第7話 稲穂摘み
プツリプツリと、手の平に収まる大きさの石包丁で摘んだ稲を腰に携える籠の中へ入れていく。
長い時間同じ姿勢で作業していると、だんだん腰が重だるくなってきた。少し腰を屈める程度なのに、やはりかかる負担はあるようだ。アサギは両手を広げ、グググ〜ッと大きく伸びをした。
見上げた空は抜けるように蒼く、イワシの群れのような雲が泳いでいる。降り注ぐ日差しも心做しか黄色味を帯び、全てが秋色に染まっていた。
じんわりと汗が浮かぶ額に、吹く風が心地よい。
「いいお天気……」
アサギは深く息を吸い込み、秋の香りを胸いっぱいに嗅ぐ。
実りの季節はどこか落ち着かず、ソワソワしてしまうのはなぜだろう。寒い季節に向けて、冬ごもりをする準備に追われるからだろうか。
マツとチヨには反対されたが、皇子の承諾を得て、アサギは都近くのイヅモ族の村人達に混ざって米の収穫を手伝っていた。頭を垂れている稲穂は、だいぶ刈り取られている。朝から作業を開始して、もうすぐ夕方になるけれど、日が暮れるまでには終わりそうだ。
「お疲れが出ませんか?」
一緒に稲刈りをしている同年代の女性に声をかけられ、笑顔で頷く。
「ええ、お気遣いありがとう。大丈夫よ」
肩を回して、また稲穂に集中する。ふふっと、笑う気配が伝わってきた。顔を上げると、女性はクスクスと笑っている。
「アサギ様は、変わったお人ですね」
「そうかしら?」
女性の言葉に、疑問で返す。
「皇子様のお后になられる方は、泥に塗(まみ)れないと思っていたから」
「あぁ……そういう印象は、私にもあるわ」
お后という立場になる人は、そういう人格なんじゃないかと勝手な思い込みを抱いてしまう。そういう人に出会ったことがないから、実際は知らないし分からないのだけど……。お高くとまっている印象がある。
「他のお后という立場の人がどういうのか分からないんだけど、私はみんなと一緒に、こうしているほうが楽しいの」
なにより、暇が苦手だった。時間を持て余していると、機織りでもなんでも、できることを探してしまう。
元来、母と一緒に仕事ばかりしていたから、じっと動かずなにもしないことに慣れていないのだ。
しかも、夫は長らく訪ねてこない。
皇子は諍いが起きたと知らせがくれば、兵を率いて平定に行く。忙しく、あちらこちらを飛び回っているのだ。
夫婦の時間など、持てたものじゃない。だから、アサギは随分と拍子抜けしていた。
(仲睦まじくとか言っておきながら、全然居ないじゃないのよ)
最後に会ったのは、いつだろう。もう皇子の顔も忘れてしまいそうだ。
「アサギ様〜! 見てぇ! こんなに採れた」
「僕のも見て!」
「私のも〜!」
駆けてきた子供達に笑みを向け、どれどれ〜? と、手の中を覗く仕草をする。
可愛く小さな手の中には、たくさんのどんぐり。
「わ〜! たくさんだね」
驚いてみせると、子供達はニカーッと満面の笑みを浮かべた。
(どうしよう。可愛い……!)
まだ十にも満たない子供達が、小さくて動きも愉快で、なんとも微笑ましい。
「粉にして生地を作って、焼いて食べるんだ!」
「いいわね〜! きっと美味しいわよ」
「アサギ様にも分けてあげるね」
「ありがとう。楽しみにしているわ」
キャッキャと駆けていく子供達の背中を笑顔で見送っていると、マツがやって来た。
「アサギ様。そろそろお戻りを。暗くなってしまいます」
「え〜。もうちょっと……」
「いけません!」
「もぅ。マツのいけず」
ぷぃと拗ねれば、先程声をかけてくれた女性に笑われた。
「大丈夫ですよ、アサギ様。お后様のお仕事もあるでしょうし……助かりました」
そうは言われても、このあと待っているのは夕食(ゆうげ)だ。せっかくの料理も冷めてしまっては作ってくれた人に対して申し訳が立たないから、帰らねばとは思う。けれど、ここまでしたら最後までやり遂げたかった。
それに、もしかしたら絶好の機会かもしれないのだ。
アサギは、稲穂を摘む作業に戻った女性を一瞥する。視線を感じ取ってか、女性は顔を上げた。
アサギは意を決し、女性に歩み寄って行く。
「少し、尋ねてもいいかしら?」
「はい……なんでしょう?」
女性は、なにを尋ねられるのかと、不思議そうな表情を浮かべている。
「貴女は皇子を……この地に干渉……じゃなくて、えっと、統治してくるヤマト族のことをどのように思っているの?」
予想外の質問だったのか、女性は目をパチクリと瞬かせた。
ここまで豊作に恵まれるのは、お天道様や雨のお陰もあるけれど、戦などの人的被害や獣の被害が少ないからだ。
村を守るように木の柵が巡らされ、出入口には門番が常に立っている。手にしているのは、ヤマトから持って来られた武器。今まで使っていた代物と比べて、強度もなにもかも増している。
他からの侵略が無いのは、豊作の要因の一つだとアサギは思う。
(やっぱり……少し、答えにくい質問だったかしら?)
