第38話 我が名

 見上げるほどの大男は、ギョロリと鈍い輝きを放つ瞳に鶯王を映している。


(これが、大牛蟹……!)


 鬼住山を根城にし、近隣の村々から強奪をやめない賊の首魁。

 なんと禍々しい雰囲気を放つ鬼だろう。いや、鬼だからか。鬼だから禍々しいのだ。


(なんと……恐ろしい)


 鶯王は無意識に、ジリジリと後退しようとする足に踏ん張りをかけた。


「フンっ、小者か」


 大牛蟹の唇を読み、鶯王は全身が熱くなる。駆け巡る血液が沸騰しているかのようだ。

 小者という言葉に集約された意味を憶測すると、事実なだけに、悔しくてたまらない。ちっぽけで薄っぺらい自分を見透かされている。


(見下されたままでは、終われない!)


 鶯王は剣(つるぎ)の柄(え)を握り直し、大牛蟹に切先を向けて構えた。


「我が名は鶯王! 大王の第一皇子である」


 踵を返そうとしていた大牛蟹の動きが止まる。


「大王の……第一皇子だと?」


 ギロリと、親の仇でも見付けたかのような鋭い視線に射抜かれ、鶯王は一瞬だけ怯えた表情を覗かせてしまう。


(ダメだ。震えるな!)


 腰を抜かすな。崩れ落ちるな。大地を蹴れ。剣を振りかざせ。


(今まで鍛錬してきた全てを注ぎ込むのだっ!)


 鶯王は腹にも肺にも空気を送り込み、声の限りに気合を入れた。


「いざっ、参る! うおぉぉおおおおっ!」


 振りかざした剣は鉄の棒に払われ、弾かれる。しっかり握っていたにもかかわらず、剣は手の平から離れて遠くへ投げ出されてしまった。


「くっ!」


 鶯王は周囲に視線を走らせる。


(どこかに、代わりの武器はないか)


 焦ると視界も狭まってしまう。


「鶯王様!」


 シンの声に意識を向ける。すると、鶯王の眼前には壁のように迫り来る大牛蟹の姿。

 巨体なのに小柄な鶯王より動きが速く、逃げようとするもガシリと首を片手で掴まれた。


「がっ!」


 苦しい。苦しくて、息ができない。

 ヒュッと喉が鳴る。


(ダメだ……こんなところで、意識を飛ばすな。死んではならん!)


 大牛蟹の手を引き剥がそうと爪を立てるも、なんの効力もないようだ。さらなる抵抗として何度も爪を立て、獣を真似して掻きむしるも、掴んだ手がゆるむ気配は無い。

 反対に、細い首を掴む大牛蟹の手に力がこもる。


「我が弟を殺した恨み。苦しみ。己の子が死ねば理解できるだろう」

「ぐっ……うぅ!」


 ミシミシと、骨の軋む音が聞こえてくるようだ。

 気道が塞がれ、息ができない。


(ここで死ぬのか? 武功も立てず、初めての戦で?)


 視界も黒くぼやけてきた。


 ーー考えろ


 鶯王の脳裏に、キビツの言葉が蘇る。

 今できる抵抗は、思いつくだけの抵抗は、全て試みた。だが、逃(のが)れられない。ほかに、なにをしたらいいのだろう。


(この鬼は……言葉を話している。多分、きっと通じるはずだ)


 鶯王は声を絞り出した。


「私は、話がしたい……」

「話?」


 鶯王のか細い声が届き、大牛蟹が聞き返してくる。首を掴む手の力がゆるみ、少しだけ空気が吸い込めた。


「な……なぜ、同じイヅモ族同士で……命を奪い合わねばならぬ、のだ!」

「同じイヅモ族同士だと?」

「私の母はイヅモ族だ。同族で争うことを嘆いている。私も同じ気持ちだ。話し合いで分かり合うことは、不可能なのか!」


 ドサリ、と宙吊りにされていた体が落ちる。鶯王は激しく咳き込み、自分を見下ろす大牛蟹を見上げた。

 大牛蟹はニヤリと口角を吊り上げる。


「話し合いに、なんの意味がある? 周りを見てみろ。話に耳を傾けるような状況か?」

「それは……」


 明らかに、違う。

 周囲の状況を確認するまでもなく、皆が命のやり取りをし、土の臭いに血の臭いが混じっている。シンの姿も探してみるが、敵方への対応で手一杯なのか、鶯王の近くに姿が見付けられない。


(まさか、はぐれてしまうとは……)


 出発した頃には苦手意識を抱いていたけれど、溝口へ到着してからは信頼を寄せ始めていただけに、急に心細さが押し寄せる。


 いつの間にか、シンが一緒ならば、なにが起きてもなんとかなる、大丈夫だと思ってしまっていたらしい。キビツと顔を合わせた辺りから、シンとは意気投合し始めていた気もする。

 共通の敵、苦手、利害が一致して、足並みを揃えることができたのだ。


(私は、我が軍の総大将。気後れして負けてはならぬ)


 鶯王は自分に言い聞かせ、大牛蟹に意見する。


「貴殿も長(おさ)なら……ゴホッ、部下の命を失いたくはないのでは? っはぁ……はぁ、人的被害を最小で食い止める道を模索すべきと思う!」


 戦の音に声を掻き消されないように、途中に咳き込みや荒い呼吸が混じりながらも、自分の想いを大牛蟹にぶち当てた。

 大牛蟹は目を見開いて嗤う。


「ハハハッ! そんなもの、綺麗事だ」


 鶯王のすぐ脇の地面に、ゴッ! と鉄の棒が食い込む。鶯王自身に向けられていたなら、鎧の胴回りはグチャグチャになっていたかもしれない。肝が冷え、失禁しそうになる恐怖。


 でも、このままでは終われない。終わるわけにはいかないのだ。

 鶯王は、己の信念を口にする。


「綺麗事でなければ、理想ではない!」

「理想で、人の命が救えるか」

「救う!」


 鶯王が断言すると、大牛蟹は眉根を寄せた。


「私が政(まつりごと)を担うようになったら、理想とする国にしてみせる!」


 これまで考えたこともない、口からの出任せだ。


(なにを言っているんだ、私は……)


 政を担う以前に、まだ参加すらしていない。それなのに将来の展望を語るなど、大牛蟹が信じるはずもないだろう。


(終わりだ)


 次こそは、鉄の棒が鶯王の腹に食い込むに違いない。

 頭上から影が差す。

 鶯王は最後を悟り、ギュッと目を閉じた。


「面白いことを言うガキだ」


 フワリ、と体が持ち上がる。


「……っえ?」


 予想に反し、鶯王は大牛蟹の肩に、まるで荷物のように担がれていた。


(私は、連れ去られるのか?)


 戸惑っている間にも、引き上げだ! と大牛蟹の張り上げた声が鼓膜を震わせる。


(いや、ダメだ! このまま連れ去られるわけにもいかぬ)


 捕虜となっては、大王に迷惑をかけてしまう。交渉の材料にされては、恥の上塗りだ。


「くっ、降ろせ! 降ろすのだ!」


 大牛蟹の肩の上で暴れていると、盛大な舌打ちが聞こえた。


「うるさい」


 肩に担がれていた鶯王は子供のように両脇を抱えられ、体がヒラリと宙を舞う。


「少し寝ていろ」

「っう!」


 鎧越しにもかかわらず、鳩尾に食らった衝撃に、鶯王の意識は瞬く間に遠退いていった。

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