第21話 諦めと覚悟と励ましと
チヨが遣る瀬無い気持ちを落ち着かせるために外を歩いていると、道の先からマツが歩いてくる姿が目に留まる。
(あれ? 家に帰ったんじゃなかったの?)
疑問を胸に抱きながら、トボトボと歩くマツの元へ向かった。妙に思い詰めた表情で、見方を変えれば地面を睨んでいるようにも見える。チヨの気配に気付いていないのか、待てどもマツの顔はこちらを向かない。
いつもは背中を向けていても誰が来たか当てるくらい気配に敏感なのに、珍しいこともあるものだ。
「マツちゃん」
遠慮気味に声をかけると、地面に向けられていた視線がチヨを捉える。
驚きに見開かれた目はそのままに、マツの顔には安堵の笑みが広がっていった。
「気付かないなんて、珍しいね。どうしたの?」
問えば、マツの顔に緊張が覗く。瞬きを何度も繰り返し、神妙な面持ちでチヨの名を呼んだ。その声も、ひどく落ち込んでいる。
「チヨちゃんと話がしたくて、家に向かっていたところだったの」
「話したいこと?」
マツが話したいこととは、なんだろう。
真っ先に浮かんだのは、頭領に対する愚痴。次に浮かんだのは、側室という立場について。
心当たりは、それくらいだ。
マツは周囲を伺っている。チヨも頭を巡らせてみた。
人の姿は確認できないけれど、民家はすぐ近くに何戸もある。
マツはチヨの耳元に顔を寄せ、声をひそめた。
「ちょっと、落ち着いて……人が来ない場所で話がしたいわ」
マツは、ずっと思い詰めた表情のままである。きっと、チヨに話したいことが原因で悩み、心がざわめいているのだろう。いつも落ち着いて確実に仕事をソツなくこなしていくマツの胸中は、不安に、焦燥に、動揺……それらの感情が綯(な)い交ぜになっているようだ。
珍しいこともあるなぁ、と思いつつ、場所はどこがいいか考えを巡らせる。
「そうね……だったら、丘の上はどうかしら? 少し歩くけど、今からなら日暮れが近くなるし、誰も居ないと思うわ」
チヨの提案に、マツは頷く。
「でも、いいの? お家の人達は?」
「いいの、いいのよ。あんな人達」
チヨの気持ちを汲んでくれない家族なんて、居ても居なくても同じだ。
会話も無く二人並んで歩き、道端で誰と擦れ違うことなく目的地に辿り着く。
丘の上から眺める景色は優大だ。遠くに海原。白い砂浜。緑の木々。そして、竪穴式の民家が建ち並ぶ。
煙が立ち上っていることから、どの家庭も食事の準備を進めているのだと見受けられた。
「それで……マツちゃんの話って?」
チヨに呼びかけられ、マツはプツリプツリと草をちぎっていた手を止める。心を落ち着かせるために無心でちぎっていたのだろう。マツの足元には、力任せにちぎられた草が山積みになっていた。
「チヨちゃんは、アサギちゃんに……なんて説明したらいいと思う? 私、ずっと考えてたんだけど、なにも思い浮かばなくて……」
「なんてもなにも……ありのままを伝えるしかないわ」
頭領に指示され、皇子の側室になるのだと。
それにきっと、すでにアサギの耳にも入っているだろう。
アサギがどんな気持ちになっているのか、想像すると胸が苦しくなってくる。けれど、チヨやマツの意思ではない。チヨもマツも、なんの前触れもなく頭領から突然聞かされ、寝耳に水だったのだ。アサギにとっても、そうだろう。きっと同じだ。
アサギは穏やかに受け入れてくれているだろうか。苦悩に、打ちひしがれていないだろうか……。アサギの性格なら、どちらも有り得る話だ。
意外にも……と言うか、案の定。マツも、この手の話は苦手である。男性と気安く接することなく、好意的に話しかけられても鉄壁の女で通しているのは、異性に不慣れで弱い自分を守るための仮面を着けて演じているからだろう。
マツは、考えすぎなのだ。頭でっかちになってしまっているとチヨは思う。
マツはプツリと草をちぎった。
「顔を合わせたら、お互いに気まずくなったりしないかしら?」
「気まずくなったとしても、与えられた任務と思って遂行するしかないわ」
頭領はイズモ族の娘との間に、皇子と血の繋がりがある子を増やそうとしている。ヤマト族との繋がりを強くして、絆か協力関係か、なにかを深めようと目論んでいるのだろう。
白羽の矢が立ったのがマツとチヨなのだから、知らない誰かよりはマシと納得するべきかもしれない。
(でも……知らない人のほうが後腐れもなにもなくて、いいわよね)
チヨだって、幼馴染みのアサギと気まずくなるのは嫌だ。
だけど、これは与えられた好機とも受け取れる。
側室だろうと、第二、第三夫人であろうとも、伴侶を得たことに違いはない。結婚相手を探していたチヨにしてみれば、願ってもない幸運だ。
「でも……」
マツの煮え切らない態度に、チヨはまたイライラがかま首をもたげる。
「もう! いつものマツちゃんらしくないわね。なんでそんなに、なにをそんなにウジウジ考えているの? 頭領に命じられたんだから、やるしかないでしょ!」
強まる語気に、苛立ちを察知させてしまったのだろう。マツは、チヨとの間に気持ちの壁を作ったみたいだ。殻に閉じこもるように、いつもシャンと伸びている背中が丸くなる。
「それは、そうだけど……あの二人を見てきたでしょ?」
「うん」
見てきた。チヨだって、徐々に心の距離を縮めていったアサギと皇子を見守ってきた。なぜなら、二人の仲を円満にすることが仕事のひとつだったから。
けれど、次に与えられた仕事は違う。
どれだけアサギと皇子が想い合っていようと、チヨは皇子の側室となり子を成さなければならない。それが、新たなチヨの仕事なのだから。いつまでもウジウジとこだわらず、さっさと気持ちを切り替えるべきだ。
それができなければ、頭領からの命令は果たせない。
「マツちゃん……。もう、腹をくくろう。それで、アサギちゃんには一緒に言いに行こ? 話しにくかったら、私が話すよ。いつもマツちゃんには、助けてもらっているし」
ね? と励ますように背中に手を添え、マツの顔を覗き込む。
頭では理解できても、心が納得できていないのだろう。いまだにマツは、踏ん切りがつかない複雑な表情を浮かべていた。
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