第34話 夢語り
母の不安と心配をよそに、初陣が目前となった鶯王は鍛錬に余念がない。
戦に出るのは誉(ほま)れとでも思っているのだろう。戦のため帰って来ない父である大王に対する憧れもあるのだろうが、アサギの気分は重くて複雑だ。
一番の気掛かりは、鶯王がなんのための戦であると理解しているのか、ということだった。
そこを解っていなければ、戦場で心にかかる負担は計り知れない。
アサギも、幼い頃に遭遇した村同士の小規模な諍いで、見るに堪えない惨状を目の当たりにしたことがあった。しばらく夢にうなされたことは、大人になった今でも記憶に残っている。
実際に武器を手にして敵方の人間を前に戦い合わねばならない状況なら、夢にうなされるどころの心理的負担ではないだろう。
十二歳になったとはいえ、アサギにとっては、まだまだ子供なのだ。
「鶯王」
ひと通りの鍛錬が終わった頃合を見計らって声をかける。
鶯王は「はい!」と気持ちのいい、ハキハキとした返事をし、アサギの元へ駆け寄って来た。
浮かべている笑顔には、いまだあどけない幼さが残る。初めて笑うようになった頃の記憶と重なり、目頭が熱くなってしまった。
アサギは無理やり口角を引き上げ、目頭の熱さを封じ込める。平静を装い、我が子に語り掛けた。
「いよいよですね」
「はい! 総大将の任を必ず果たしてみせます。私の活躍を楽しみにしていてください」
鶯王は、ムンッ! と鼻息を荒くする。
アサギは、自身の活躍を信じて疑わない鶯王の両肩に手を置き、キラキラとした輝きを宿す瞳を真剣な眼差しで覗き込んだ。
「鶯王。貴方の父君の……夢を知っていますか?」
鶯王はパチクリと瞬きし、記憶の詮索をするも小首を傾げる。
「存じ上げません」
アサギは頷き、脳の引き出しにしまい込んでいた遠い記憶を呼び起こす。
「母が父君の元へ嫁いで来たときに、話してくれたことがあります。父君はヤマト族。母はイヅモ族。鶯王が暮らすこの地は、イヅモ族の国です。現在のこの地は、ヤマト族の父君やクワシ姫様といったヤマト族の方々と一緒に治めています。夫婦になったばかりの頃は、イヅモ族同士の小競り合いや諍いを平定するために、父君は尽力され、穏やかな国造りに邁進していました。それまで、この地でイヅモ族対ヤマト族の戦は起きていなかったのです」
ですが……と口にすれば、ジワジワと胸中に嫌な感情が広がっていく。
思い出したくない出来事。でも、忘れることはできない出来事。思い出す度に胃の腑が焼かれるような感覚が広がり、叫び出したい衝動に駆られてしまう出来事。
芽吹いた衝動を吐き捨てるように小さく息を吐き、覚悟を決めて続きを話す。
「ある出来事をきっかけに、イヅモ族とヤマト族の間に……諍いが生じてしまったのです。その出来事が発端となった戦が十年近く経った今もなお続き、貴方の初陣となってしまいました」
アサギの脳裏には、二人の幼馴染みの顔が浮かぶ。互いに大王の妻となる前の、一番楽しかった頃の笑みが蘇ってきた。
なんの因果か、運命の糸の掛け違いか……もう会えなくなってしまった二人。
夢にさえも出てきてくれず、親しく語り合っていた頃が幻だったのかとさえ感じてしまう。
鶯王は、発端となった出来事を知らない。
アサギ自身が触れてはならない禁忌であると思ってしまっているから、話して聞かせる機会も無かったのだ。
(私は、二人のことを話すべきなのかしら……)
アサギが語らなければ、あの二人の存在は無かったことになってしまうのだろうか。皆の記憶からも消え、あの二人が歩いた人生も抱えた苦しみもなにもかも、忘れ去られてしまうだろう。アサギは、二人の幼馴染みが歩んだ人生を……仕方がないという言葉ひとつで片付けてしまいたくない。
(もう少し大きくなったら、そのときに語り伝えてもいい……かもしれないわね)
鶯王に話すのは、今じゃない。戦で活躍することを信じて疑わない、希望に満ち溢れている子に、わざわざ語って聞かせるような内容ではないのだ。
「母君、そのように悲しそうな顔をしないでください……」
「あぁ、顔に出てしまっていましたか……」
