快漢執事と安楽椅子探偵

もと

なんとも小気味良く

「犯人はこの中にいる!」


 ピシャリと決めた。

 なのに電線を切られたのか暗転、あっさり口を塞がれて拉致、ああ情けない。

 もう少し体力と身長があれば毎度こんな目には遭わないのに。


 僕を抱えて暗闇を走れるという事は、この広い屋敷の内部に詳しいどころじゃない。それに半端ではなく身軽だ。階段を中二階から一階まで飛び降りている。

 走る振動に合わせて脳味噌も揺れる。思考が途切れて繋がって、また途切れる。まとまらない。


 やがて歩き出した。

 分厚い絨毯からコンクリートの硬い靴音に変わると階段を降り始める。この靴底の具合に歩き方、微かな薄荷はっかの匂いは、なるほど……ガチャンと鍵が開けばギイとドアの開く重い音が続く。


「……申し訳ございません。少しの間、こちらでお休み頂けますか」

「……どういう事っすか、山本さん?」


「全てはわたくしが旦那様の身の安全の為に仕組んだ事、芳明よしあき様を巻き込む訳には参りません。決着まで私が責任を持ってり行います」

「意外、でもないっすね」


「犯人はこの中に、とおっしゃっていたので既に目星を付けていたのでしょう?」

「まだっすね。あそこからジワジワ証拠を積んでひらめいたら『犯人はお前だ!』っすよ」


 そうでしたか、と穏やかで緊張した声が暗闇の耳元でする。

 僕を少し固い座面の椅子にゆるく縛り付けていく山本さんは、この屋敷の執事だ。もう数年の付き合いになるのに、こんな声色は初めてだな……身を任せようか。


 不意にバタンとドアの閉まる音にビクリとなる。山本さんがバサッと立ち上がった音、多分あの黒い上着が擦れる音。


「山本さん?」

「申し訳ございません、芳明よしあき様……予想外の、不測の事態で……ドアのくさびが甘かった様でございます」


「はい?」

「閉じ込められてしまいました。現在この部屋は密室でございます」


「はいい?」

「こちら側にドアノブはございません。ちなみに鍵は外のノブに刺さったままでございます。どなたかが通りがかれば気付いて下さるでしょうが、残念ながらこちらは地下室となっております」


「……とりあえず、電気つけません?」

「かしこまりました」


 パチッと点いた明かりは眩し過ぎて、それでも大体分かった。

 いつも通り両手をお腹の前に合わせる山本さんがいる。申し訳なさそうに落ち込んでるけど。

 コンクリートき出しの八畳程度の部屋で、その閉まってしまったドアの横には小さな木の机がぽつねんと取調室の書記の席の様に、そして僕は真ん中辺りで椅子に縛られている。

 本当だ、のっぺりしたドアにノブは無い。

 そこそこ絶望的だな。さて……なんだそれ?


「……山本さん、それは?」

「申し訳ございません、全く存じ上げません」


「『お誕生日おめでとう&婚約披露パーティー』?」

「マナ御嬢様の文字ですね。来週には芳明様のお誕生日でございましょう。この部屋で秘密裏に準備をさっているのでは?」


「だから婚約も何も無いとあれほど……なかなか諦めてくれないモンっすね」

「お察しします。しかし芳明様がそれほど魅力的なのでしょう」


 灰色の床で、細長く繋いだ白い画用紙に桃色の絵の具で書いたのか筆文字が鮮やかだ。

 ……膝も手も付いて書道家の様に書いては乾かしてたんだろうな。マナらしいけれど、残念ながら僕にはこの屋敷と会社を継ぐ気は全く無い。

 花紙や折り紙なんかで作った壁を飾る物も新聞紙の上で小山になっている。可愛いやつだな、とも思うけれど。


 今はノンビリしてる場合じゃない。


「とりあえず、ほどいて貰えません?」

「それは……そうですね、失礼致しました」


 よし、やっぱり山本さんは犯人じゃないんだ。ほどいてくれなかったらダメだと、まさかまさかの覚悟はしていた……いやいや本当に良かった、ホッとした、身近な人間が逮捕されるなんて嫌だよ、山本さんは絶対良い人でいて欲しい、うん。


 これならば考える方向性が見えてきた気がする……この椅子、なかなか座り心地が良いな。

 密室上等、このまま安楽椅子探偵よろしく密談を進めようではないか。


「なんで僕を? もしかして助けてくれた感じっすか?」

「……はい。あの場で犯人を当ててしまうのは危険かと思われましたので、別室でお休み頂こうとお連れしました。芳明よしあき様はマナ御嬢様の大切な御方ですから、間違いがあってはなりません」