尋ねる内容を間違えたかもしれない。そういう環境が当たり前になっていては、疑問もなにも無いだろう。
おかしな事を聞いて悪かったと謝ろうとしたところ、女性は「そうですね……」と呟く。
「ヤマト族の皇子様が来てくれてから、近隣からの強奪が無くなったんです。初めの頃は略奪をする目的で攻めて来てたんですけど、皇子達ヤマト族のお陰で、全然相手になってなくて。赤子の手を捻るようにと言いますか……蜘蛛の子を散らすように撃退してしまわれたんです」
それはもう……感謝しています、と女性は笑みを浮かべた。
(あぁ……やはり、そうなんだ)
皇子達ヤマト族は、イヅモ族の民に受け入れられている。
外からの侵略に対峙してくれるのだから、なにも助けてくれない同族の王よりは大歓迎なのだろう。侵略されて不自由な生活を送るのではなく、外からの武力攻撃から守ってもらって穏やかな生活ができるのなら、断然今のほうがいい。
イヅモ族とヤマト族が共に暮らしていくことを目標に掲げている皇子は、現に今日も傘下に下ってくれた近隣の村を守るために進軍している。
いつも皇子が不在なのは、イヅモ族の村でも、ヤマト族の皇子に傾向している集落が多いからなのだろう。
想像していたよりも多くの集落が皇子達ヤマト族を頼りにしていると知り、認識が一変させられた。
守ってくれない族長より、守ってくれる他の族長が慕われるのは、仕方がないか。
「そう思っているのは、貴女だけ?」
「いえ、この村の人達みんなが思っているはずですよ」
女性が浮かべているにこやかな微笑みが、嘘偽りではないと如実に伝えている。
「ありがとう。夫である皇子様が慕われていると知れて、とても嬉しいわ」
アサギは半分本音で残りは建前の感謝を述べ、片付けを始めた。痺れを切らしそうなマツに、形だけでも自分の行動を示しておかなければ、大きな雷が落ちてくるかもしれない。
田んぼから出て衣服に付着した細かなゴミを払っていると、遠くからチヨの声が聞こえてきた。
「チヨってば、どうしたのかしら?」
「なんでしょう。やけに慌てていますね」
マツと顔を見合わせ、息を切らせて到着したチヨを迎え入れる。
「大丈夫? いったい、どうしたって言うのよ」
ハァハァと、なかなかチヨの呼吸は整わない。それだけ全速力で駆けつけてくれたのなら、急ぎのなにかがあるはずだ。
逸る気持ちはあるものの、あえて急かさず、チヨの呼吸が整うのをじっと待つ。チヨは「はあ!」と大きく息を吸って吐くと、口の中に溜まっていた唾を飲み込んだ。
「妻木から、遣いがありました。至急の知らせで……」
「知らせって、なんなの?」
アサギが優しく問うと、チヨは唇をワナワナと震わせた。
「小母さんが……アサギ様のお母様が、怪我をして動けなくなってしまわれたそうです……っ!」
「えっ! お母さんが?」
アサギは、動揺が隠せない。
(ヤダ……どうしよう)
今すぐ、傍に駆けつけたい。
(でも、それは……許されることなのかしら?)
肝心なときに、判断を仰ぎたい皇子が居ない。
(どうしよう……お母さん!)
アサギは誰を頼りにすればいいのか、咄嗟に判断ができなかった。
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