ごめんなさい、とアサギは苦笑を浮かべる。
鶯王には、アサギの中にある葛藤がなんなのか、知る由もない。
(知らぬ幸せもあるわよね……)
決して、二人を蔑(ないがし)ろにしているのではないと、心の中で言い訳する。
アサギは、鶯王の頬に手を添えた。
「鶯王……貴方は、希望の子なのです。イヅモ族とヤマト族が、夫婦となり……家族となって、生まれてきた梯(かけはし)の皇子(みこ)。貴方の父君は、鶯王のように父と母の部族が違っても、仲良く笑って過ごし、家族として営んでいけると証明したい。お互いの風習や文化を守り、尊重し合うことで共存し、ひとつの国となっていくこと。そして戦を無くし、子供が安心して笑って暮らせる世の中にしたいのだと……熱く語っていたのです」
「父君には、そのような夢がおありだったのですね」
自らの父が叶えようとしている夢を初めて聞き、鶯王はさらに瞳を輝かせる。
夢の一翼を担うことができる喜びに、希望を感じているのかもしれない。
「父君は、今も昔も変わりません。大王という立場になられ、より夢へ向かって邁進してらっしゃいます。それなのに……」
現実は、大王とアサギの夢へ近付くのではなく、どんどん遠のいてしまっている。
それを妻木の頭領のせいだと責め立てる気持ちと、あの二人が死ななければと恨めしく思ってしまう気持ちが、アサギの中に共存していた。
あの二人のせいにはしたくない。頭領のせいだと、責任の矛先を何度も修正し、二人に対する恨めしさを隠そうと躍起になっているのだ。
(私は、なんて心が醜いのだろう……)
誰かのせいにしなければ、自身の平安を保っていられないなんて。
恥ずかしくて、誰にも見せられない胸の内。
せめて、発する言葉だけは、美しく見せたい。
でも……言葉は本心であるのに、後ろめたさを隠しているという一点の負い目があるだけで、語る言の葉も嘘くさくなってしまうのが虚しく思えて仕方がなかった。
それでもアサギは、夢を希望に変えて口にする。
「無理なことは理解しています。けれど……それぞれの落とし所を見付け、話し合いで解決することができたならば……流れずともよい血があるのではと、甘い考えの母は思ってしまうのです」
「甘いかもしれませぬが、理想ではあります! 私も、そうあればいいと思います」
鶯王の曇りなき眼(まなこ)が、アサギには眩しい。
(こんな母なのに、素直な子が育ったものね……)
アサギは鶯王に、首を横に振って応える。
「母の戯言と、聞き流しなさい。気に留めてはなりません。いいですね」
「母君……?」
鶯王はアサギの真意が分からず、戸惑っているようだ。アサギ自身、自分の本心が明瞭に分からないのだから、鶯王に理解できるはずもないだろう。
ただひとつ、悩んでばかりいるアサギにも確実に確信を持てていることは、大事な我が子を本当は戦場へ向かわせたくないという親心。
「行ってらっしゃい。母は、貴方の武運を願っています」
鶯王の心を残さないように、理想の母を演じるべく、精一杯の慈愛を込めた笑みを浮かべてみせた。
そして、それから……とアサギは意地悪な笑みを浮かべる。
「もし父君が、そなたの成長を見届けることができなかったと申されたなら、存分に悔しがるがよいと母が言っていたと伝えなさい」
イヅモ族の王家へ釈明をしなければと言っていたが、けっきょくそのまま戦になだれ込んでしまい、大王はほとんど鶯王と一緒に暮らせなかった。生まれたときと、一歳になった頃の溺愛ぶりを思えば、様々な成長の可愛さを目の当たりにしたかったに違いない。
「母君は父君に、意地悪を申されるのですか?」
「そうです。二人だけの内緒話をしましょう」
アサギは鶯王と頭を引っつけ、鶯王にだけ聞こえる声で囁く。
「母は、父君に会えず寂しいのです。それくらいの意地悪は許されてもいいでしょう?」
理由を聞き、鶯王は目を円くする。そして「なるほど」と、大王によく似た苦笑を浮かべたのだった。
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