「なるほど、確かに縛って地下室ぐらいでないと僕は抜け出しますね。ありがとうございます。ぶっちゃけた所、山本さんは誰が専務を殺したと思ってるんすか? 何か策を持って調べてたんですよね?」

「はい……常務の佐々木様でしょうか」


「その心は?」

「旦那様の執務室を探っておられる様に見受けられる事が数回ございました。社内で横領疑惑がまことしやかに囁かれた頃、一際ひときわ声高に調査を進めさせた姿にも違和感を覚えました」


「なるほど。その横領疑惑の決着は?」

「経理の女子社員の勘違いと。しかしながらその女子社員はそれだけの事で故郷ふるさとへ帰されております」


「僕が見た所、横領は疑惑では無いように思えました。勝手ながら昼の内に執務室を調べちゃいまして。ついでに切られてた電話線も繋いでおきました」

おっしゃる通りでございます。社長も人を使って追っていらっしゃいます。そうですか、朝の時点では電話線は無事でしたが……そこまで、流石でございます」


「横領の隠蔽いんぺいと、あわよくば空席になった専務の席に昇進。そして一同が揃う今夜のパーティーで殺人が起こり自分が主導して解決とあらば名声も得られる。さあ罪をなすり付ける相手は社長だ、さあさあようやくだと息巻いてるんでしょ、今頃きっと」

「欲の塊でございますな」


 醜い。けれど、僕もその醜さの一端を握って離さないでいる。マナの桃色の文字を眺めながら強く誓う。

 偉大なる名探偵とその助手からたまわる名を世間にとどろかせる又とない機会なんだ。

 窃盗や物損をコツコツ解決しながら、子供だからと現場から抱えて放り投げられながら、やっと巡り巡ってきた殺人事件というこの僥倖ぎょうこうに預りたい。


「山本さん、マナがこの部屋に閉じ込められた事はありますか?」

「……ございません、が?」


くさびだけじゃなく、ちゃんと中から開けるすべがあると思いません? 山本さんですら思いがけずドアは閉まった。あの愛嬌者のマナが閉じ込められない筈が無い」

「では……?」


「ドアの横にある机、随分と汚れてないっすか? まるで靴のまま立って乗ったように。山本さんの長身なら何か見付かると思います」

「……これは、ピアノ線でしょうか? ドアの上の隙間にございます」


「それだ、引っ張ってみちゃったりしません?」

「かしこまりました」


 数回角度を変えてピアノ線をいじくる内にデッドボルトがカチャッと引く音がした。

 よし、僕はもうこの部屋を山本さんと出る。


 証拠は常務の佐々木さんがまだ持っている筈だし、同伴している奥さんが共犯なら渡し合っているかも知れない。

 外は大雨。

 小瓶ならば投げ捨てられる可能性もあるが窓を開ければ指紋という証拠が増えるだけ、拭き取れば拭き取った事すら証拠になる。

 毒薬はまだどこにも行ってない。

 と、思う。

 これがかなめなのに一番自信が無いな。


 しかしながら動機もトリックも単純だ。進める、行ける。

 毒薬の在処ありか口八丁手八丁くちはっちょうてはっちょう、僕ならただせる筈だ。

 それを簡潔にまとめて集合させた要人達に披露する、問い掛ける、追い詰める。夢にまで見た瞬間が近付いている。


「芳明様、ドアが開きましたぞ」

「……はーい」


 だがしかし、マナの父である社長に罪を擦り付けるだけで済むだろうか? もし僕が万全を期すなら偽造の遺書を作ろう、殺人を悔いての自殺と見せ掛けよう、幾らでも簡単に思い付く。実行は容易たやすいのでは……。

 もしそうなら、娘であるマナも危ないのではないか。


 深傷ふかでを負った動物は捨て身の攻撃をしてくる事があると父から教わった。人殺しをする様な人間は野生動物と変わらない。


 油断大敵。

 張り巡らせろ、思考の糸を。

 掌握しろ、犯罪を暴かれた者の思考回路を。


「芳明様、参りましょう」

「……山本さん、停電はどうなってるんすか?」


「女中に繋ぎ方を知らせておりますので数分で復旧しているでしょう。芳明よしあき様をさらいましたので現在は邸内の捜索が行われていると思われます」

「ちょうど良いっすね。なるほど、人が散る様に、それを狙ったんすか? やりますね」


「恐れ入ります」

「好機です。山本さんは誰にも感付かれない様、マナを着替えさせて安全な部屋にこもらせて下さい。そしてマナが着ていたドレスを僕に着付けて貰えますか」


「……なるほど。芳明様はまだ見付からないていで宜しいのですね?」

「はい。社長やマナを狙ったという事実の証人は多い方が良いっす。僕が上手く誘導出来たら全員を連れて来て下さい。皆に聞いて貰いましょう、僕の推理と答え合わせと犯人の懺悔を。後を頼みます」


