです」

「鶯王と……? して、その鶯王はどうした。大牛蟹に連れ去られたと報告を受けているが、なぜここに姿を見せぬ」


 責められているわけでもないのに、そう聞こえてしまうのは、鶯王の身になにが起きたか知っているからだろうか。


 シンは、陣幕の外に居る兵に向け「入れ」と声をかけた。

 外に居る兵の動きに合わせ、陣幕が揺れる。戸板に横たわらされている鶯王が、静かに運ばれてきた。

 シンは足を進め、鶯王を運ぶ兵達を先導する。大牛蟹の隣に片膝をつくと、大王と自らの間に鶯王が横たわっている戸板を下ろさせた。


 大王は立ち上がり、目を見張る。産まれたばかりの小鹿のように足を震わせ、一歩一歩鶯王に近付いた。


「これは……悪い夢か、なにかの間違いか?」


 放心した大王の問いに、シンは肩を下げて頭を垂れる。


「いいえ。現実でございます」

「鶯王! なぜ!」


 大王は怒りの形相で、大牛蟹の胸倉を掴んだ。


「なぜ殺した!」

「殺しなどするものか! 話がしたいと言うから、話をしていただけだ。イヅモ族とヤマト族が共に暮らしていけぬか話がしたいと、面白いことを言う子供だと連れ帰ったら、こやつらが攻め込んで来たのではないか!」


 大牛蟹は体を捻り、カナを呼ぶ。


「おそらく、共に逃げる途中で襲われたのであろう。この子供が、いかにして死んだか語って聞かせるのだ!」


 大牛蟹ばかりでなく、大王と、シンの目もカナに向く。シンの視線を受け止めると、言葉を発することなく黙礼された。


(そうか……私は、このためにわざわざ武器を向けられ、ここまで連れてこられたのね)


 共に来てほしいと言われたのは、大王に鶯王からの言葉を伝えるのではなく、いかにして鶯王が亡くなったのかを伝えるため。

 シンの口からではなく、そうなる前後を知るカナの口から語らせるためだ。


 カナは、目蓋を閉じたまま動くことのない鶯王を一瞥する。血が拭き取られた白い顔は、ただ眠っているかのようだ。


「鶯王様は勘が鋭く、勇敢でございました。急ぎ自軍に合流すると申されておりましたが、女一人の身を案じられ……共に避難場所へ向かっているとき、私を庇って、自ら雨のように降ってきた矢の盾となってくださいました」

「矢を……自ら……」


 大王が鶯王の頭元で「おお……」と泣き崩れる。


「鶯王、目を開けておくれ。私の、可愛い……鶯……うぅ」


 大王は動かない鶯王の頬を挟み、額を擦り付けた。


「なぜ、そなたが……あぁ」


 カナは悲しみを露わにする陛下を目にし、人の親だったのじゃな……と、胸中で吐露する。

 鶯王の亡骸を前にしても冷酷無比であったなら、同情の余地もなかったのに。嘆き悲しむ姿は、普通の父親と変わらない。


 肩を震わせながら、大王は大牛蟹を呼んだ。


「さっそく、頼みたいことがある」

「なんだ」


 大牛蟹が応じると、大王は鶯王の手を摩りながら、いく筋もの涙で濡れる頬を袖で擦った。


「この地に、笹苞山の麓に、息子の墓を造ってくれ……。鶯王をアサギの元に、母の元へ連れ帰る頃には、体が腐敗してしまっている。我と同じく鶯王を愛してやまない妻に、腐りきってウジの湧いた鶯王の姿など見せたくない」


 そして大王は、カナに語りかける。


「カナと言ったな。そなたには、鶯王の最後を妻に語ってほしい……。共に来てはくれまいか?」


 大王からの申し出に、カナは頷く。


「はい。ぜひ、お連れください。鶯王様から、母君へ言伝を頼まれていますので」


 カナが自分一人で向かわなくてもよくなったのは、これ幸い。道に迷わなくてすむ。

 旅の行程が楽になったと安堵していると、カナは大王の視線が自分に向いていることに気がついた。


「……ほかに、なにか?」

「いや……鶯王は、我にもなにか申していなかったのであろうかと……」


 母に向けられた言葉があるのなら、父に向けられた言葉もあるのではと、そう考えたのだろう。

 嘘の言(げん)を告げるわけにはいかない。

 カナは正直に、残念ながら……と、大王の胸に抱かれた淡い期待を一言で粉砕した。

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