第64話 いざ行かん

 スクリーンに映されるのは魔王のアイコンだった。相変わらず胸を張った偉そうな姿だ。一体どういうメッセージが届いたのか確認してみる。


「『チーッス! 勇者諸君、元気かな? 俺様は元気だぜ! いつ返事が来るかと楽しみに待ってたんだが、ちーっとも来やしない。だから、俺様から連絡した次第だ』って……僕たちの方から連絡来ると思ってたのか」

「日本に帰還できるって情報を提供した以上、すぐにでも帰りたいと言い出すのは普通のことだものね」

「俺らはアイのおかげで帰還の方法は見つけてるから、それほど切羽詰まってねぇしな」


 軽く肩をすくめて納得する。連絡が今になったのも、僕たちの会話を盗聴していたわけではなく偶然だったのだろう。アイを信頼していないわけではないが、こちらの計画を一切知らない様子が文面から感じられて安堵した。


「続きは――『そろそろ日本に帰らないか? もちろん、まだこちらを観光したいというなら構わんが、向こうの世界だと君たちは行方不明の扱いになっているはずだからなぁ。あまり長引くのも君たちが苦労することになると思うぞ』……ですか。ふむふむ、なかなか私たちを思いやったように見える文面ですね」

「そうだな。これで終わっているみたいだけど、どう返事をするんだ? 今すぐ断ると、僕たちの計画を探られるかもしれないよな?」

「それはなしね。今は返事を先延ばしにして誤魔化しておくべきよ」


 美海が答えてくれたが、どう返事をするかとなると、上手い文面が思い浮かばない。暫く黙ってそれぞれが考えていたが、ふと顔を上げたアイがスクリーンに文字を打ち込み始めた。


「『まだ決心ができていません。もうしばらく時間をください。決めたらこちらから連絡します』……これでいいんじゃないでしょうか? あまり嘘を混ぜて誤魔化すと、怪しまれてこちらの思惑が露呈する可能性もありますし」


 アイが示した文面は非常にシンプルだ。だが、僕たちが現状で魔王に伝えられる言葉はこのくらいしかないのは事実。無駄に長い文章を送っても、不審に思われるかもしれないと考えれば、ベターな選択だろう。

 美海と陽斗を見れば、アイの案を覆すような考えは浮かばなかったらしく、頷いただけだった。


「じゃあ、それでいこう」

「はい。……送りました」


 送信されて暫くすると、再び魔王からのメッセージが届く。思っていた以上に早い返事だ。連絡を待ち構えていたのだろうか。


「『そうか。残念だが、君たちの意思を尊重しよう! いつでも連絡してくれたまえ。迎えに行くぞ』だってさ。ダンジョンに気軽に来られても困るんだけど」


 陽斗がため息をつく。僕も同感だ。


「とりあえず、魔王について今はこれでいいわね? 早速明日からのダンジョン攻略に備えましょう」

「了解」

「はい、分かりました」

「よっし! 明日からまた勇者能力見せつけてやるぜ!」

「……陽斗――」


 反省会で美海から注意されたことをもう忘れたのか、調子のいいことを言う陽斗に対して美海が目を細める。陽斗がビクッと震えた。


「明日、もし反省の成果が見られないようなら、ダンジョンの死に戻りシステムを使わなくたって、私が魔術でやってやるから」

「な、何をですか、美海さん」


 動揺して声を震わせる陽斗に、美海が笑みを向ける。傍から見ているだけの優弥さえ背筋がゾッと冷えるような笑みだった。まさか、やるってるじゃないよな?


