第69話 予想外の遭遇

 嫌な予感は的中した。

 きつい光を放っていた太陽が砂丘の陰に隠れた時から、一気に肌を撫でる空気が冷える。乾燥した冷たい風はまるで冬のようだ。


「気温差激しすぎでしょ……」

「防寒装備は用意していますが、あと少しでこの階層は踏破できるんですよねぇ……」


 厳しい表情で呟く美海に、アイが答えながら進む先を見つめる。つい俯いてしまっていたが、僕も確認のために視線を遠くに投げた。

 アイが言う通り、暫く進んだ先にダンジョンの門らしきものが見える。魔物を倒しながら進むとはいえ、これまで通りなら一時間はかからないだろう。


「歩いてるから多少体はあったまってるし、俺は大丈夫だぜ?」

「陽斗は戦闘で動き回ってるしな」


 剣をぶんぶんと振り回す陽斗に苦笑した。美海を確認すると、若干顔が青くなっているように見える。ここで我慢は必要ないだろう。

 魔力収納内のアイテムを確認して、防寒マントを三枚取り出す。これなら、上から羽織るだけで多少は寒さが凌げていい。


「美海、アイ、これを羽織って」

「あ、ありがとう!」

「私もですか……? ありがとうございます」


 渡した途端、いそいそと着込む美海とは違い、アイは首を傾げていたが受け取ってくれた。アイが寒さを感じていなかったとしても、女性の見目の人物に防寒着を渡さずに自分が着るのはちょっといたたまれないのだ。


「ほー……あったかい……」


 防寒マントの重みが多少体の動きを制限するが、僕は動き回って戦うわけじゃないから今のところ問題はない。

 風が遮られ、寒さから逃げられた安堵感から、深い吐息が漏れた。

 そんな僕を陽斗が恨めしげに見ているが、いらないと言ったのは本人なのだから僕も気にしない。たくさん戦って体を温めるがいい。


「くっそ……幸せそうな顔しやがって……。魔物、出てこいやぁあー! 俺が瞬殺してやるー!」


 変な方向で気合いが入った陽斗が、魔物が砂地から飛び出すのを誘うように、斬撃を飛ばした。レベルが上がって使えるようになった能力だが、剣での遠距離攻撃はなかなか便利そうだ。その調子で僕の仕事も代わりに熟してほしい。


「……あ、陽斗さん、そこは――」

「ん? っ……て、早く言ってくれよっ!」


 バリアーの範囲から外れていた陽斗の傍の砂地で、何かが蠢く。注意しようとしていたアイの言葉を待たずに、何か黒いものが飛び出してきた。

 さすがの反射神経で跳び退いた陽斗の眼前を凄まじい勢いで通り抜けるのは――魔物だ。これまで遭った魔物の中で一番威圧感を覚える。形は大きな蛇に近いが、異様な棘が無数に生えていた。


「な……なんだ、あれ――」

「あっちゃあ……レアものに出会っちゃいましたね。こいつを倒すのは面倒ですよ?」

「え、魔術が効かない!?」


 額を押さえて嘆くアイの横で、陽斗の逃げる隙を作るために魔術で攻撃した美海が、驚愕の声を上げる。魔物に直撃した風の魔術が一瞬で搔き消えたのだ。


「うっそだろ、賢者の魔術だぞ……?」

「俺の剣も効かねぇ!」


 魔物の攻撃を受けて剣を振るった陽斗が、傷をつけることもできずに弾き飛ばされる。

 それに追撃しようとする魔物に先手を打って、陽斗をバリアーで囲んだが、魔物がバリアーに触れた瞬間に、重い衝撃を感じた気がした。魔力が一気に削られたのだ。


「この魔物は非常識な存在なんですよぉ! 攻撃は効きません! 私たちが取るべき手は一つだけです!」

「それは……?」


 油断なく魔物の動きを目で追いながら、アイの言葉に耳を傾ける。なんと返事が来るかは既に予想がついていて、各自次の行動に移る体勢を整えた。


「――三十六計逃げるに如かず! 各員、全力疾走あるのみ!」


 アイの号令で、一気に駆けだした。砂地を力強く踏み、先へ先へと進む。僕たちが通った後で砂地から飛び出てきた魔物は、レアもの魔物に一瞬で食われたようだ。仲間じゃないのかと問いたい。

 迫りくる魔物から逃げ、時にバリアーで足止めし、走り続けること数十分。さすがに呼吸が荒くなり苦しい。バリアーの精度も落ちてきたので、さっさとこの状況から解放されたい。


