第37話 鬼きたる

 鶯王達が配されたのは、笹苞山(さすとやま)の麓近くだった。

 大王の陣からは遠く、本陣でなにかあったとしても、すぐに駆けつけられる距離ではない。だが反対に、敵襲があったときには真っ先に敵と対峙できる場所。

 鶯王達が軽んじられているのか、作戦による布陣なのか、卑屈になりそうだから考えることはやめにした。


 鶯王はシンと共に、麓から見える景色を眺めている。

 鶯王が暮らしていた場所とは違う、どこか荒々しい自然の景色が物珍しい。


 笹苞山と鬼住山の横を流れる川の幅は大きく、流れが速いのか、川中にゴロゴロと転がる大きな岩や石にぶつかり白い飛沫(しぶき)を上げている。

 日野川と呼ばれるこの川は、遥か海にまで続いているという。大雨の度に様相を変え、氾濫によって幾つもの村々が被害に遭うらしい。

 大神岳の麓に暮らす鶯王には、実感の湧かない出来事だ。


「この場所からは……川沿いにグルリと山向こうへ回らねば、大神岳は山が邪魔になって見えぬな」


 山に囲まれている溝口という土地では、空の見え方も違う。いつも眺めていた景色が見えないのは、どことなく寂しい。


「位置からして、ちょうど鬼住山が邪魔をしていますね」


 トゲのあるシンの言葉に、鶯王は眉をひそめる。


「おいシン、山に罪は無いぞ」

「分かっています。ですが軽口のひとつでも言わねば、気が紛れません」

「ん? もしや、苛立っているのか」


 行動を共にするようになってから、冷静沈着で合理的な判断をするシンの姿しか目にしたことがなかった。感情が分かりやすくなっている今のようなシンは珍しい。


「別に、そのような……」


 鶯王に指摘されたことが恥ずかしいのか、シンはバツが悪そうに口をモゴモゴとさせた。


「ははっ、珍しいこともあるものだ」


 鶯王は笑ったけれど、次第にその笑い声は溜め息に変わる。


「シンは、どう思う? 同じイヅモ族同士で戦をすること」

「キビツ様のおっしゃっていたことですか?」


 うむ、と頷けば、ひと呼吸置いてシンは答えた。


「致し方ないかと」


 鶯王の迷いを突き放すように、現実を突き付けるような静かで厳しい声。

 自分の言葉に揺るぎない自信を持っているシンとは対照的に、鶯王は肩を落とした。


「やはり、そうやって納得するしかないのであろうか?」

「鶯王様、戦場に迷いは禁物です。判断を鈍らせてしまう原因になりますよ」


 シンの責めるような言い方に、鶯王も少し苛立つ。


「分かっている! だが……同じイヅモ族だ。戦いに勝ち、成敗して、それで終わりとできるだろうか? 遺恨は残らぬか?」


 また水面下で戦力を整え、同じことの繰り返しにならないだろうか。


「そういった事柄は、大王がお考えになることでは?」

「私は、その大王の子。将来、同じ立場や状況になるやもしれぬ。そのとき、どんな判断を……どれが正しいと思えるのか、今の私では分からない」


 統率力も判断力も、なにもかも足りない。悔しくて、喉から手が出るくらい、自分に備わっていない力を欲している。


「なにを焦ってらっしゃる。当たり前ではありませんか。大王と鶯王様では、経験値が違います。もちろん、キビツ様ともです。鶯王様は、里の外に出たばかり。初めてなのです。兵を動かし、人心をまとめる技術も、これから実践を伴い身に付けていけばよいのです」

「でも……」


 煮え切らない鶯王に、シンは声を荒らげた。


「なんのために、このシンが、副将を勤めているとお思いですか!」


 鶯王は目を円くし、興奮に鼻の穴が広がっているシンを見上げた。こんなに感情を表に出すシンも珍しい。

 それだけ真剣に、鶯王を諭そうとしてくれているということだろう。


「すまぬ……少し、いや……かなり卑屈になっていた」

「まったくです。将の不安は、兵に伝わります」


 理解はしている、と拗ねた口調で言えば、シンの眉根が寄る。それには気付かぬふりをして、鶯王は問いかけた。


「シンは、同じイヅモ族同士で戦をすることに抵抗はないのか?」

「抵抗ですか? ありませんね」


 スパッと切れ味のいい刃物のようなシンの答え。一切の迷いが無い物言いは、妙に清々しい。


「同族での諍いなど、常に起こっていること。むしろ、ヤマト族の手を借りねば平定できぬことを恥だと思うべきです」


 身内の問題は身内で解決すべきだと、シンはそういう思考なのだろう。

 イヅモ族の諍いを平定してきた大王を父に持つ鶯王からしてみれば、大王は諍いを平定することでイヅモ族からの信頼を築き上げてきた。シンのような考え方をしている人からしてみれば、イヅモ族同士の諍いを陛下が利用していると思われていても不思議ではないのだろう。


 それぞれに思惑があるからか、事実を事実として素直に受け止められないからか、どうにも……いくつもの誤解が生じていそうだ。


「このシンが戦に参加したからには、大王やキビツ様の手を煩わすことなく、賊を退治してみせますよ」


 雲の流れが変わり、暗雲が立ち込めてきたせいで薄暗くなってきた空を見上げ、シンは静かに闘志を燃やす。握った拳には血管が浮かび上がり、力の強さを連想させた。


「敵襲だー!」


 どこからともなく聞こえてきた声に、鶯王とシンの体が素早く反応を示す。

 急いで鎧を身に着け、兵を引き連れて合戦の場へと向かった。

 すでに戦いの火蓋は切られており、乱戦状態だ。


(この中に、突入するのか……!)


 意に反して足が竦む。根が生えたように動けない。なんと情けないことだろう。


「鶯王様、怖気付いてはなりません!」

「あ……っ、おお!」


 シンに喝を入れられ、鶯王は気を引き締め直す。


「大牛蟹(おおうしがに)だ!」

「来たぞ!」


 大牛蟹といえば、敵方の首魁。

 敵の大将を成敗すれば、戦は終わるはずなのだ。


 鶯王は震える拳を握り締め、無理やり口角を上げる。押し寄せてきた不安と恐怖を誤魔化すための、ささやかな抵抗手段。だが不思議と、力がみなぎってくるようだ。

 上擦って震えそうな声を気合いで押しとどめ、鼓舞するように腹の底から大きな声を張り上げる。


「なんと運がいい! 大将のお目見えだぞ、シン」

「はい、武功を立てましょう!」

「うむ!」


 威勢のよいやり取りに背中を押され、両刃の剣を構える。


 ーーダンッ


 駆け出そうとした鶯王の目の前に、見上げるほどの大男が降ってきた。


 いや、高く跳ねて降りてきた。


 髪の毛はモジャモジャとした鳥の巣のようで、長い襟足はひとつに括っている。太い眉に、ギョロリとした鈍く輝く大きな目玉。露わになっている腕や足は筋肉で盛り上がり、カッチカチなのが見ただけで分かる。

 そして、手にしている武器は、丸太ほどもあるであろう鉄の棒。あの棒を頭上高くから振り下ろされれば、鶯王が手にする剣など、いとも容易くポキリと小枝のように折れてしまうのが目に見えている。


 鶯王の口から、ポロリと言葉が溢れた。


「鬼だ……」


 なにが、怪我をしたイヅモ族だ。なにが、異形だ。


 やはり、鬼は存在したじゃないか。

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