「――ビリーと同じ目に遭いたくなかったら、しっかりやりなさい」

「は、はいぃ! 気をつけますっ!」


 陽斗は震えあがって、敬礼と共に叫んだ。僕は思わず「そっちか……」と呟いて、秘かにホッとする。仲間をるなんてことは起こらないのだ。

 とはいえ、傍にいる奴が急にノーパンになられるのも嫌だ。それは美海も同じだろうし、魔術でそれができるとしても、罰としてそれを言い出すのは苦渋の決断だったはず。

 罰をされる方のみならず、罰を行使する方まで苦しめる禁断の魔術は、なんと恐ろしいものか……。


「――陽斗もしっかり気合いを入れたようだし、明日に向けて各自行動!」


 僕の号令と共に、それぞれが忙しなく動き始めた。美海と陽斗は早速連携の最終確認をしに行くようだ。陽斗はまだ萎縮状態のようだが、果たしてきちんと動けるのだろうか。

 アイは更に情報を求めてアカシックレコードを解析するようだし、僕はダンジョンでの物資の準備を整えよう。



 ◇◆◇



 翌朝。いつも通りに過ごしやすい気候のダンジョンで、僕たちは顔を突き合わせていた。皆戦闘準備が整い、真剣な面持ちだ。


「――準備はいい?」


 美海の問いかけにそれぞれに深く頷く。これから高難度の【始まりのダンジョン】に赴くのだ。気合いが入るのも当然である。

 既に【始まりのダンジョン】の座標は美海が覚えている。後は転移魔術を発動すれば、すぐさまダンジョン攻略を開始できるのだ。


「手を繫いで……三、二――」


 隣のアイと美海と手を繫ぐ。陽斗も同じように手を繋ぎ、ちょうど円状になったところで美海のカウントダウンが始まった。

 未知のダンジョンに行くという緊張感が高まり、手に汗が滲むような感覚がある。ふと視線があったアイが微笑みを浮かべた。僕を安心させようとする気持ちが伝わって、ホッと手の力が緩む。

 僕には頼りがいのある仲間がいる。それに、高難度のダンジョンであろうと突破できるよう、これまで訓練を続けてきたのだ。いつも通りやれば大丈夫。そう思えた。


「〇――」


 視界が一変した。刺すような日光と肌を焼くような熱い空気が一気に押し寄せてくる。思わず暫く息を止めた。


「やっべー、暑すぎじゃね⁉」


 開口一番に叫んだのは陽斗だった。その声の大きさすら不快に感じて、目を眇める。口を開けば喉まで暑さにやられそうだ。


「……耐えられない。早くダンジョンに入りましょう」

「ダンジョンの中はある程度涼しい温度のはずですよ」


 顔を顰めて先を促す美海にアイが苦笑しながら説明する。AIでありながら異世界に来る際に体を構築したというアイにはこの暑さも気にならないのだろうか。涼しい顔をじっくりと眺めてから、僕は頷いてダンジョンの入り口を見やった。


「見た目涼しそうだよなぁ。っつうか、これどうやって入り口に行くんだ?」


 陽斗が手で顔を扇ぎながら歩き出すのについて行く。目の前には大きな湖。その中心辺りに小さな島があり、風景から浮き出すように異質な門があった。船か橋がないとその島まで行けそうにない。

 湖の端まで辿り着いて、水をすくってみる。ぬるい温度が手を濡らした。


「こうしましょ――」


 美海が手を前に突き出した。風がふわりと髪を揺らす。


氷の弾アイスバレッド!」

「お! 涼しいな!」


 巨大な氷の弾がいくつも放たれて湖に着弾する。それは湖に道を作るように水を凍らせていった。吹く風が僅かに冷たくなり、気づかぬ内に浅くなっていた呼吸を正常にさせた。


「……一石二鳥の魔術の選択だな。さすが美海」

「ふふ、もっと褒めてくれてもいいのよ?」


 微笑む美海も先ほどより余裕さを取り戻しているように見える。暑さは人の精神状態を悪化させると一瞬で学べた。


「美海さん、さすがですね! では、道はできたのですから、早く進みましょう! 溶けて湖に落下したら、人喰い魚ピラニーに食べられちゃいますよ☆」

「その存在は初めに教えてもらいたかったなっ⁉」


 ギョッとしてアイを見ると、「てへっ☆」と反省しているのか、していないのか分からない返事をされた。

 先ほど湖に手をけた時に食われていたらどうするつもりだったのかと軽く睨んでおく。


「大丈夫ですよー。まだピラニーたちはこちらを感知していませんから。湖の範囲に足を踏み入れたら、虎視眈々と狙ってくるという魔物です」

「それはなんとも決まりに忠実な魔物だな?」

「ピラニーもダンジョンの魔物の一種ですから。そういう命令がされているのでしょう」


 アイの言葉に安心していいのかよく分からない状態で再び湖を覗き込む。透明度が高い湖には、視界の範囲では魔物はいないように見えた。


「優弥ー、氷が溶ける前に進むわよー?」

「ああ」


 美海と陽斗が氷の道を進んでいた。振り返って声を掛けてきたのに返事をしつつ、隣で一緒に湖を覗いていたアイの手を摑む。そのまま美海たちの元まで駆けた。


「あ、氷滑りやすいから気をつけて」

「それ、最初に言うべきだろ⁉」


 氷に足を乗せる寸前で急停止してから慎重に進む。

 どいつもこいつも、注意するのが遅すぎる。不満のままに口の端を下げる僕を見て、アイがおかしそうに控えめな笑い声を漏らした。

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