第2話 心の準備

 アサギは、初めて袖を通すことになっている着物をまじまじと眺めていた。

 いつも麻で編んだ貫頭衣した着ていないのだから、頭の中で思い描く女神が着るような……袖が長い着物は、馴染みがない。そして勾玉と管玉が連なる首飾り。さらに冠と耳飾りまである。

 これら全て、皇子の妻になるアサギを装飾するための代物だ。


「重たそう……」


 ゴテゴテに着飾ることに興味がない身からしたら、装飾品の全てが無用に思える。

 少しばかりなら、身につけると気分がウキウキとしてくるけれど、過ぎればお荷物だと思ってしまう。この中から選んでいいのであれば、首飾りだけで十分だ。

 妻木を出発して、都に到着したのは昨日の夕刻。入り組んだ山道を通り、原っぱを歩き、獣が使っているのではと思わしき獣道も歩いた。

 途中にあった集落で泊まらせてもらったりもしたし、野営もした。

 妻木を経って数日の道のりだったが、終わりが見えないような気がしたものだ。

 でも、アサギより大変だったのは、護衛についた者達や荷物を運ぶ者達だろう。

 必要だったのは、アサギの身一つだけではない。貢ぎ物から輿入れに必要な品々がズラリと列をなしていた。

 無事に到着したのは、道中で祈りを捧げてくれた巫女のお陰だろう。

 感謝を述べても、これが仕事だからと謙遜するばかり。謙虚なのはいいことだが、謙遜して低姿勢すぎるのは、アサギが抱いた素直な気持ちを否定されたような気分になって心持ちがよくない。

 心からの賞賛は、素直に受け止めるべきだと思う。

 今朝は巫女と、身の回りの世話をしてくれるマツとチヨという侍女に手伝ってもらいながら禊をして身を浄めた。昼前には皇子に挨拶する予定になっている。


「さぁアサギ姫、こちらへ」


 チヨに促され、アサギは不満を露わにしながら立ち上がった。


「もう……姫などという柄ではないのに」


 アサギが辟易していると、着物を手にしたマツが「自覚を持ってください」と小言を言いながら近づいてくる。


「わざわざ頭領の養女という扱いをされ、王族の血縁という身分を与えられたのですよ」


 マツに続き、チヨも釘を刺す。


「そうですよ。それに、姫は皇子の正妻となられるのです。言動や行動には、くれぐれもご注意くださいませ」


 そうは言っても、一週間やそこらで自覚が芽生えるものか。


「あら? お返事がございませんね」

「……努力はしてみるわ」


 ふてぶてしい態度を取るも、アサギの返答を聞いたマツは「宜しい」と満足そうな笑みを浮かべた。


「あぁ、本当に姫様の肌は白くて……どんな衣装でも映えますわ」


 惚れ惚れとするチヨの物言いに、アサギは少しむくれる。


「これでも、ちゃんと外で仕事はしていたのよ」


 みんなと同じように。

 朝早く日の出と共に起きて、木の実や果物を集め、海辺でワカメや貝を採り、田畑を耕した。土器だって作っていたし、できることはなんだってやったのだ。

 それなのに、日に焼けない。人と比べて、肌は白いままだった。

 色白であると褒められると、怠け者で働きもしなかったと揶揄されているようで、嫌な気持ちになる。自分の心からの賞賛が否定されるのは嫌だと思うのに、自分に向けられた賞賛は否定して受け取らないのだから、虫のいい話だ。

 着物を綺麗に着付けてもらい終わると、今度は髪に顔。御髪を整えてもらいながら、顔面に化粧を施されていく。

 なるようになれと、半ばヤケクソのような気持ちになってきた。


「さぁ、完成です!」

「あぁ〜! なんとお美しいことでしょう」


 満足そうにしている二人に、アサギは微笑む。


「貴女達の腕がいいからよ」


 マツとチヨは互いに両手を握り合い、たまらん……というように恍惚な表情を浮かべた。


「あぁ……女神だわ」

「私達が作り上げた女神様よ」

「もぅ、大袈裟ね」


 呆れるアサギを気にも留めず、二人は互いに向き合い何度も頷いている。


「これで惚れない皇子様なら、縁談なんて流れてしまえばいいのよ」

「そうよね。アサギ姫の美しさが理解できない殿方は、目玉が腐っているに違いないわ」

「ちょっと、言い過ぎよ……」


 正妻になるという自覚を持てと注意をしておきながら、縁談が流れても構わないような物言いをする二人。なんてご都合主義だろうと、笑いが込み上げてくる。

 アサギは、握り合ったままのチヨとマツの手に自分の手を添えた。


「ありがとう。他愛もない話をして、幾分心も落ち着いたわ」

「まぁ! 姫様ったら」

「では、その勢いのまま行ってしまいましょう」


 チヨとマツに気分を乗せられ、足取りが軽い。

 二人に上手くあしらわれたような気がしなくもないが、降りられぬ船だ。

 皇子と初顔合わせをするギリギリになって、アサギはようやく覚悟を決めた。

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