第3話 皇子と対面

 皇子の名は、ササキヨアリフクノミコトというそうだ。

 皇位継承は第二位に当たり、現在のヤマト族の王……天皇は兄らしい。なんと、王位にかなり近い人物だった。


(なんで……そんなに位が上の人が、伯耆国まで来たのかしら?)


 ヤマト族にとっては、イヅモ族が暮らすこんな辺鄙な地が、とても重要で放っておけない場所なのだろうか。

 海も近くて山もあり、海の幸にも山の幸にも恵まれていて食べ物は豊富だ。春は暖かく、夏は暑く、秋にはまた気候が過ごしやすくなり、冬には雪が降って寒い。それは、ヤマトの地でも同じではなかろうか。

 アサギは自分が住む地域のことしか知らないけれど、海を渡り、山を越えて行けば国が続いていることくらい知っている。

 同盟を結んでいる部族とも、様々な物資を交換したりもしているのだ。

 物が行き交い、人々の交流がある。これで、命を奪い合う争い事さえなければ、どれだけいいか。

 そんなことを考えながら、アサギは二度目となる床の感触を指先で確認した。

 妻木の里でアサギが寝泊まりしていた家は、地面を掘り、木を組み立てて藁で壁を作った円錐形の建造物だった。煙が逃げるように空気孔はあるけれど、太陽が昇っている間は藁の隙間から入る少しの日差しだけしか光源が無くて薄暗い。火を使わなければ、中はとてもヒンヤリとしている。

 下は地面が剥き出しだから、座ったり寝る場所には藁を編んだ茣蓙を敷いていた。

 だから、地面とは違う踏み心地の床が新鮮で、なんとも不思議な感覚だ。

 アサギが暮らしていた村には、床がある建物は一つしかない。それは、政を行うための話し合いが開かれる場所。頭領に呼ばれて初めて足を踏み入れたあの場所が、村にある唯一の館だった。

 でも、皇子の屋敷は比じゃない。

 大きな屋敷には、何人もの人が忙しそうに動いている。それぞれに持ち場や役回りがあるみたいだから、もしかしたら、ここで働いている人達なのだろう。

 これだけの物を建てるのに、何年の月日と何十……何百人の人手が必要だったのか。

 まるでヤマト族の実力と権力を見せつけられている気分になる。


「妻木のアサギ。面を上げよ」


 アサギに向けてかけられた言葉に、遠くへ行っていた意識を引き戻す。

アサギは伏せたたままだった頭をゆっくり持ち上げた。乗せられた冠の装飾が揺れ、不慣れな上質の着物は動きに合わせて衣擦れの音を鳴らす。

 アサギの瞳が正面を見据えれば、周囲からは「おぉ……」と少しだけどよめきが生じた。


「ほぅ、噂に違わず……美しい娘だ」


 発せられた声により、場が静まる。

 声の主は、アサギの正面に座し、一段高い位置に居る人物だ。

 長い髪を髻(みずら)に結い、勾玉と管玉が連なる三連の首飾りを身に付ける若い男。若いといっても、アサギよりは年上だということは分かる。


(あれが……皇子様?)


 アサギは目を見張った。

 皇子はアサギが囲まれて育ってきた人達と比べると、人種というのか、顔の造形が異なっている。どこかのっぺりとしていて、彫りが深くない。けれど、眉目や鼻口の配置はいい。でも、顎に薄らと生やされている髭は無くてもいいとアサギは思った。


「名は、アサギと言ったな」

「はい。以後、お見知り置きを」


 両手をついて頭を下げると、ふっ、と皇子が笑う気配がする。


「これから夫婦(めおと)になるのだ。見知り置きもなにもなかろう」


 社交辞令です、と心の中で応じながら、アサギはニコリと笑みを浮かべる。こうしておけば、相手は勝手に笑顔の意味を解釈して納得してくれるのだ。

 勘違いをする人には、させておけばいい。口ではなにも言わず、アサギはただ笑んだだけなのだから。

 皇子は一瞬だけ視線を鋭くするも、表情を和らげる。すっくと立ち上がり、アサギの元へ歩み寄ってきた。

 アサギの前で屈むと、視線が交錯する。

 鼓動が速まるのは、緊張からか、目の前に夫となる男が居るからか。

 視線から逃れるように目を伏せれば、皇子の笑う気配がした。


「そなたのような娘は、嫌いじゃない。仲良くできそうだ」


 アサギの頬をスルリとひと撫でし、「宜しくな」と、アマテラス大御神から続く血筋の男は微笑んだ。

 

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