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 ネーヴェ山はフォルミダ山脈の中で二番目に高い山だ。そのネーヴェ山を超えると、人間の背中に翼を持った有翼の民バーディルが住む国デグーがある。バーディルは、上空を吹き荒れる風や地を這う風、海原を吹き渡る風を操る、風使いだった。


「おはよ」

「お、はよう、ございます?」


 青灰色の翼を持ったバーディルに親しげに挨拶をされ、はてどこかで会ったことがあるかと首をかしげた。

 岩から軽やかに降りた青灰色のバーディルは、上着をするりと脱ぎながら近づいてきた。


「ここ、寒くね?」


 くだけた口調は馴れ馴れしささえ感じる。

 綿のチュニックにズボン姿になった彼は、寒さにぶるっと震えながら上着を私に突き出してきた。


「どーぞ。その格好じゃ冷えるだろ」

「でも、あなたも」

「唇」

「くち……?」

沼酢木ヌマスノキの実をたくさん食べた後みたいに真っ青だけど」


 節くれだった指で手早く上着を巻きつけてくる。上着の内側の柔らかな生地と、着ていたその人の温もりで震えが柔らいでいく。


「次は足元だな」


 青灰色のバーディルが右手を捻るように動かすと、暖かな風が私の足元に吹き込んできた。風が私の足の周りを踊るようにくるくると旋回すると、足元にあった雪は私を中心に円状にどんどん溶けていく。

 足元の雪を全て溶かした風は、溶かした雪をまとって空気中へと散っていった。朝日を浴びてきらめきながら消えていく。幻想的で、見たことのない光景に目を奪われていた。


「これは、風の魔法ですか?」

雪解風ゆきげかぜっていう術」

「すごいですね」

「そ? できて当然の術だから、たいしたことないけど」

「でもすごいです。もう足が温かいです」


 足元の雪がなくなったおかげで、寒さでなくなっていた足の感覚も元に戻りつつあった。雪の下から現れた下草がくすぐったい。


「君、フローリア? さっき木を再生させてたでしょ」

「えぇ。そうですよ」

「なんでフローリアがこんな寒い所にいんの?」


 青灰色のバーディルが不思議がるのも無理はない。フローリア達が住まう花の森は、永遠に温暖な気候だった。

 更に、フローリアの好物といえば、昼間のぽかぽかした温かさと、さんさんと輝く太陽と、綺麗な水や豊かな土。雪や氷で覆われ生命力の感じない氷の世界に、それらは一切ない。


待雪草スノードロップを見に来たんです」


 花の森には冬がこない。寒さに耐えながら咲く花は咲くことがない。花の森の外にある世界の、季節の移り変わりを指折り数えて冬に咲く花を探して歩く。それが、私の楽しみでもあった。


「そんな薄着で?」

「寒い時に羽織るものなんて持っていないので。それに、花が咲いたらすぐに帰るつもりでしたし。でも……」


 視線を枯れた木と、その木々の周りに咲く待雪草に向けた。


「放っておけません。このままだったら皆死んじゃいます」

「へぇ、優しいんだ」

「私はただ自分の力でできることをしてるだけです」

「それができる君は優しい、と俺は思うけど。力を持っていても、相応の見返りがなければ出し惜しみする奴もいるし」


 青灰色のバーディルはきっぱりと言ってのけたので、そうなのだろうと思った。私は生まれてこの方、花の森を出たことがない。だから、他の種族とあまり関わったことがなかった。


「他の種族のことは知りませんが、フローリアはこの世に生きる全ての植物を芽吹かせて、枯らす事なく育むのが宿命です。それを怠ってはいけません」


 宿命は力を持った者が生まれた時から背負うもので、何人たりとも変えることのできないのだと、父が言っていた。

 魔力を授かった者が宿命を負っている理由は、世界の均衡を保つ為だ。水の精霊は水を綺麗にするために、火の聖獣はこの世界の火を絶やさぬように、授かった力で宿命を全うしている。だからこの世界の水は美しいし、火は燃え続ける。フローリアが植物に関して責任を持っているのも、全てはこの世界の為なのだから。


「宿命、ねぇ」

「宿命もそうですが、私は植物がとっても大好きですし、花が咲いたり実が成ったりしたらとっても嬉しいです。だから、ここの弱った木々を再生させようとしていたのですが……」


 数があまりにも多すぎて途方に暮れていたことを伝えた。フローリアの植物を芽吹かせて再生を促す力は、直接球根や種や芽などに触れないと効果はないことも。


「だったら遠くまで君の力を届ければいい」


 青灰色のバーディルは何の迷いもなくきっぱりと言い放った。私がどんなに考えても解決策は見つからなかったから、前のめりでその答えを求めてしまう。


「どうやって?」

「ひとつ聞いていい? 君は覚悟ある?」

「何のです?」

「好きなものを守るために、自分を犠牲にする覚悟、君にあんの?」


 美しく咲く花や、生命力あふれる木々の緑、それらが失われてしまう前に守れるのならば。それがフローリアの宿命なのだからと、青灰色のバーディルの言葉に頷いた。


「なら、俺を使えよ」

「え…………っ!」


 青灰色のバーディルの顔が迫ってきたことに気づいた時には、唇に柔らかいものが押しつけられていた。その温かさと、視界いっぱいに広がった瞼を閉じた彼の顔から、キスをされているのだと理解するまで時間はかからなかった。

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