「きっちぃんだよ!」

「砂地はヤバいわねっ。これでも、体力はついたと思ってたんだけど!」

「もう門に着くぞ! 飛び込め!」


 門まであと数歩。魔物から逃げきれると安堵した僕たちに、アイが警告を発する。


「門を通ったら、緊急停止をするんですよー!」

「えっなんでっ!?」

「あ、そういや――」


 驚いた顔で門に飛び込んだ陽斗に続き、僕も門に飛び込む。それと同時に、前方にバリアーを張る準備をした。


「ふぎゃあああっ!?」

「ばっか!」


 数歩先は熱波が押し寄せる谷。勢いのまま宙に足を浮かせた陽斗に用意していたバリアーをセットする。バリアーにぶつかった衝撃で、今度は痛みで叫んでいたが、僕は呆れた視線を注ぐだけだ。


「うおっと……」

「あ、ごめん!」

「アイの華麗なるストップ~!」


 背中に衝撃があったかと思うと、体が前方に傾きそうになるのを、咄嗟に張ったバリアーを支えにして堪えた。ぶつかってきた美海の謝罪に頷いて返す。足場が狭いので、後から来た人間がぶつかってくるのは仕方ない。

 アイは何か技名のようなものを告げながら、自分で停止していた。誇らしげに顔を輝かせて視線を向けてくるので苦笑する。


「アイ、別にぶつかっても大丈夫だったんだぞ?」

「ええー? そんなぁ……」

「いやいや、私が大丈夫じゃないから。アイちゃん、よくやったわよ」


 美海が体勢を整えながらアイをフォローすると、僕の言葉で萎れていたアイが一瞬で回復した。すぐさま周囲の観察を始めている。

 僕も周りを見渡した。深い谷の底には赤い川が流れている。溶岩のようなものらしいが、高い温度を保ったまま固まる様子はない。この階層は、谷と灼熱の川の地帯なのだ。


「陽斗、いつまで寝てるんだよ」

「寝てんじゃねぇよ! 痛みを堪えてんのっ!」


 観察を終えてようやく、谷に張ったバリアーの上で転がっている陽斗に声をかける。

 ぶつけたらしい額を押さえて呻いているが、さっさと立ち上がって退いてほしい。さっきの魔物のせいで魔力の消費が著しいのだ。無駄なバリアーは使いたくない。


「陽斗、さっさと動きなさいよ」

「……みんな、ひっでぇよ」


 防寒マントを脱ぎながら冷たい視線を注ぐ美海に、陽斗が嘘泣きを披露していたが、アイの苦笑くらいしか反応がなかった。僕も当然無視に限る。というか、暑すぎる防寒マントを脱ぐのに集中していたのだ。

 それぞれから受け取った防寒マントを仕舞い、陽斗がようやく立ち上がったところで、今後の方針の話し合いだ。


「ここは僕のバリアーで駆け抜けるって話だったよな?」


 事前の話を思い出して問うと、アイが躊躇いがちに頷いた。


「はい。でも、優弥さんお疲れじゃないですか? 想定外の魔物との遭遇で、予想以上に魔力を消費したように見えますが」

「ん~、踏破するにはちょっと危うい……かな?」


 遠くに見える門との距離を測りながら、そこに辿り着くまでに必要な魔力量を考える。だいぶギリギリな気がした。


「私の魔術も併用しましょう。氷……は一瞬で溶けそうね。飛翔はどう?」

「飛翔の場合、襲ってくる魔物に空中で対応できるかが問題ですね」

「あーその訓練はしてなかったわね……」


 美海が案を出してくれたが、難しい状況に変わりはなかった。新たな案を出そうと頭を悩ませる美海とアイを見ながら、僕も首を傾げる。


「ここを抜けたら、隠し部屋がある階層に到達できるんですけどね……」

「――よし、じゃあ、ここで休憩だ」


 アイの言葉が決定打だった。魔力量が足りないなら、休憩して回復すべし。休憩中は警戒を陽斗たちに任せて、僕は全力で休めばいい。


「そうね。それが良さそう」

「だな。ま、防衛は俺に任せろ!」

「私も頑張ります~!」


 気合いを入れる三人を頼もしく思いながら、噴き出すように溢れる汗を拭った。とりあえず、この暑さをどうにかしてもらいたい。

 期待を込めた眼差しは美海にしっかりと受け止められ、魔術によって大量の氷が生み出されることになった。

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