鬼退治

第35話 合流

 鬼住山(きずみやま)を見下ろすように、笹苞山(さすとやま)には大王軍の陣がある。

 鶯王達は麓から長い山道を登り、額に玉の汗を掻きながら、陛下の陣へ合流した。


 物々しい雰囲気ではあるが、どこか浮き足立っているような印象を受ける。

 聞くところによれば、首魁である大牛蟹(おおうしがに)の弟である乙牛蟹(おとうしがに)を地元のイヅモ族から差し入れられる笹団子で誘い出し、矢の雨を降らせて成敗できたらしい。

 残るは大牛蟹だけだと、軍の士気は上がっているようだ。


「それは、幸先がよい」


 鶯王が喜べば、副将として配されたシンという男が「いいえ」と否定してきた。


「ひと足遅かったと思うべきです。もう一日早く到着できていたなら、我らもその場に参加できていたはずなのですから」

「それは、そう……だな」


 鶯王は、妻木の頭領から信頼が厚いとされるこの男が、少し苦手だ。

 シンの向けてくる眼差しは真っ直ぐで、正面から見詰め返せば、その三白眼に睨まれているような気持ちになってくる。後ろめたいことがあるわけでもないのに、目を背けたくなるような威圧感を宿していた。


 年齢は鶯王より五つ上だと言っていたように思う。


 どうせなら、兄のように慕うことができるような者だったらよかったのにと、鶯王は少しだけ人選に不満があった。

 でも、仕方がないことだと理解はしている。陛下の息子という立場の鶯王が居なければ、きっと大将にはシンが据えられていただろう。


 それだけの能力が、シンにはある。


 鶯王が大将に据えられてはいるが、便宜上そうするほかになかったのだと、理解するほかない。実質、ずっと兵達を仕切っているのはシンなのだから。


 初めての戦場で、自分が率先して指揮をとらなくてもよいのは助かるが、少しだけ肩透かしをくらったような気にもなる。

 さらには出発してからというもの、気を使って声をかけてくれる者は居らず、気を抜いて雑談をしてくれる者も一人として居ない。腫れ物にというより、扱いが困る相手にするような対応をされては、どんどん嫌な気持ちが蓄積されていくというものだ。


 苦手意識を抱いていても、裏表がなく鶯王に対して自分の考えをズバッと言い切るシンという男は案外いいヤツなのかもしれないと、想いをすり替えてしまうくらいには人との会話に飢えていた。


「さぁ、大王の元へご挨拶に伺いましょう」

「うむ」


 シンに促され、鶯王は足を動かす。


「緊張されていますか?」


 問い掛けてきたシンに、頷いて応える。


「何年も会っていないとはいえ、大王は鶯王様の父君です。堂々としていてください」

「そうだな」


 言い方はキツくとも、同情されるよりはいい。

 鶯王はドキドキとうるさい心臓を意識しながらも、堂々たる態度を心がける。


 兵に案内され、陣幕が張り巡らされている大王の元へと到着した。

 久々となる父子の再会。

 鶯王には、ほとんど父である大王の記憶が残っていない。


(父君は、私が息子だと認識してくれるだろうか)


 一抹の不安を胸に、案内された先に座す人物に膝まづいて頭を垂れた。


「おお、鶯王か」


 初めて認識する父親の声は、低く耳に心地がよい。

 鶯王は、「はい!」と元気に答え、さらに深く頭を垂れた。


(父君が、目の前に居られる……!)


 感動に興奮しているのか、全身が熱くなる。体中の血液が興奮に煮えたぎっているかのようだ。


「どれ、顔を上げてみよ」


 言われるままに、鶯王は面を上げる。

 目に飛び込んできたのは、黒々とした長い髭。向けられている眼差しは、慈愛に満ちている。


(これが、私の父君……)


 戦の場においても、煌びやかな装飾を身につけ、威厳を忘れていない。ただ、少しやつれているようにも見受けられるが、普段の大王を知らないから、お顔の色が優れぬようですが……などとは、思っていても口には出せない。


「鶯王にございます。父君……お会いしとうございました」

「あぁ、大きくなった。もう十二か……月日が経つのは早く、憎らしいものだな。そなたの成長過程を見届けること叶わず、悔しいところだ」


 大王の言葉を聞き、鶯王は驚きに目を円くする。


「なんだ? いかがした」


 大王は鶯王の変化を敏感に察知した。鶯王は慌てて言葉を紡ぐ。


「あ、いぇ……。父君がそのように申されたら、存分に悔しがるがよいと伝えるのですと、母君から言付かっていたのですが……その……」


 鶯王の言葉を聞き、大王は少しだけ目を見開くも、すぐさま破顔した。


「はっは! さすがはアサギじゃ。我のことなど、お見通しということか」


 大王の瞳に、懐かしさが宿る。


「そなたの母は、息災か?」

「はい。出立前には、昔に語った父君と母君の夢の話を聞かせてくれました」


「夢の話?」


「そうです。イヅモ族でもヤマト族でも共に生きて共に栄えることができ、子供が安心して笑って暮らせる世を作りたいのだと。微力ながら、私もその夢の実現に尽力させていただきます!」

「そうか……」


 覚えていてくれたか、と大王は微笑を浮かべた。

 鶯王は大王が浮かべた微笑を目にし、胸に嬉しさが灯る。父と母が同じ夢で、今もきちんと繋がっていたことが、この上なく嬉しい。


「今日のところは、ゆっくりと休め。現在のところは膠着状態だが、いつなんどき動きに変化があるか分からぬ」

「承知致しました」


 返事をした鶯王に頷き、大王は「キビツ」と名を呼ぶ。どこからか、鶯王と年齢が変わらないように見える少年が現れた。


「お呼びでしょうか?」

「あぁ、我が皇子(みこ)の鶯王だ。今しがた到着した。今年で十二になる。そなたと齢も近い。なにかあれば、気にかけてやってくれ」


 キビツは鶯王を一瞥し、承知致しました、と大王に頭を下げる。


「鶯王。この者は、崩御した我が兄の息子だ。今年で十五になる。そなたの従兄弟だ。先の戦では見事に兵を率いて海賊を倒し、瀬戸内海に安寧をもたらすのに一役買った人物だ。なにか分からぬことがあれば、兄のように頼るがよい」

(従兄弟……)


 よもや、そのような存在と出会えるだなんて、夢にも思わなかった。

 兄のような存在に、胸がときめく。


「キビツ様……鶯王です。宜しくお願い致します!」

「まるで、尻尾を振る子犬のようだ」


 呟かれた言葉に「えっ?」と固まる鶯王。キビツはニコリと口元だけの笑みを浮かべた。


「可愛らしいという意味だ。どうぞ宜しく」


 少しだけ漂う不穏な空気に、大王の眉がひそめられる。大王の変化を察知し、キビツはおどけたように肩を竦めた。場の空気を和らげようとおどけてみせる。


「だぁい丈夫ですって〜! 仲良くしますよ。安心してください。なんてったって、大王の大事な皇子様なんですから」

(なんだろう。言葉の端々に嫌味なトゲを感じる……)


 キビツは仲良くしますと言っているけれど、鶯王には、仲良くできる自信が早々に喪失してしまっていた。

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