第40話 笹吹く山
大牛蟹が出て行った戸口から、大量の笹が吹き込み続ける。
鶯王は顔を両腕で庇いながら、急いで開きっぱなしになっている戸を閉めた。
(なんなんだ……これは)
どうしてこんなに大量の笹が舞っているのか、原因が分からない。まるで、大群で押し寄せるイナゴのよう。
顔を覆っていた両腕は、速さを手に入れて刃物のように切れ味のよくなった笹の葉の縁(ふち)で、無数に切り傷を負っている。
鶯王は、カナに向き直った。
「私の鎧と剣(つるぎ)はどこですか?」
「ここじゃ」
カナはカゴを手にし、鶯王の元へ運んでくる。
鶯王は急ぎ身に着け、剣を手にした。
カナは外の様子を確認すると、表情を険しくする。
「まるで嵐……笹の葉の暴雨だわ。この中を移動するのは、大変そうね」
準備はできたようね? と確認してきたカナに、鶯王は頷く。
「では、避難場所へ急ぎましょ」
「いえ、私は味方の軍に合流します」
大王の軍が攻めてきているのなら、共に戦うのが筋だ。カナと共に、こちら側の避難場所に向かうわけにはいかない。
(攻めてきている大将は、どなたであろう……)
鶯王がここに居ると知られれば、なぜ居るのかと、呆れられてしまうだろうか。
「ならぬ。私と一緒に行くのじゃ。大牛蟹との話も途中であろう」
「いえ、もう……話はよいのです。すぐに解決できるような、浅い因縁ではないことも理解しました……」
キビツも、代理戦争だと言っていた。この戦の、溝は深い。
鶯王はカナに頭を下げた。
「目が覚めるまで傍に居てくださり、ありがとうございました」
「ダメじゃ。ならぬと言っておるだろう! 大牛蟹が共にと言ったのは、まだ話し足りないからに決まっている。会話を深めれば、落としどころが見つかるやもしれぬ。諦めるな!」
煙の臭いが鼻をくすぐる。壁の隙間から、灰色の煙が入り込んできた。
カナの表情に焦りが生じる。
「ともかく、この場は離れねば。死んでしまっては意味が無い」
カナに思い切り手を引っ張られ、鶯王はしぶしぶ足を動かす。
戸を開けると、煙と共に再び笹の葉が舞い込んできた。
荒れ狂う笹の葉は、刃物と同じ。怪我をさせてはならぬと咄嗟に判断し、鶯王はカナを守るように包み込んだ。
「離すのじゃ! 動けぬではないか」
「貴女が怪我を負ってしまいます。場所を支持してください。私が抱えて走ります」
「ならぬ! 自分の身は自分で守れるから心配するな」
「聞き入れられません」
鶯王はジタバタ暴れようとするカナを横抱きにし、煙と笹が舞う戦場に飛び出す。
大人の女性であるカナが重たくないと言えば嘘になる。だが、訓練を思い返せば、なんということはない。
「っもう! ここを右に、それから真っ直ぐじゃ」
カナは観念し、鶯王に指示を出す。鶯王は言われた通りに、笹が舞い、肌を切りつける中を進んでいく。
笹の葉は切りつけるだけでなく、身の自由を奪うようにまとわりついてくる。動きにくくて仕方がない。
近くからも遠くからも、戦の音が響き続けている。
だが不思議なことに、カナの指示のおかげか、敵とも味方ともいまだに遭遇していない。
(このまま、カナ殿を安全な場所に避難されることができればよいのだが……)
鶯王は息を荒くしながら、周囲の気配を探ることにも気を使っていた。
沸き立つような煙と笹の葉で、視界は限りなく悪い。感覚を研ぎ澄ませ、全神経を集中させる。
ーー轟々
鶯王は足を止め、耳を澄ます。
「どうしたのじゃ?」
「空気の唸る音が……聞こえるのです」
「なんじゃと」
カナは鶯王の腕から降り、鶯王と同様に周囲の気配を探る。
「あっ!」
「えっ?」
なにかに気づいたカナに対し、鶯王は間抜けな反応を返してしまう。
「急ぎ、物陰へ」
カナに腕を引かれた鶯王の目に、キラリと鈍い光を宿すなにかが、いくつも向かって来るのが見えた。
(あれは……矢尻!)
今から物陰に向かっていては間に合わない。
カナを守らなければ。
鶯王はカナに引かれていた腕を引っ張り返し、カナを庇うように、守るように、その体を包み込む。
ーードスッ ーードスッ ーードスッ
「っう〜っ!」
鶯王は背中からの衝撃と痛みに、喉の奥で唸った。カナが居なければ、叫んでいたであろう痛さだ。
「あっ、矢が……っ!」
「ぐ……っ、うぅ!」
二の腕に刺さっていた矢を引き抜き、矢羽根を確認すると、それは味方の物。
狙われたのか、流や矢なのか、どちらだろう。
(味方も、私がこんなところに居るとは……思いもしなかったであろうな)
喉の奥から、熱いなにかが込み上げてくる。
「カフ……ッ」
大量に血を吐き、鶯王はカナを抱えていないほうの手と両膝を地面についた。
「鶯王!」
倒れ込む鶯王をカナが抱き留める。鶯王はゼェゼェと、浅く荒い呼吸を繰り返した。
(血を吐いた……。もう、ダメか)
鎧で守られていない部分は、矢が貫通しているところもある。出血も多い。
これでは、おそらく助からないだろう。
(でも……まだ、死ねない)
死の間際まで、できうる手立てを考えろ。
鶯王は、カナにすがりつく。
「もし、私の母に会うことが叶うなら……言伝を頼みたい」
「ならぬ! 自分で伝えるのじゃ」
鶯王は、フフっと小さく笑みをこぼす。
「無茶なことを」
「無茶を承知で言っている! 生きるのじゃ!」
問答よりも、鶯王は母に伝えてほしい言葉を口にし始める。
「母に……先に逝く親不孝を詫びてほしい」
「コラ!」
「武功を立てられず、申し訳ありません……と」
「私は伝えぬからな!」
「夢を叶えてあげられなかった……ごめんなさい」
「聞いているのか!」
事切れるまでにできることが、敵を一人でも減らすことではなく母への懺悔とは、キビツが知れば情けないと罵られるかもしれない。
けれど、一番悔いを残さない選択をしたと、胸を張れる。
カナは観念したのか、あ〜っ! という苛立ちの唸りと共に鶯王の両頬を挟み、顔を覗き込んだ。
その顔は、悔しさに歪んでいる。
「そなたの母は、名をなんと?」
「名は、アサギ……父である大王が、一番愛しておられる心優しき女性です」
視界が暗くなってきた。血を流しすぎたからだろうと、鶯王は頭の片隅で考える。
耳に届くのは、バラバラと幾人もの足音。敵か味方か分からない。分からないけれど、カナの身の安全は保証してもらわなければ。
ーージャキリ
無機質な金属音。取り囲まれ、剣先を向けられているのだろう。
「動くな!」
(この声は……)
鶯王は、聞き覚えのある声に、その名を口にする。
「シン……?」
反応は、得られない。
シンならば、カナのことを頼めるのにと、淡い期待が胸に宿る。
でも、返事が無い。
違ったのだろうか……と思いつつ、襲い来る眠気に抗うことができず、鶯王は静かに意識を手放した。
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