「かしこまりました。が、一つお約束を」

「はい?」


「マナ御嬢様の身代わりとは危険過ぎます。しかも一人殺した後の犯人はどう動くか分かりません。いざという時は私の言葉を信じて頂けますか?」

「例えば?」


「伏せろ、飛べ、動くな、その辺りでしょうか」

「フッ……ハハッ、了解っす!」


 山本さんは、良い人だ。

 初等科の入学式でマナに張り付いて世話を焼き、隣の席になっただけの僕に豪勢な菓子折を渡してきた、ただの良い人だ。信じる。


 歩きながら、階段を上りながら、推理を披露する言葉をこねくり回しながら、ふと気になった。


「ところで、あの部屋は何の部屋っすか?」

「先代の旦那様がしつらえた物でございます。経営者として指導者として慕われた方ではございましたが、敵も多く居りました。どうぞ芳明様はお気になさらず存分にご使用下さいませ」


「気に、うん、気にならないか、気にしないわ、うん。マナからお祖父様は優しく楽しい方だったと聞いてます。そう思っておきます」

「はい、それに間違いはございません。近親者には、特にマナ御嬢様は溺愛されておりました。恐らくご存命の内に部屋の存在や開け方を伝授されたのでしょう」


「はあ……マナはあの部屋を使いこなしてる、と。なんか嫌な予感がしないでもないっす」

「お察しします」


 まあいいや、後で考えよう。

 今は僕のやるべき手順を辿たどろう。そして考え抜いた決め台詞を噛まずに吐けるかいなかだ。

 罪を暴く前だと全員揃ってない可能性があるしな、タイミングが難しい。


 とどこおりなく入れ替わる為にはマナの部屋の隣、衣装部屋に身を隠して山本さんを待つ。掛けられた季節外れのコート類の隙間でしゃがみ、座り、胡座あぐらをかく。


『かの高名な明智小五郎の片腕、小林芳雄の息子である僕が言うのだから間違い無い。犯人はお前だ』


『名探偵明智小五郎と小林芳雄少年の活躍はご存知ですか? その明智先生と小林少年から芳明よしあきという名を貰った小探偵は僕です。貴方は逃げられない』


『名探偵明智小五郎から探偵術を学び、その片腕たる小林少年から変装術を受け継いだ僕からは逃げられませんよ。貴方の負けだ!』


 最後のは貴方の負けよりも、やっぱり『僕の勝ちだ!』かな。

 決め台詞、どれにしようかな。


 不意に半ズボンのタックから覗く膝がチクリとした。ヒッソリ置かれた紙袋のかどだ。

 真っ白なその中を覗けば、ここにも『お誕生日おめでとう』とカードが挟まる赤いリボンの白い箱。

 ……何が入っているのか、何を僕に選んでくれたのかな。物の無いこの時代に、コトリと鳴る胸が温かくなる。これは推理しないでおこう。


 心は決まった。マナにだけは僕がドレスをまとう姿は絶対に見せられない。細心の注意を払わなくては。

 だが父から習った変装術を実践してみたい気もはやるし、我ながら女装にはうってつけの顔立ちに体つきだと思っている。

 マナの身代わりにさらわれるなり襲われる覚悟もある。


 絨毯の廊下を急ぐ足音が二つ、大人と子供だ。大人は山本さんだな。子供は上手く誘引してくれたマナだろう。


 山本さんは有能だ。

 少年探偵と執事というコンビも話題性に抜かりはないと思う。先の身のこなしは鮮やかだったし、内偵も僕と同じ所を見て判断材料にしていた。

 僕に足りない身体能力を持ち、とにかく大人だという事だけで侵入出来る場所も行動範囲も広がる。山本さんが住み込むこの屋敷も、僕の家から走れば三分で着く立地だ。素晴らしい。


 ……『少年探偵と執事』、これは……相性抜群ではないか?

 ただの思い付きから、もう子供向け冊子の表紙の図案まで浮かんできた。活劇のチラシも作れそうだ。これは事件解決後にでも本気で対談をしなくてはいけない。


 やがて隣の部屋のドアが開いて閉まった。山本さんの足音はこの部屋の前で止まるだろう。


 さあ、華々しく明日の紙面を飾ろうではないか。

 第一面ならば万々歳、三面でも父は破顔一笑ののちに抱いてくれるだろう。


 僕の探偵人生が今、始まる。



  おわり。

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